第35話 大地の癒しと復興の礎('99. 2.15)

☆今回は東京を離れて、神戸からのモノローグです。

 阪神電車に乗るのは何年ぶりだろうか。記憶が正しければ、三宮の東急ハンズが開店した時以来だから、約10年ぶりになる。当然、神戸へ足を運ぶのもそれ以来になるから、ずいぶんとごぶさただった訳である。阪神大震災後、運転を再開するまで多くの時間を要した阪神電車。高架橋が崩れて車両ごと転落した様に象徴されるように、被害が甚大だったことが思い起こされる。

 そんな阪神電車(正確には沿線住民や通勤客)に一つの念願があった。姫路と神戸とを結ぶ山陽電鉄との直通運転(梅田~姫路)である。物の本によると、阪神側は梅田から神戸高速鉄道を経由して、山陽側の須磨浦公園まで。山陽側は姫路から同じく神戸高速鉄道を経由して、阪神側の大石まで、という変則的(つまり尻切れトンボ)な相互乗り入れをしていたところ、やっと梅田~姫路を直通で結ぶ特急列車の運転が開始された。それは昨年のちょうど今ごろ、2月15日。つまり直通を始めて1年経った訳である。震災がなければもっと早く実現していたかも知れないが、復興に呼応して、加速的に実現したと言った方がいいだろう。震災後、最初に立ち直ったJR線に乗客を奪われていたこの2つの私鉄にとって、乗客の呼び戻しは急務。そのカギがこの直通特急だったと言える。東京でも他社線の相互乗り入れは盛んだが、終点から終点を結ぶ直通特急はむしろ珍しい。快挙だと思う。(例えば、京成線・都営浅草線・京浜急行の乗り入れは有名だが、昨秋やっと成田空港と羽田空港を結ぶ特急がお目見えしたばかりで、終点間となる成田空港と三崎口を結ぶ運転はしていない。)

 直通特急は30分おきの間隔だが、ちょうど12:00梅田発の列車に乗ることができた。沿線住民でもないのにこんな感想も何なのだが、山陽電鉄の特急車両が梅田まで入ってくるのは今までなかったことなので、ちょっとした感慨を覚えた。しかし、阪神電車の終点、神戸元町をめざすからには、ここで気を引き締める必要もあった。目的はこの特急列車ではなく、あくまで神戸にあったのである。

 発車してしばらくすると地上へ。時折、雪の降り混じる景色の中、列車は緩やかに加速しながら高架線をひた走るようになる。尼崎~甲子園あたりの高架駅はどれも新しく、復旧に合わせて建て替えたような印象を受けた。西宮あたりからは、見下ろす街並に半壊した建物が目に付くようになり、一方で新しい家屋も目立つようになった。中には、倒壊は免れながらも、継ぎ接ぎの施工をした家屋もあって、4年を経て尚、その爪痕を見て取れることに言い知れぬものを感じた。阪神高速道路と並走して走る阪神電車だが、道路が亀裂したり、倒壊した現場がどこだったかなんてことはさすがにわからない。ただ遠くから、当時の惨状を思い、目を瞑るばかりである。魚崎~住吉に来ると、阪神電車が転落した跡だろうか、線路脇に大きな空き地が残っていた。さらに進んで御影あたりまで来ると、仮設住宅らしい建物が現れ、「なぜ神戸に...そう、これは単なる観光ではない」ということを再認識させられた。

 列車は再び地下に入り、元町に着く。表に出ると、何となく雨模様である。街景は一見して違和感ないが、やはり新装した商店が多いことにすぐ気づいた。大丸も大々的に手を加えたらしく、雨に打たれながらも華やいだ感じを外観から受けた。旧正月の催しを翌週に控えた南京町界隈は、震災の跡は特に見受けず、にぎやかな印象。行列を待って買い求めたブタマンをほおばりながら、ここに来た目的の一つ、神戸レンガプロジェクトで寄付したレンガの敷設のポイントをめざすことにした。ボランティア関係でいろいろお世話になっている社会貢献推進室I課長(当時)は、筆者の敷設証明書を頼りに探したが、見当たらなかったと聞いていた。その地点に着いて、拡大図と見合わせて探してみたが、果たして見つからない。元町3丁目商店街の交差点で、人通りの激しい箇所ということもあり、レンガ敷き直しの憂き目に遭ったかと思いつつ、近くにちょうど「慰霊と復興のモニュメント設置実行委員会事務局」なるものがあったので、レンガの舗装工事がいつ頃あったかなど聞いてみたが、事務局自体ができたのが最近ということで、係の人はまるで知らない態。敷設証明書には、「都市計画及び復旧工事、緊急事態等のために予告なく、一部レンガが撤去される場合」云々と書かれているので、その文言に承服して、いったん引き揚げることとした。が、レンガプロジェクト実行委員会からの敷設証明書にある地図を見ると、同じ元町通り商店街のもっと西側にも敷設ポイントが書いてある。まさか全部が全部憂き目に遭うことはないと思い、試しに見に行ってみる。お茶屋の前まで来てふと目を落とすと、うっすらと刻字してあるレンガの群を発見した。お茶屋が折良く茶を振る舞ってくれていたおかげで、足を留め、視線を落とすことができた訳である。

 お茶屋の兄さんにいろいろ様子を聞くと、通りがかりの人はまず気づかないこと、自身も最近気が付いたこと、というくらいだから何とも情けない。(いや致し方ない、とすべきだろう。) こっちが熱心に見入っている上、写真まで撮っているものだから、周囲の人も何となく目を落とし、歓声を上げながら通って行くようになった。レンガプロジェクト実行委員の取り組みも控えめ、というか普通ならどこかに目印や看板でも立てそうなものだが、下手に目立って落書きされるよりはいいから、ここは控えめでいいようだ。メッセージそのものは単純明解なものから、細かく真摯なものまで多種多彩。2つ分で大きな図柄を施したものもいくつかあったし、デザイン的に優れたイラストを基調にしたものもあって、よく見れば全般的に目をひくレンガが多かった。

990211.jpg さて、この一件で、一見では見つからないことがわかったので、もう一度、筆者が寄付したレンガの敷設場所まで戻り、くまなく探してみることにした。すると、茶屋の前で見つけたのとは違い、ずっと小さな塊で敷設レンガがあるではないか! 証明書に示した行・列番号をたどり、注意深く見てみると、そのあたりに「あったあった!」

 敷設証明書でID番号を見た時は驚いたが、数合わせよく「01111」。まさにその番号で、メッセージは「(上段)このレンガが大地の癒やしと(下段)復興の礎となりますように。」 95年8月25日付けで夫婦共同(上段:妻、下段:筆者)で書き記した刻字のレンガがひょっこり収まっていた。今思うとなかなかの名文句である。今回の旅行、実は2月12日に「グリーン購入ネットワーク研究会」があって、つまり仕事で大阪に来たのにちゃっかり乗じたものである。都合よく金曜日が休みの谷間だったので、実現できた。(妻にも休みをとってもらっての同伴旅行である。) という訳で、レンガを見つけた時の二人の喜びようと言ったらそりゃあもう... どうやら、I課長に聞いた情報が思い込みとなり、探し出す気力を減じていたようだ。(いやはや...) 一度は憂き目に遭ったとあきらめていたレンガがこうしてちゃんと見つかったのは、ひとえにレンガが二人を呼び戻したため、と思わざるを得まい。何枚か写真に収めて、引き続き大地の癒しと復興の礎となることを念じつつ、この場を後にしたのであった。

 元町からは、三宮センター街を通り、JR三ノ宮駅をめざす。にぎやかなアーケード街はすっかり震災から立ち直った如く、活気に満ちている。が、途中に大きくぽっかり空いた土地があった。こども向け用品店のファミリアが店を構えていたことを看板が示していた。ここでの活気がこうした犠牲の上にあるということをつなぎとめるような...大げさかも知れないが、そんな風に筆者には映った。もう一つ、記憶をとどめるものに出くわした。それは、三ノ宮駅のごく近くまで来たところ、震災の記録と復興の歩みを一堂に集めた「阪神・淡路大震災復興支援館」(フェニックスプラザ)である。観光ガイドには全く載っていなかった(あるいはきちんとコメントを付していなかった)だけにこれには驚かされた。一見ハコモノ施設といった観もあったが、内容は至って真剣で、4年前の衝撃を思い起こさせるものばかりだった。神戸に来たのは、この目で震災と復興の跡を確かめることにあったので、ここでそれらをまず概観できたのはありがたかった。乗ってきた阪神電車の沿線の被害状況を地図で確かめる。西宮、芦屋、魚崎... 高速道路の亀裂・倒壊が一ヶ所だけでなかったことを改めて確認できた。地図をはじめ、展示内容をコンパクトにまとめたパンフレットがあったので、震災の記録を身近にとどめるには好都合、加えて防災に関する情報も含まれているので、活用できそうである。他にも震災復興補助事業としての「フェニックスセール」や施設のオリジナル「フェニックスグッズ」の案内パンフ、生活復興ブック「ボランティアをしたいときに読む本」などを入手した。資料、記録ビデオともに豊富である。三ノ宮を訪れる人には立ち寄ってほしいと思う。(旅行書や観光ガイドブックにはぜひ載せるべきものと感じる。)

 三ノ宮からはさらに西へ、神戸、新長田方面へ向う。JRは市中、高架路線なので、往路・復路とも車窓からは、空き地、仮設住宅、新旧の建物が混在した商店街や再開発の直中にある街路・集合住宅など、多くを目にすることができた。雨は上がったが、曇天の下に拡がる街・家並みは、どこかしら哀感を漂わせつつ、復興への確かな光明をそこに織り交ぜていた。レンガは少しでも役に立っただろうか、そんな情景を眼下にしつつ、とふと思ってみたり...(合掌)

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