第50話 祝・ドラゴンズ優勝('99.10. 5)

 上期・下期の変わり目はとかくあわただしいものだが、期末=繁忙とは無縁のはずの現職場でこうも多忙(いい意味で)になるとは思いも寄らなかった。9月の最終週は日替わりで、大事な会合あり、作業の〆切あり、出張の準備あり等々。充実していていいのだが、落ち着ける日がなくお手上げ状態。本稿、第50話は一つの節目になるだけに満を持して書こうと思っていたので、出張が明けてからの公開(予告10/5)とさせていただいた訳だが、無理が祟ったか週明けから体調が思わしくなく、火曜日は目眩がして歩くのが困難になってきたので早退する始末。そんな状況下でちと不本意ながら、ともかく50話を迎えることができた。読者の皆さんに感謝しつつ、気持ちを新たに連載を続けることを誓うばかりである。

990929.jpg 何も人が多用な時期に優勝しなくても...という恨めしさは残るが、隠れドラゴンズファンの筆者としては、ともかくうれしい9月30日だった。ただ精神的余裕が乏しくなっていたので、感激もさほど大きくはなかったのである。巨人が負けた時点で確かに優勝はしたものの、同日のヤクルトとの試合に勝って8連勝した時点での優勝決定&監督胴上げの方がインパクトは大きい。その前後にちょうど仕事を終えたので、自転車で神宮球場に足を延ばし、外から「万歳!」の大歓声を聴いたのだが、「あぁ勝ったんだ...」と当たり前のような感情が支配的で、ぐっとくるものがなかった。前日の9月29日は無理やり仕事に区切りをつけ、神宮球場で観戦したのだが、この日は巨人が負けて、ドラゴンズが逆転勝ち。逆転した瞬間、そしてマジックが2つ減って一気に1になったその瞬間を共有できた時の方が感慨深かったのだから、何とも不思議なものである。職場の近在で優勝カウントダウンの試合をやっている以上、これを観に行かない手はあるまい。新聞屋から自由席招待券をもらった時は、「消化試合になっているかも知れないけど、ま、いいや」と思っていただけに、優勝決定前夜のボルテージが最高潮の試合を観戦できたのは、実に幸運だった。(仕事に余裕がある時期だったら、もっと良かった?!)

 マジックがひと桁になってからは優勝まで本当に早かった。巨人が負けない、だがドラゴンズも負けない、という日々が続き、やきもきさせられたものの、マジックが点灯してからひと桁になるまでのもたつきと比べれば、実に加速度的だった。それ故に、マジックが減っていく快感をイマイチ実感できず、優勝して当たり前という思いになっていたのかも知れない。とは言え、試合終了後、沿道の列に加わり、ドラゴンズ一行を乗せたバスを見送った時には、さすがに感極まるものがあった。29日・30日と続けて、その場に居合わせられたのもまた幸運なことである。(最前列に座る星野監督がにこやかに手を振っていたのが何とも良かった。)

 かつて父に連れられ、後楽園球場で巨人×中日戦を観に行ったのは、78年の頃だったろうか。巨人:柴田・高田・シピン・王・張本...、中日:田尾・平野・モッカ・谷沢・大島...の打順だったことは何となく覚えている。中日のバッテリーは堂上と田野倉。1回裏、いきなり柴田・高田に連続ホームランが出て、巨人に押されっぱなしで結局負けてしまったあの試合。名古屋に引っ越してから、ナゴヤ球場で観戦した時も負け試合だった。当時は野球好きでもなかったので、中日が勝っても負けてもどうでも良かったのだが、観に行けば負け試合、というのが続いたので、弱い球団だなぁという印象が強かった。大阪に引っ越した82年。周りが阪神ファンばかりだったこともあって、名古屋からの転校生だった筆者はアウェイな感じ。されど同調して阪神ファンに転向する訳にも行かず、流れで中日を応援することになってしまった。(これが今日のドラゴンズファンの基礎となっている。) ともかくこの年、82年は見事優勝し、弱い球団という印象は去り、鼻高々に過ごすことができたのを記憶している。優勝決定の試合は対大洋ホエールズで、その瞬間をUチャンネルのザラついた画面で見たものだ。

 優勝明け10月1日付のスポーツ紙の一欄に過去4度の優勝時のレギュラーメンバーが載っている。82年は、田尾・平野・モッカ・谷沢・大島・宇野・上川・中尾、主なピッチャーは都・小松・牛島とある。いやはや懐かしい。そして筆者が大学生活に入った翌年の88年、昭和天皇の病状が思わしくなかった頃だったので、いわゆる列島総自粛のあおりで、祝賀会も何もなく、ファンとしては寂しい思いをした。当時のメンバーは、彦野・立浪・ゲーリー・落合・宇野・仁村(弟)・川又・中村、主なピッチャーは小野・小松・郭...。優勝決定の試合は、仙台松島を旅行していた時だった。学生身分としては奮発したのが奏功し、観光ホテルの立派なテレビでその始終を見届けることができたのは良しとしたい。最後は小松が締めくくって胴上げ投手に。早いもので11年前の話である。この間、2位が5回(最後の最後で優勝できなかった96年は特に印象的)だったのだから、ファンとしては辛酸を舐める思いである。確かに弱くはなかった。横浜球場・神宮球場で何回か観戦しているが、小さい頃に観に行った時とは違って、全て勝っている。9月29日も勝ったことだし、これで何連勝だろう、という感じである。

 巨人は財力と人気に物を言わせ、他球団で実績ある選手をかき集めては、消耗品のように使い捨て、という批評を目にするが、大いに首肯できる。中日の強さはプロ野球の本道に従った成果だと思う。ナゴヤドームに対応した小刻みかつ僅差を制するチームを地道にめざし、それを見事に結実させたのだから天晴れである。ここまで来たら、ズバリ日本一をめざしてほしいものだが、ダイエーが日本一になればなったで、相応のセールが始まることだろうから、小市民としては応援しにくいところである。(パ・リーグでどこがひいきかと聞かれたら、ダイエーと答えるかも知れない。) 中日ファンとしては背信的だがここは一つ大目にみていただきたいと思う。

 余談だが、今年大活躍だった関川選手は筆者と同い年。11年前の優勝経験者である立浪選手、そして30日の試合で骨折してしまい、日本シリーズで雄姿を見られないのが残念な山崎選手、みな同い年である。同年の選手が活躍して、優勝を成し遂げたのを見るにつけ、こっちも一念発起しなければ!と思う筆者なのだが、おっとまた目眩が...。

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