随筆「東京モノローグ2012」(3−4月期)
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駅名改称には初日から対応した都バスだったが...(英文表記に注目!)第350話 とうきょうスカイツリー→笹塚〜3月17日、都バス東西移動

アド街「赤羽岩淵」 出没予想エリア第351話 岩淵町〜「アド街ック天国」4/14放映直前予想ランキング

都区内の駅、全駅乗降達成!(ラストの602番目は、荒川七丁目)第348話 都区内全駅乗降

和も英も書体のセンスの良さを感じる「山の上ホテル」第349話 店名書体

第351話 岩淵町(2012.4.14) ☆定期更新日に先行しての掲載!

 おなじみ「出没!アド街ック天国」は、1995年4月15日が第1回放送。かれこれ17年が経つ。その間、「赤羽」がつく放送回は、2000年(3/4)、2005年(4/2)、2007年(9/22)の3回があり、今回、18年目に突入というところで、めでたく「赤羽」関係4回目となった。

 番組ホームページがリニューアルされて以降、予告編を兼ねたような掲示板(今は「みんなのクチコミ」)をチェックすることも減っていたが、2月頃に何気なく見ていたら、事もあろうに「赤羽岩淵」というのが見つかり、「!」(騒然)。

 赤羽の括りで、すでに岩淵界隈も出没済みである訳で、そこをあえて「赤羽岩淵」で行く、という点でまず衝撃、加えて、そのエリア設定が予測不能な点で揺動...だが、地元地域が放送されるとなれば、何らかの形で取り上げねばなるまい。で、何となく準備をしていたら、いきなり来た! 放送日、本日4月14日である。

 同番組でのエリア設定パターンは、大きく二つ。町名に対応する町域でしっかり区切る場合と、「○○を中心としたこの辺り」(ボカシ)とする場合である。今回はまず間違いなく後者だろう。岩淵町はその昔、そのものズバリ、自治体名だった。1889年、当時の岩淵本宿町、稲付村、赤羽村、袋村、下村、神谷村が合併し、「岩淵町」。即ち、町長が存在する一つの町だった訳だ。今の地名、赤羽、赤羽北、赤羽台、赤羽西、赤羽南、岩淵町、浮間、神谷、桐ヶ丘、志茂、西が丘に当たるというんだから、かなり広域。そのため、「岩淵町」で紹介しようものなら、あそこが取り上げられてなぜこっちが・・・という話になりかねない。岩淵宿があった地を中心に据え、題は駅名でなじみのある「赤羽岩淵」とし、その境界を曖昧模糊に。その加減がクリアされることで、放送にこぎ着ける、そう思いたい。

 1956年(昭和31年)の岩淵町を中心とした地図(→引用元

 ただ、どこまで曖昧さが許容されるかについては何とも言えない。現存する地名としての岩淵町にはちょっとした威信があって、住居表示に関する法律(1962年施行)で、当時の岩淵町一丁目・二丁目(上図参照)が全て赤羽になってしまうところを食い止めた、という経緯がある。現・岩淵町全域をカバーすればそれで済むとは思えず、かと言って、赤羽駅に近いスポットばかりになってしまうのもどうか、だろう。「岩淵町を中心に、志茂、赤羽の一部を含めたこの辺り」というナレーションになるのは想像に難くないが、曖昧部分の線上で「出た・出なかった」の明暗が分かれる可能性は高い。大きな見どころになりそうだ。(旧・岩淵町二丁目(現・赤羽二丁目)を全て含めるというのもアリ?)

 とりあえずこんな感じだろう、と筆者流でヤマを張ってみた。以前、「飛鳥山」第302話の時は予想エリアが大ハズレで、懲りている筈なのだが、性懲りもなくというか、とにかく今回はリベンジである。岩淵と名のつく名所、旧岩淵水門(赤水門)と新岩淵水門(青水門)を東端にしてバランスを取ろうとすると、JR京浜東北線にかかる辺りが西端になり、とにかく楕円になる。この楕円を膨らませれば赤羽編、絞れば岩淵編、そんな按配だ。そして、その楕円内で、30カ所を挙げてみる。今回調べて初めて知ったようなスポットもいくつかあるが、知らないからこそ勘が働くこともある。ひとつご参考まで。(順不同)


  • 16〜30位の間に入ってきそうなスポット等

「放水路」

 赤羽駅と浮間舟渡駅を結ぶも、埼京線の駅から離れた地点を縫うように走る国際興業バスの系統がある。その「赤06」の停留所の一つが「放水路」。今でこそ荒川はそれが一つの流れのようになっているが、旧岩淵水門辺りから下流部分は荒川放水路で、荒川本流は今の隅田川だった。
 放水路の起点がこの停留所近くだったのかどうかは定かではないが、その名を留める上では重要な停留所である。

都電の終点、環八の起点

 五叉路に近い交差点があり、東西軸は、東が北本通り、西が環八通り、と道路の分かれ目になっている。(北本通りは、ここで折れて北へ進む) 赤羽岩淵駅上の交差点だが、名称は「赤羽」。写っている通りは、北本通りである。昔の都電に詳しい方ならここが赤羽線(王子駅前〜赤羽)の終点があったところとすぐわかるだろう。都電もここを「赤羽」としていたのである。(先の1956年地図にも大きく出ている)

曲り小道

 地図の通りである。とにかく小道が多く、それが曲折していて、迷い込むこと頻り。その複雑さが当地の特徴である以上、ランクインしないことはないだろう、という話。

閻魔堂

 十王寺に閻魔堂というのがある。番組で出てきたら、再度訪れるつもりでいる。

大満寺

 赤羽岩淵駅の3番出口(→参考からすぐの位置にあるのだが、大満寺の入口は少々わかりにくい。名前は前々から知りながら実は訪ねたことはない。

絹屋染物店、滝本釣具店、思月園 (これといった写真がないので、屋号のみ)

 

職人の町

 上記3つとも重なる部分はあるが、他にも陶業や銘木の店がある。まとめて「職人の○○」で紹介される可能性は大。

胡山

 らーめん工房というだけあって、創作系のメニューがいろいろあるようで...(今回初めて知った店)(^^;

龍龍

 「赤羽」交差点の一角にあり、特に夜に通るとその豚骨の匂いでクラクラさせられる店。刺激が強そうなので、まだ入ったことはない。

 と、ここまでだと11なので、あと4つということになるが、例えば、「すみた」(讃岐うどんの有名店)と「みやこ豆腐」の2つが今回のエリアに入るとすると、上位予想ともどもずれてしまうので、あえてバッファを持たせようと思う。補うとすれば、「散歩の達人」の2012年3月号(赤羽・十条・王子)に出ている中からか。タイ料理居酒屋「ワニダ」(左写真参照)、「キッチンやまがたや」の2店は、見込みがありそうだ。さらに付け加えるなら、巷で話題のご当地本、清野とおる作「東京都北区赤羽」に出てくる店が何軒かは登場しそうな予感は大。怪しい店がちょこちょこ出てくるのがアド街流で、それに沿う本(コミック)があったから、今回実現した、と考える向きもある。

 「散歩の達人」と「東京都北区赤羽」

 右の2軒、どっちかは出てくる?(コミックに出ているかどうかは不明)

  • 6〜15位予想

荒川下流河川事務所荒川知水資料館

 過去に当モノローグでも何度か紹介の通り。アド街ではこれまで出ていないので、今回こそは!と思うのだが...(写真は資料館2階の様子:この時の展示については、第341話に掲載)

越後屋

 岩淵町内の主要道路が交差する位置にあり、目印にもなる商店。番組の予告文の一節「時が止まったかのようなノスタルジックな光景」を担っている一つと言っていい。

金字塔

 「焙煎塩蕎麦処」となっていることもあり、ラーメン店という印象は受けないが、筆者的にはラーメン店。ラーメンをテーマにしたグルメ番組で紹介されると行列店になり、しばらくすると通常に戻る、そんな店。気にはなっているのだが、なかなか入れずにいる。(アド街で出てくると、また機会を逸することになりそうだ)

でぐち弐番

 東京メトロ南北線&埼玉高速鉄道の赤羽岩淵駅。その2番出口の隣にあるので、この店名。赤羽岩淵には似つかわしくないオシャレカフェだが、名店のようである。

カツキッチン

 店名から察すると「カツ」関係だが、イタリアンレストランである。(恥ずかしながら、ここを知ったのもつい最近)

洋食いしだ

 いわゆるレトロ食堂に該当すると思われる。番組的には外せない一軒。

宝幢院

 普段はひっそりしているが、節分の時などは賑わう。宝幢院の前には江戸期の道標(1740年〜)が残っていて、「東 川口善光寺 日光岩付道」「西 西国冨士道 板橋道」「南 江戸道」と標されている。江戸道は、市中のあちこちにあり、これが唯一という訳ではないが、重要な一つだったことには違いない。

八雲神社

 日光岩付道(日光御成道)の宿場、岩淵宿の鎮守社。(→詳細

 

熊野神社

 今回の予想エリアでは東端に位置する。自転車で行けばどうということはないが、放送予定日がわかって以降の日数少なく、訪ねに行くには時間がなく...(とりあえず名前だけ)(v_v)

正光寺

 いつの間にこんな立派な寺社が?というのが正直なところ。(2011年7月に再建されるまでは、廃寺のような状態が続いていたそうな) 大観音像があり、外からも拝むことができる。境内にはまだ入ったことはない。

  • ズバリ BEST5

黒田機器

 会社としては、神田須田町に商事部、北区志茂に製造部という紹介になっていて、北区観光ホームページでは「事務所棟」と出ている。昭和初期、1934年に建って以来、その形をとどめている。(参考→会社沿革 歴史的建築物と言っていいだろう。

中央街(馬鹿祭り)

 春の名物、「赤羽馬鹿祭り」の開催に合わせて番組を組んだとすると、パレードの通り道を取り上げつつ、祭りを紹介するだろう、ということで。日テレの2010年秋のドラマ「Q10」ではこの辺りが舞台になり、話題になった。

小山酒造

 随分と経ってしまったが、初めてここを訪れた時の話は、第25話の通り。アド街の「赤羽」編では、2000年の回が第3位、2005年の回は第4位。今回は何位だろうか?

 

宿場町(岩淵宿)

 おそらく岩淵町全体に☆を付けて、その風情や佇まいを伝える場面が出てくることが予想される。「かつては岩槻街道の宿場町として賑わった街」との番組予告をどう映像として出してくるか、一つ見ものである。街道に関して言えば、渡船場の跡も出てくるかも知れない。

水門、桜堤緑地など

 惜しくも花の盛りは過ぎたが、新荒川大橋を挟んで西は「荒川赤羽桜堤緑地」がある。東は「荒川岩淵関緑地」で、さらに行くと、旧岩淵水門(通称「赤水門」)、知水資料館、荒川下流河川事務所、岩淵水門(通称「青水門」)と続く。新河岸川、隅田川、荒川の3つの河川関係でまとめて取り上げられる可能性も大?

 新河岸川と桜堤

 新荒川大橋から見た桜堤(芝桜風仕立て)

 左が荒川、中央が赤水門(その先が隅田川)で、さらに青水門と続く

 写真は、4月8日の日曜日、17〜18時の時間帯に撮りに行ったものが中心。暗くなる前ということで、時間が限られてしまったが、自転車を使っても1時間ではとても足りない、というのが岩淵町である。道路の総延長が長〜いこと、入り込むと迷うこと、も一因だが、見どころが多いというのが最たる要因と思われる。どこに何があるかは行き当たりばったり、とにかくその気になればネタが出てくる街、というのがわかったのは大きい。
 他には、2つのタワーマンション、そのまた隣の不思議なビル、というのもあるが、ランドマーク以外の巨大建築物は番組ではあまり出てこないので、あくまでおまけ。

 左の建設中マンションの隣に、右枠写真の不思議なビルがある

 啓愛社というのが入っているビルらしいのだが...

 とにかく楽しみに見させてもらうとしよう。

  • 追記

 番組放送は4月14日(土)の21時。本来なら、定期更新日(15日)が番組放映翌日に当たるため、放映後にレビューとして載せればちょうどいい訳だが、今回は予想重視につき、前倒しである。番組の振り返りレポートは、余地があれば次回第352話(5月1日予定)で、と考えている。

  • こちらもどうぞ...

第59話 赤羽 / 第61話 短縮形ネーミング / 第242話 北赤羽≧浮間&桐ヶ丘?

2005年4月2日のアド街

「街」リスト(過去のオンエア履歴)

 

第350話 とうきょうスカイツリー→笹塚(2012.4.1)

 ダイヤ改正初日、駅名改称当日、ステーションタッチラリー2日目、地球環境映像祭2日目と、それぞれ別の日でも良さそうなイベントが重なることがある。それは3月17日(土)。翌日に振り向ければいいだろうという向きもあるが、そうもいかない。当日限定発売とかその日でないと見られないプログラムがあったりするからだ。と、こういう時に重宝するのが、自在に移動するためのパス。筆者は迷わず、都バスのIC一日乗車券を選ぶ。

 この日のダイヤ改正は、JR各社のみならず、首都圏では小田急、東武(伊勢崎線・日光線)、東急、東京メトロ、都営(三田線・大江戸線)、埼玉高速鉄道、箱根登山鉄道が、それ以外には、青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道、秋田内陸縦貫鉄道、会津鉄道、ひたちなか海浜鉄道、関東鉄道、のと鉄道、伊勢鉄道、土佐くろしお鉄道、平成筑豊鉄道、筑豊電気鉄道などと盛りだくさん。ただ、改正に伴って、写真で伝えられる変化というのはあまりなく、新しい駅が開業、新しい車両が走り出す、駅名標が変わる、といった要素がないとピンと来ない。そこで目を付けたのが、東武の路線愛称新設と駅名改称で、あわよくば記念乗車券も、という魂胆で「とうきょうスカイツリー駅」をまずめざすことにした。前日までの駅名は、業平橋。東京スカイツリー直下のトレンド駅である。

 3月11日、「列車の一旦停止訓練」(14:46から1分間)に合わせて、東武伊勢崎線に乗り、「業平橋」へ。(見納め&撮り納め)

 ストラップ、乗車券ともに300円。このお値ごろ感が人気に拍車をかけた?

 いつものようにある程度調べておいてから臨むも、バスは定刻通りに行かないこと多々につき、本数が少なそうな系統だけをチェック。旧・業平橋駅を通る系統としては、鶯谷駅に近い下谷二から[上26]に乗るのが良さそうだったので、その9:32発を待つ。雨の中である。

 雨にしてはまぁまぁと言えるだろうか。9:40になる前には乗車できた。が、窓は曇りがち。あまり通ることのない言問通りの景観を楽しむには、悪条件だった。15分も乗ると目的地が近づいてきて、次は「業平橋駅」と来ると思いきや「とうきょうスカイツリー駅」! 都バスもきちんと東武の改称に対応済みだったのには驚いた。驚いたのはもう一つ、その英文表記である。"TOKYO SKYTREE"と表示すべきところ、ヘボン式での直球勝負。"TOKYO-SUKAI-TSURI"と来た。何のための英文表記なのかがわからなくなる例である。(SUKAI-TSURIを外国人が見てどう思うかといった検証がなされていないことがよくわかる。)

 車内の電光表示にご注目

 その停留所の名は、「TOKYO-SUKAITSURI-EKI-IRIGUCHI」

 驚いている間にバスは東武の下を通り過ぎ、駅前には着かず、浅草通りに面した停留所、駅入口の方に停車。駅前道路の整備中につき、仕方ない話ではあるが、SUKAI-TSURIで「?」が点灯して、降りてみればEKI-IRIGUCHIで「!」。都バスでスカイツリーに来る外国人客が少数であることを祈るばかりである。

 雨曇時だとスカイツリーがどう見えるかを検証する意味ではよかったが、これ(←)はいくら何でもという気はする。もっともこの日のお目当ては、改称したての「とうきょうスカイツリー」駅の方なので、ツリー下でどうこうする心算はない。迂回路を通り、正真正銘の駅入口へ。見事なまでの駅名表示が飛び込んできた。しかもこっちは堂々「TOKYO SKYTREE Station」。胸のすく思いで眺めつつ、何枚か撮影。ついでに長蛇の列の方も撮らせてもらった。記念乗車券が買えないのであれば、せめてその現場だけは記念に、というパターン。徹夜組がいた?といった話を聞けば、諦めもつく。5,250セット、6時間で完売だそうな。(あのまま並んでいれば買えなくはなかったと思われるが、捌き方があまりにもお粗末だったので、並ぶ気になれなかった、というのもある。)

 直下駅というのが構図的によくわかる

 浅草はTS-01、押上はTS-03。ただし、TS-02の次は03ではなく04の曳舟。

 浅草 or 押上〜曳舟〜東武動物公園の区間の別称が「東武スカイツリーライン」になったこと、その区間の駅ナンバリングが「TS-」(例:とうきょうスカイツリー駅は、TS-02)になったことは、こうした掲示物で確認するばかり。東武線に乗って来た訳ではないので、この日はこれまで。券売機で普通に入場券(来場記念)だけ買って、退散である。

 この先の行程はあまり考えていなかったので、目に付いたバスに乗ってから路線図を広げることになる。「駅入口」ではなく、「駅前」には[業10]がちょうど停車中だったので、乗車。10:17発だった。(業平橋駅が過去形である以上、この[業]の表記も変える必要がありそうだが、さすがにこの時は変更なし。[スカ10]とかになるかどうか、見どころである。)

 東京スカイツリーから山手線の中にバスで入るには、「夢の下町バス」を使う手もあった。時間を調べておけば...というのはある。ま、行楽日和に乗るとしよう。(仮に10:21発に乗っていれば、10:40に上野松坂屋前に着。)

 [業10]に延々と乗って銀座に出ると、次のテーマ、「ステーションタッチラリー」を銀座駅で一つこなせるというのがあったが、銀座〜四谷は何とかなるとして、その先の四谷四(地球環境映像祭会場最寄)へのアクセスに少々難がある。「ステーションタッチラリー」のタッチ端末は、飯田橋と市ヶ谷にもあるので、それをつなぐ方が効率的かつ、四谷四にも出やすいことが途中でわかったため、早々に石原三で降り、[都02]に乗り換え、御徒町に出ることにした。御徒町に来れば、通勤定期券での移動も組み込める。もちろん、上野広小路から[上69]→大曲で[飯64]に乗換→飯田橋駅へ、というのもあったが、乗換時間の間延びリスクを考えると電車の方が確実だし早道。[都02]は高頻度バスなので、というのも乗換理由だったが、これは残念ながらハズレ。スカイツリーから遠くない地でありながら、ツリーが見当たらない不思議な場所で、10分は待った。御徒町に着いたのは10:50過ぎ。「夢の下町バス」だったら・・・余念は消えない。

 とりあえず、腹ごしらえをして、次は電車。定期券で出れるのは水道橋までなので、飯田橋までは徒歩。線路沿いに歩けば済む話で、距離もあまりないので楽勝なのだが、問題はバスの時刻。ケータイやスマホがあれば...と思うのはこういう時である。停留所に着くと、幸い11:49発の[飯64](九段下行き)があり、あと10分程度。タッチ端末が駅の東口だったのも幸運だった。(反対側の西口だと、10分=制限時間ギリギリ、になるところ)

 いくら一日乗車券があるからとは言え、飯田橋から市ヶ谷に出るのに、バスを2回乗るというのもどうかと思うが、うまく乗り継げた時の楽しみもあり、止められない。九段下に出て、10分ほどで[高71]に乗る。このまま市谷仲之町交差点まで行けば、四谷四に出るバスに乗り換えできるのだが、タッチラリーを経由する都合上、早々と市ヶ谷駅で下車。ここでの乗り継ぎは出たとこ勝負だったが、12:27発とピッタリのが来て、我ながらビックリ。本数は決して多くない[橋63]である。

 市ヶ谷駅(都営新宿線)のタッチ端末

 飯田橋駅〜九段下〜市ヶ谷駅〜若松町...(参照)

若松町にて これに乗ると、今度は若松町での乗換(12:39着−45発)で、[早81]が来ればOK。懸案の四谷四に行き着く。だが、当の地球環境映像祭で、自分なりに必見としていたプログラムは、14:50からの上映につき、まだだいぶ時間がある。はてさて…

 この[早81]、よく考えると長々と乗ったことがない。ならば終点の渋谷駅まで行こう。渋谷にもタッチ端末があるので、具合はいい。車窓+時間稼ぎ+タッチラリーの一石三鳥。四谷四で降りず、そのまま終点(実際は循環系統なので、乗り続ければ四谷四に戻れる)へ。で、この[早81]がなかなか良好で、大京町界隈に、千駄ヶ谷の裏手に、原宿の皇室専用ホームの奥の方から原宿駅の脇を抜け、五輪橋を渡り、公園通りへ、というルートに至っては、筆者的にはこれ以上ない組合せで、歓喜の極み。一人遠足状態である。

 上々の[早81]だが、実は本数が少ない。渋谷には13:20頃に着いたが、次は13:57発である。タッチラリーもあるし、何せ渋谷なのでどうとでもなるのだが、この運転間隔はちょっとなぁ、と思う。定刻ではなく、14:0X発だったが、いよいよ以って、地球環境映像祭へ。四谷四には、14:2Xに到着。

 20回記念にして、今回がひと区切りとなる地球環境映像祭、またはアース・ビジョン(→webFacebook。招待券をいただいていたこともあり、久々に参加した。14:50からは、マングローブの津波被害抑制効果を実話で証明する「自然の楯」。15:20からは、「海と森と里と」。いわゆる「森〜里〜川〜海」のつながりの話。広葉樹を大々的に針葉樹に転換したかつての植林政策のツケで、養分を蓄積しない山林が増え、森が荒れ、川や海が脆弱(言わば肥沃の逆)になっているというのは、考えるところ大。何だかんだですっかり感化(この場合、環化?)されてしまった後で、再びバスに揺られる訳だが、着く先が新宿となると、益々やるせない。空腹だと余計だ。

 軽食を取り、気を引き締め、先をめざす。タッチラリーの次なる駅は、京王線の笹塚と決めた。新宿からの都バスはないが、初台の近くに出れば、[渋66]に乗れる。初台に出るには、OZONEのシャトルバスがいい。待機していると比較的すぐ現れて、あとはスイスイ。OZONEからは、新国立劇場の停留所へ。出発時刻は、17:17とある。四谷四を発ってから1時間ほど経っていた。まぁまぁのペースだったが、[渋66]、少々遅れていて、17:2X発だった。

新宿伊勢丹前ではすっかり暗く... かつては自転車でよく往復していた甲州街道をバスは走る。気付けば笹塚駅に着くところで、あわてて降車。見違えるようになった笹塚駅で、この日最後の端末タッチを終え、さっきの逆を辿って新宿駅へと戻る。笹塚駅は17:44発、OZONEは18:10発、そして、新宿伊勢丹18:41発で池袋に向かう。王子まで乗り継いだら、都バスはおしまい。おさらいすると、都バスの乗車は以下のようになる。

 下谷二〜とうきょうスカイツリー駅入口、とうきょうスカイツリー駅前〜石原三〜御徒町駅、飯田橋駅〜九段下〜市ヶ谷駅〜若松町〜渋谷駅西口〜四谷四〜新宿駅東口、新国立劇場〜笹塚駅〜東京オペラシティ南、新宿伊勢丹〜池袋駅東口〜王子駅

 乗車回数13回、これで500円。時間はかかるが、あれこれと掛け持ちするにはこれでいい訳だ。期せずして、あまり乗ったことのない系統にご縁があった一日でもあった。朝はとうきょうスカイツリー駅、その先はステーションタッチラリーのおかげである。

  • 付記

 ステーションタッチラリーは、SuicaペンギンまたはPASMOロボットを各2つ以上合計5つで1回抽選というのが基本。ペンギンは、JR東日本の7駅(都区内では、王子・上野・飯田橋・渋谷・品川)、りんかい線と東京モノレールの各1駅、ロボットは、京王、京成、京急、つくばエクスプレス、新京成電鉄、西武、東急、東京メトロ、東京都交通局、東武、北総鉄道の各1駅にタッチ端末機(→分布)があるので、周遊できる人は集められるが、そうでない人はなかなか厳しい。
こんな感じで揃っていく 筆者の場合、定期券で下車できるのが王子と上野、歩けば何とかなるのが飯田橋、何かのついでで行ける可能性が高いのが市ヶ谷(都営)と銀座(メトロ)で、この5駅を1セットにすれば、期間中は何度でも抽選に参加できることになるが、端末稼動時間(10〜20時)にそうそう行けるものでもないので、難航。抽選の方は、秋葉原であれば定期券で下車できるのでいいのだが、これは時間的制約があり(11〜18時の間)、平日はまず無理。自ずと抽選機会は限られてくる訳で、「労多くして何とやら」になる可能性は大である。どういう顛末になったかは、またどこかで紹介できれば、と思う。

  • こちらもどうぞ...

第58話 水曜クリーンキップ〜地上を走る公共交通 / 第94話 新宿区若松町〜東京百景 予告編 / 第142話 都心周遊(都バス編) / 第331話 牛込弁天町と目白台〜「白61」往復記 / 第338話 注意書き@都バス

 

第349話 店名書体(2012.3.16)

 これまでに店名等の標記関係では、「?」(なぜ)や「!」(おっと)の観点で見て撮って載せて、というのが主だった。(→第124話第279話第342話など) 今回は、言わば王道というか、真っ当と思われるものを撮り集めた新シリーズ。着目したのは、その書体の佳さである。

 看板というのがいかに大事か…それはその書体から意気込みというか姿勢というかが少なからず伝わってくることからしてもよくわかる。逆を言えば、看板や書体がいい加減だと、その店に対する客の見方や向き合い方もいい加減になる可能性があるということだ。あまりにお粗末な店にはそもそも入る気が失せる。その粗雑さが妙味、という場合もあるが、初見・新参の客を引き寄せる上ではあまり効果的とは言えないだろう。

 気になる例を集め出したのが数年前。本郷・湯島エリアに通う機会が多かった時期に始めたのだが、それ以上の広がりがなく、暫く停滞していた。他のエリアでも気付いた時には撮っていたのだが、数が集まらない。と、1月下旬から常勤生活を再開することができ、その職場が神保町と九段下の間、というのが停滞打開の好材料となった。粋な看板が多そうな街にアクセスできるかどうかが一つのポイント。神保町という地の利を活かし、あれこれルートを変えながら、朝に昼にと探し集めた成果、それが今回のメインである。

 当然のことながら、日中と夜とでは見え方が違う。夜編で特集した方が味があって良さそう?というのもあったが、それはまたの機会に、と思う。(もっとも、看板またはその周りに照明がない限りは良し悪しはわからないので、明るいうちでないと調べられないというのはある。)


【本郷・湯島】

  • 村中医療器 東京支店

 これを目にして、店名の書体に関心が行くようになった。つまり、きっかけの一つ。ただし、看板はこうでも、webサイトは...(→web

 

  • 増田楽器店

 どこか希薄な感じがするが、これも趣向のうちか。何の楽器を扱っているのかは不明。

 

  • 本牧亭

 ご縁は全くなかったが、店じまいするというので撮ったのがこれ。(2011年9月16日撮影、閉場は24日→参考記事 つまりこの時は書体云々は関係なかったのだが、今見るとなかなかどうして、である。

 

  • 仲町通り 堺屋

 湯島というよりは上野・御徒町エリアだが、堺屋という名だたる酒屋が仲町通りにある。その「堺屋」の標記もさることながら、その前置きに当たる「和洋酒食料品」の字がまた佳かったので、それを掲載。(建物も台東区の「まちかど賞」に選定されるなど歴史的価値あり)


【御茶ノ水・神保町】

  • ひまわり寿司

 新宿にもある。チェーン店のようだが至って少数。そんな控えめな感じが字にも表れている?

 

  • イシザワメガネ

 お隣は「イシバシ楽器」。縦型の方は、イシザワもイシバシも似たような印象だが、横書きの方は意匠的に優れていると思う。ホームページもハイセンス。(→web

 

  • 山の上ホテル

 和も英もどっちもいい。素朴な中に品の良さを感じる。ちなみに、英の表向きは、HILLTOPだが、webの方はyamanoue。(→web

 

  • 魚百本店

 建屋の雰囲気などを含め、総合的に評価。幟の書体もまたいい。

 

 

  • 文房堂

 まずは建物に歴史を感じる。書体はその裏づけというか重みづけ。いや、この書体にして、この建物あり!だろう。建物と書体との相乗効果の好例である。「千代田区景観まちづくり重要物件」というのも頷ける。ちなみに、読みは要注意。文房具の読みを当てはめると間違う。「ぶんぽうどう」が正しい。(→web

 

  • 鴻(オオドリ)

 はじめに目にしたのが居酒屋の方。裏手の路地に面しているためか、雰囲気がある。スープカレー屋の鴻(神田駿河台店)もあるが、交通量の多い明大通り沿い。同じ「鴻」でも看板の仕様が異なり、こっちは少々見劣りする。

  • CHARLES E.TUTTLE

 出版社のようだが、実態不詳。ただ、古書店の中にあって、その存在感は小さくないものがある。横文字というだけでない何かがある。

 

  • 大金星

 お値段以上の大衆居酒屋というのが気になるが、「大金星」の書体は上々。この手の店だと、自前のホームページがないことが往々にしてあるが、きちんと独自ドメインで持っているからまた天晴。ホームページの中でも同じ看板を見ることができる。(→web

  • 奥野カルタとレコード社

 「カルタ」だったり「かるた」だったりするが、老舗ならではの味がある。(web上では「かるた」)/レコード社も頑張ってはいるが、ちとやり過ぎか。ただし、webサイトの方は絶品である。

 

 

  • 三多軒

 書体にこだわりを感じたので、とりあえず撮っておいて、あとで調べる。書道用品の専門店だった!というオチ(=当然の帰結)。(ただし、webにはあまり注力してなさそうな印象)

  • 咸亨酒店

 達筆過ぎて読めない? 否、そもそも店名に難あり。日本人にはあまり馴染みがない漢字の店。辛うじて、「咸亨」であることがわかった。(→web

おまけ) 上海朝市

 胡雄さんによる書というのは咸亨と同じ。姉妹店であれば、当然か。ただ、こちらは「海」の字がいま一つ。(比較例として掲載)

  • おにぎり小林

 それほどのものではないかも知れないが、何となく。東武東上線は大山に「木林森」という名の店があり、それを撮っておいたのを思い出し、その対比ということで紹介。「林」つながりである。同じ字でも書き様で印象が変わる。おにぎりの方が親しみやすく、四季の味の方は手堅い感じ。もっとも、「木林森」の方は書体云々よりもネーミングである。

  • 吉田歯科医院

 漢字の成り立ちを見るような字体で目を引く。水道橋の「水」に至っては、「川」に限りなく近い。同じ「吉」でも大違いという例として、ここでは吉野家を一つ。注目すべきは、「口」の上が、「士」なのが歯科で、「土」なのが牛丼、ということである。

  • 一ツ橋画廊

 日本教育会館の一階にある。当初、「書廊」と思っていたが、「画廊」だった。書も画も字の起源としては似ているということだろうか。(→web

 


【日暮里の西(谷中ぎんざ)

 今回のテーマに打ってつけだったのが、谷中、それも「谷中ぎんざ」だった。こじんまりした商店街だが、それ故の連帯感のようなものがあり、それが看板に表れている、と言っていいだろう。一定の規格を設け、どの店も同じような大きさのものを掲げ、その書体やデザインはかなりの力の入れ具合。今まであまり訪れなかったのは、この看板ネタのためにとっておいたようなもので、思いがけないというか、奇遇を感じた次第。何枚も撮った中から、ピックアップしてご紹介する。(いずれ「谷根千」エリアでしっかり探索しようと思う。)

  • 明富夢

 富士山の熔岩でできた窯で焼き上げたパン、といったことが書かれてある。富は富士山からとったものだろうか。ネーミングも冴えているが、その当て字を擬人化しているところがまた秀逸。

  • そば 畔上

 軒にも看板は存在するが、壁面のこの看板がまた何とも言えず... 谷中銀座商店街のホームページでは、「かみやうどん」のままだが、その後継店に当たる。

 

  • 間下時計店

 トリミングしたので角度がおかしくなっているが、看板と吊り時計をセットで見てもらおうという都合でこうした。ネジ巻き式を想起させる書体は称賛モノである。(原点に忠実ということだろう)

  • 菅井生花

 花屋だが、例えばチューリップにつく葉がそうであるように、細くてしなやかな葉をイメージしたような書体である点がポイント。触れると痛そうではある。

 

  • はつねや&初音家

 紛らわしいが、「はつねや」は衣料雑貨店で、「初音家」は惣菜店。看板の妙、読みが同じ店が並ぶ妙、そしてこの本物と見紛うばかりの「看板ネコ」の妙・・・必見である。

  • だんだん ひだまり

 谷中ぎんざは、はつねや迄。そのはつねやの角を曲がると、よみせ通りに出て、趣のある店がポツポツ出てくる。焼酎の「だんだん」と麺の「ひだまり」は、その字体こそ対照的だが、ひらがな4字どうしという点で共通で、両者いい味を出している。町家風の建物がまた絶妙。

 店名ではないが、谷中の外れに2つ、字面がいいのがあったのであわせて紹介する。

  • フリューゲル谷中

 ちょうど陽射しの加減で陰影が現れて、より立体的に見える

  • やなか音楽ホール

 あまり目立たないが、実に繊細な感じで、芸術性が窺える。音符と文字の合成がまたCOOL。


【その他】

  • 亀田製印所

 秋葉原にあるためか、先進的な観ありだが、その書体は至ってクラシック。1845年創業という老舗ゆえの書。印鑑・印章の店だけに印象的(?!)。

 

  • 海老屋美術店

 おそらく日本橋界隈も、看板・書体ともに秀でた店は多い筈だが、重点的に調べる機会なく、今回はこの一軒のみ。美術店だけに建物も上等。(→web

 

  • 作楽会館(一般社団法人 作楽会)

 近くにお茶の水女子大学があり、同・附属高等学校の同窓会母体が作楽会。その会館である。これで「さくら」と読む。「伝統書体」とでも言うべきか。

 


 書体につられて、関心を寄せるというのは大いに有り得る。看板はなくとも、レタリングの工夫一つで客を呼び込める可能性は十分。インパクト頼みの看板が氾濫する中だからこそ、逆に文字に注意を払い、静かな力を持たせる、というのはありだろう。書体に限らず、縁取りや色合いや形状や、自分なりの着眼点を以って、観察・収集する、というのは趣味としても悪くない。街歩きにおける一つの要素、さらに発展させれば、街づくりにおける一大要素にもなると考える。引き続き、観察・観賞しようと思う。

 

第348話 都区内全駅乗降(2012.3.1)

 東京モノローグを陰で支えるものの一つに、記録帳なるものがある。特にそれなりの年数を遡る際にはこれが欠かせず、一例として、第256話第264話第275話第283話など過去との対比ネタが挙げられる。単に「何月何日にどこに行ったか、何を買ったか」程度なのだが、何事も記録しておくに超したことはないと改めて思う。当然、「何線にどこから乗って、どこで降りたか」がわかるような記録も綴ってあるが、今読み返してみると、これが案外あてにならない(「どこからどこまでを歩いたか」が中心なので、乗り降りが読み取れる場合とそうでない場合があるという)ことがわかり、第294話頃に作った乗降記録用のデータベースへの入力を断念したところである。

 生まれて初めて電車に乗ったのは、おそらく小田急線の世田谷区内の駅であることは確かだろう。小学校に入る前までは経堂に住んでいて、祖父母の仕事の関係で、都内各地の印刷会社などに連れられていたので、山手線とその内側の駅も結構あちこち乗り降りはしていた。再び東京に戻り、学生生活を始めた1987年春からは、新たな気持ちで電車に乗り、初めて訪れる駅についてやはり気分新たに堪能し、チェックしていた訳だが、そのチェック方法があまり宜しくなかった。1987年よりも前については、記憶を頼りに「基礎」分として簡単な路線図にチェックペンで赤入れをするも、その新たな乗り降りについても同じチェックペンで足していってしまったため、「○月○日」もなければその順番もない。一方で記録帳はと言うと、路線図にチェックを入れればOKにしてしまっていたため、あまり正確に綴っていなかったというのがある。

 本来なら、(1)基礎分、(2)記録帳に基づく1987年以降の分、(3)記録帳とは別に、乗り降りに特化してきちんと記録をつけ始めた1992年10月以降の分、の3つがあり、(2)を再点検して(3)と連続できる状態に持っていく、つまり順番や年月日を伴わないデータは(1)のみにするということを考えていた。が、(2)が不明確ということでは如何ともし難い。むしろ(1)を何とか思い返して、差分で(2)を出してから記録帳と対照させるか・・・いや、さすがにそこまでする余力は、ない。

 そもそも何故こういう話になったかと言うと、少なくとも東京都23区内の駅(停留場含む)については、赤チェックが万全で、先述の(3)も間違いがないことが確実で、最新の駅数でその全ての乗降を達成したから、である。

 達成できた以上は、ある程度遡ることで、その履歴を作ることが可能な筈。で、(2)を始めてみた、が、どうも駄目だった、という経緯である。

 とりあえず、わかる範囲で入れてみるとこんな具合にはなった。初めてその駅を訪れた(であろう)都内の駅一覧である。(同じ日付内での乗降順のようなものもある程度はわかるものの曖昧な点も多いので、同日内では50音順にした。)

乗降年月日

駅名

略称

1987/3/30

鶴川

小田急

1987/4/6

狛江

小田急

1987/5/31

蒲田、五反田、自由が丘、田園調布、二子玉川、目黒

東急

1987/6/29

喜多見

小田急

1987/7/31

つつじヶ丘

京王

1987/10/31

小田急多摩センター、千歳船橋

小田急

京王多摩センター

京王

1987/11/28

小川町、新宿三丁目

都営地下鉄

九段下

メトロ

明大前

京王

早稲田

メトロ

1987/12/13

蒲田

JR

1987/12/21

代官山、都立大学

東急

1988/2/8

池尻大橋、三軒茶屋

東急

中目黒、乃木坂

メトロ

1988/2/10

曙橋

都営地下鉄

千駄ヶ谷

JR

四谷三丁目

メトロ

1988/2/12

京橋、麹町、虎ノ門

メトロ

1988/2/14

青山一丁目、外苑前、国会議事堂前、永田町

メトロ

1988/2/20

学習院下、東池袋四丁目

都電

新大久保

JR

神保町

メトロ

1988/2/22

内幸町、御成門、芝公園、泉岳寺

都営地下鉄

桜田門、半蔵門、広尾

メトロ

1988/2/23

大崎、駒込

JR

大塚駅前、早稲田

都電

末広町

メトロ

千石、高輪台、三田

都営地下鉄

1988/2/24

江戸川橋、神楽坂、霞ヶ関、後楽園、新大塚、
千駄木、根津、東池袋、本郷三丁目

メトロ

春日、白山

都営地下鉄

1988/2/27

松原

東急

 逆に、その23区内ラストを含む直近までの都内の初乗降駅一覧は、下表の通り(駅名にリンクが付されているのは、「駅ログ」掲載済みを示す)。

乗降年月日

駅名

略称

所在地

2012/1/5

西武立川

西武

立川市

武蔵砂川

2011/12/27

荒川七丁目

都電

荒川区

荒川二丁目

北千住

TX

足立区

六町

2011/11/29

青井

秋葉原

千代田区

2011/3/8

新整備場

東京モノレール

大田区

2010/11/20

羽田空港国際線ビル

2010/11/17

羽田空港国際線ターミナル

京急

2010/1/9

柴崎体育館

多摩モノレール
第297話

立川市

甲州街道

日野市

万願寺

高幡不動

程久保

中央大学・明星大学

八王子市

大塚・帝京大学

松が谷

高松

立川市

立飛

泉体育館

砂川七番

桜街道

東大和市

上北台

立川南

立川市

2009/6/30

新柴又

北総

葛飾区

2009/4/25

西府

JR

府中市

2008/7/26

雑司が谷

メトロ
第263話

豊島区

西早稲田

新宿区

北参道

渋谷区

東新宿

新宿区

2008/6/2

赤土小学校前

日暮里舎人
第259話

荒川区

熊野前

足立小台

足立区

扇大橋

高野

西新井大師西

谷在家

舎人公園

舎人

見沼代親水公園

江北

2008/4/3

西日暮里

荒川区

日暮里

2007/8/11

穴守稲荷

京急

大田区

2007/5/19

大井町

りんかい

品川区

糀谷

京急

大田区

2006/11/12

羽田空港第2ビル

東京モノレール

2006/10/7

東あずま

東武

墨田区

2006/3/27

新豊洲

ゆりかもめ

江東区

市場前

有明テニスの森

豊洲

2005/8/24

浅草

TX
第192話

台東区

南千住

荒川区

新御徒町

台東区

2005/7/20

東尾久三丁目

都電

荒川区

町屋二丁目

2004/6/6

大崎

りんかい

品川区

2003/6/1

滝野川一丁目

都電

北区

荒川一中前

荒川区

2003/3/31

清澄白河

メトロ
第134話

江東区

住吉

錦糸町

墨田区

押上

 同じ日付でも順番通り、つまり下から順に乗り降りを重ねてきた格好にはなっている。「東京モノローグ」ゆえ、これら都内駅にまつわる話は、何らかの形でお伝えしてきたものが多い。ただし、昨年末のラスト4駅については、第344話の5.の通り、軽く触れた程度で「一つお楽しみに」扱いだった。そのお楽しみの分を今回載せるとなれば、即ち、都区内全駅達成記念と言ってもいい訳だが、それでは物足りない。ここ一年ほどの残り7駅を振り返る、ということにしようと思う。(1987年からの一大レビューで記念すべきところ、それが叶わないのは先に述べた理由による。)
 *「駅ログ」の方ではすでにレポート済みなので、ここでは載せていない画像を中心にお届けする。


 第327話の通り、ANA機体メンテナンスセンターを訪れることになり、同駅で初めて下車。あれから、もうじき一年。そして3.11からも一年。

 

  • つくばエクスプレス(TX)の都内駅4つ

秋葉原

 第192話で開業初日レポートを出したはいいものの、そうそうご縁がある路線ではないので、何かのついでにこまごまと乗り降りするしかないのがTX。全20駅中、都内の駅は秋葉原から六町までの7つだが、そのうち4つが開業後6年経ってもまだだった、というのは何ともお恥ずかしい限り。前話第347話でエアコンのカタログがどうこうと書いたが、それを集めるために秋葉原を訪れ、その足で一念発起して乗車したのが、この秋葉原〜青井である。

青井

 乗って降りたはいいものの、青井は未開な感じが強く、暗く不案内な中を綾瀬川を頼りに南下。常磐線は早くに視界に入るも、その距離がなかなか縮まらず、途中多少の道草があったにせよ、綾瀬駅に辿り着いたのは実に約30分後。明るさが残る時間帯だったら、また違った印象になっただろうし、もっと早く着いたかも知れない。何はともあれこのひと乗りで、残り4駅になった次第。

六町

 青井から4週間後、いよいよTXの都内駅残りと、都区内駅ラスト2駅をクリアするプチ旅を決行。後押しになったのは、「カーボンオフセット付き一日乗車券(都営まるごときっぷ)」。都営交通100周年記念の品として買っておいたものの、使わないのはかえってもったいない(もちろん、どこにも出かけない方がカーボンオフセットというか「カーボンレス」でいいと思うのだが)。期限が2011年末だったので、ギリギリではあったが、とにかく外出日を設け、朝早くから出発した。六町までは都バスの乗り継ぎで近くまでは行けることがわかっていたので、使い道としては丁度良かったのである。

 都バスの希少系統[有30]で西加平へ。10分も歩けば六町に着く。青井と違って、大きめのスーパーもあるし、バスロータリーもあるので、駅前でキョロキョロしてるとすぐ時間が経ってしまう。TXに乗ったのは9:50で、目的駅、北千住には9:55着。

北千住

 北千住からは行き当たりばったりで、とにかく都バスで都電荒川線のどこかにアクセスできればいいという程度。だが、改めて都バスの路線マップを見ると[草43]で三ノ輪橋に出るのが順当なことがわかり、日光街道まで歩く。街道に出れば、千住二丁目の停留所はすぐである。が、意外と本数が少ないことに気付かされ、時計を見ると、千住だからか"10:10"で、バスの時刻も同じ。幸い少々遅れていたため、事なきを得たが、ドンピシャで10:10発でもよかった気もする。

 TX北千住駅(浅草寄り)からはスカイツリーが至近に見える

 乗車率は高かった浅草雷門行き

8800形に乗り、荒川二丁目で下車 三ノ輪橋界隈を少し散策し、都電乗り場へ。駅周りは旧いが、車両は最新の8800形(→参考が来た。よく見かけてはいたが、実際に乗るのはこの時が初めて。ラスト乗降に向けてちょっとしたおまけができた。

 さて、都区内最後の乗り降りがTXではなく、都電荒川線の2つになってしまったには理由がある。それは両駅の間に、三河島水再生センター(重要文化財「旧三河島汚水処分場ポンプ場施設」)と荒川自然公園があったからである。いつか必ず来るから・・・という一念はありながら、それがなかなか実現せずにこの日まで来てしまったというだけのこと。肝心のポンプ場施設はろくろく見ぬまま先を急いでしまったが、思いがけず広かった荒川自然公園からは、634mに達したスカイツリーがよく望め、現・水再生センターを跨ぐ長い歩道橋からは、スカイツリー(この時は左手)に京成本線(右手)にといった具合で楽しめる。ちょっとしたビュースポットを挟んでのラスト2駅つなぎになった、というのは上出来だと思う。

 水再生センター越しのスカイツリー

 こちらは新型スカイライナー

 12月27日につき、荒川二丁目〜荒川七丁目、つまり 2 と 7 を結んで〆、というのも偶然のようなこじつけのようなである。とにかくこの日にこういう運びになったのはひとえに「カーボンオフセット付き一日乗車券」のおかげと言っていいだろう。

荒川七丁目にて 万感の想いを以って、荒川七丁目でその瞬間を待つ。ここから乗車すれば都区内の全602駅(筆者調べ)で、改札を通る、または乗車券等を呈示して乗り込む(またはボタンを押して下車)のレベルでの乗り降りを果たすことになる。

 これでまた最新車両というのも悪くなかったが、ここで来たのは最もオーソドックスな7000形。広告がないタイプだったので、余計な印象が加わることがなくありがたかった。停車、開扉、乗車! そして発車!…と思いきや、運転士殿、車両後部に回って何やら点検してから戻ってきた。都電らしいと言えばそれまでだが、ここはズルッとなるところである。が、次の瞬間ハッとなる。この時の運転士さん、何と筆者と漢字一字違いのお方だった。(こういうことがあると、つい名札に目が行く訳で...)

 全駅達成で乗った電車の記念として、これ以上のものはないだろう。奇遇にしては出来過ぎだと思った。


 という訳で、世田谷区某駅で始まった乗り降りのうち、都区内の現役の駅については全うすることができた。次は「都内」全駅ということになるが、残った19駅は、行きにくく、本数が少ないところばかり。これまで都道府県単位での鉄道駅全駅達成はまだないので、東京都が近いと言えば近いのだが、仮に沖縄にまた行くことがあり、ゆいレールの一日乗車券でも手に入れた暁には、あっさり沖縄全駅(15駅)達成!ということになりかねない。沖縄に行く前に何とか都内全駅を果たしたいものだが、こういうのは時の運。優先順位が付けられないからまた愉しい訳で...

駅名

路線

駅名

路線

軍畑

青梅線

白丸

青梅線

石神前

鳩ノ巣

牛浜

東秋留

五日市線

小作

東青梅

青梅線

川井

東福生

八高線

北八王子

八高線

日向和田

青梅線

熊川

五日市線

二俣尾

小宮

八高線

宮ノ平

古里

青梅線

武蔵引田

五日市線

沢井

 

 鉄道の話題が出たところで、直近のネタをいくつか・・・


1.NRE 「懐かしの鉄道グッズ掘り出し市」(→PDF

 RSSで入ってきた情報で「!」となり、2/24、出勤前に立ち寄る。会場は秋葉原駅構内だったので、正に道中。15分前に着いたが、話題性の割には閑散としたもので、余裕で先頭グループに入れた。その後、徐々に行列状態となり、離れた場所で待機するも、最初のローテーションで入場できる枠内だったので、気分は上々。取扱商品数の割には、売場がコンパクトだったので、概ね10人でひと区切りという入場規制だった訳だが、このコントロールはなかなかのものと思った。(日本レストランエンタプライズ(NRE)としては初の催しだったのだが、こなれた感じを受けた。)

掘り出し品の一例 押し合いへし合いというのがないため、これまた実に快適に品定めができる。しかも価格は通常よりも安く、アウトレット扱い。イベント告知にはその旨記されていなかったが、それも戦略のうちかも知れない。

 ジャンルとしては、プレート、キーホルダー、ストラップ、マグネット、タンブラー、カード、シールといったところで、リーズナブル(または実用性)志向の筆者は、

「日光号・きぬがわ号」:絵はがき、手ぬぐい 「急行能登号」:キーホルダー、シール 「富士・はやぶさ」:フォトストラップ 他

 7品で、しめて1,770円。(Suicaが使えることはあとで知ったため、この時の持ち合わせでそれなりに購入) その成果を携えて職場へ、である。今はこれも仕事のうちだったりする。

 会期は2/26までだったので、外出ついでに再度見物。日曜なので行列覚悟だったが、特に待たずに入れて、またまた余裕で買い物できた。3日間で130種類の掘り出しということだったようで、初日には見なかったアイテムが結構混ざっていて、再び「!」。次は、「レトロ横濱」のストラップ、「北陸号」の携帯クリーナーとシールなどを今度はSuicaで買い、上々だった。

 「鉄道の日フェスティバル」でもそれほど買い物しない筆者がこうなるんだから、これで掘り出し市がフェスティバルに出てきたら一大人気コーナーになるに違いない。出てほしいような、そうでないような...である。

2.小田急線 車両3種引退(ラストラン)

 小田急線沿線で過ごした年数は、約10年。となれば、なじみの車両もあるし、それが退くとなれば労いに行くし、なのである。3/16が「ラストラン」ということで、そのラストランサイトを眺めては感慨に耽ったりしていたが、スケジュールがきちんと載っているからには見に行かない手はない。2/25、毎度おなじみの新宿第一踏切へ。期せずして寒々した日だったが、その時間だけいればいい話なので、何とか持ち堪えることができた。

 HiSE10000形

 RSE20000形

 HiSE10000形の「はこね21号」(12:10発)、RSE20000形の「あさぎり5号」(13:50発)と「はこね29号」(14:10発)を見送りつつ撮ってきたが、筆者とほぼ同い年の通勤車両5000形は事前調査も空しく、残念ながらこの日はお目にかかれず。小田急新宿駅地下のグッズショップ「TRAINS」で模型を見て想いを馳せるにとどめた。やはり新松田〜小田原の方に行かないと駄目ということか。

3.東急 「デヤ7200・デヤ7290さよなら運転」(→PDF

 検測車が通るというだけで、ここまで盛り上がるとは...というのが正直な感想である。その日は2/26。ご丁寧に運行スケジュールが出ているものだから、通過(または停車)する駅ごとに結構人が繰り出していたようで、筆者が訪れた中目黒もまたそれなりの数の客人がいた。通過時刻は14:10頃と読み、14時前に到着したのだが、すでに撮影会状態。とにかくその時を待つことにした。上りの時刻表で言うなら、14:02(各停) 04(特急) 08(各停)の次。ノロノロと入って来て、「あっ」と思った瞬間、目の前をあっさり過ぎて行く。これぞ2両編成の為せる業。おかげで決定的な写真を撮ることはできなかった。

 検測車の後、14:14発の急行で渋谷へ移動。予定では渋谷駅停車中の14:14〜36に花束贈呈式があると言う。だが、前評判通り、渋谷駅の人だかり(=カメラの放列)は凄まじく、隣の番線に停車中の電車に乗るのも至極困難な程。とりあえず、停車中の2両を遠く近くに眺めたり撮ったりしながら、乗車側ホームを進む。やがて道が開け、検測車の先頭もよく見える状態になった。程なく発車時刻。今度は検測車よりひと足先に再び中目黒へ(14:30渋谷発の特急で14:33に到着)。以後、35(各停) 38(急行) が続き、再度、デヤがやって来た。予習済みなので、今度はバッチリ。動画で収めることができた。

 渋谷駅のこの盛況!

 中目黒を通過(この後は元住吉まで行って、武蔵小杉→大岡山→二子玉川と通り、長津田で入庫して引退・・・おつかれ様〜)

この光景もあと1年ほどで見納め "さよなら運転"は、正にメモリアルイベント。だが、忘れてはいけないのが、今回往復した東横線区間もまた、ということである。2012年度中に、代官山〜東横線渋谷間が地下化され、副都心線と直通するようになる。引き換えに、現在地上・高架を走る線路がなくなる! つまり、代官山からカーブして、山手線などの線路を跨ぎ、さらに大きく曲がって、雑居ビルの隙間を縫うようにして到達するあの車窓も見納めになるのだ。今のうち、ということで東横線に乗る機会があれば、よく見ておこうと思う。

 

 

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