随筆「東京モノローグ2008」(9−10月期)
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祝!竹内まりやデビュー30周年〜「街のところどころに彼女がいました」第266話 「Expressions」

「ビーチクリーンアップ in 城南島」にて (つばさ浜 クリーンアップ前)第267話 水と公園と海と〜 9月28日→10月4日 出来事記録

NICSスーパーフェアのチラシ。筆者は何度か足を運び、バブル物価に対抗(?)第264話 昭和63年 其の二

開店10年目、昭和63年(1988年)末の東急ハンズ渋谷店第265話 渋谷ハンズ30周年

第267話 水と公園と海と(2008.10.16)

 前話でも少々書いた通り、9月から10月へと変わる1週間は実に目まぐるしかった(と記録帳を見ながら改めて思う)。先週末は「第4回 東アジア環境市民会議」にかかりきりだったため、その前後もいい意味でバタバタ。そんなひと山を挟んだこともあって、その週のことがつい2週間前のこととは思えない程、遠くの話のように感じてしまう。

 小金井公園というか「江戸東京たてもの園」絡みで、小金井ネタでも一つ、と思っていたが、とにかくその件を含め、七日間でいろいろあったので、第122話「掲載遅延」に倣って「出来事記録」方式で振り返ってみようと思う。(これを一日一日丹念にやっていくと、ブログモードになる訳だが、毎日書くのがブログということでもない。ブログスタイルではないが、これは一つのweb-log、つまり記録である。)

  •  9月28日(日)

 週明けからの一連の流れを考えると、この日曜日は至って穏やかだったように思う。細君とファミレスで優雅にモーニングメニューを摂り、その後は一人自転車で地元のエコー広場館を冷やかしてみたり、その比較的近所の図書館で借り物したり、第203話で紹介した「グランドステージ」のその後を概観したり。日曜日らしい過ごし方をしていたと言える。

  •  9月29日(月)

 第253話の後段に記した作業の縁で、9月半ばからはその某財団の事務所にお手伝い勤務(あくまで筆者ペース)をさせていただくことになった。この日は環境省の「余計なお世話」アプローチとも言える「放課後環境教育プログラム」(まだ試行段階につき詳細不明)のため、午前中はそのキットの準備、午後は葛飾区の某小学校にて実演、だった。

 あいにくの雨日だったが、校庭に溜まる水を眺めながら、というのは恰好の材料。まずは水の大切さをクイズ形式で伝える、というのがプログラムの趣旨だったので、導入としては丁度良かった。

 雨が降って、蓄えられて、注ぎ込んで、流れて、取水されて、手に届くまで、つまり上水の一連の「流れ」の並べ替え、日常生活におけるシーン別水道使用量の並べ替え、その後は実際に水を使っての体感型プログラムとなる。フェイスペイント用のペンで顔や手にあれこれ書いて、それを消すのに有効な水の使い方(ケチケチなほど、優位)をチーム対抗で競ってもらう、というのが大筋。節水大作戦だったり、水のもったいない実験だったり、タイトルは流動的ながら、試行としてはまずまずだったと思う。

 校内というか教室で、というのは2005年3月以来。久々ではあったが、小学生相手に丁々発止をするのは、川辺等でさんざやっていたので、大まかな段取りだけ把握したら、あとは出たとこ勝負。不思議と体が勝手に動くものである。子どもたちのペースというか勢いにこっちが乗っかるような感じ、と言った方がいいかも知れない。あっと言う間の40分だった。(児童の皆さん、先生方、スタッフ各位、ご協力ありがとうございました。)

 その場(または子どもたち)の状況に応じて、アドリブを多用する筆者流の方法だと、標準的な手本にはなり得ないだろうから、環境省的にはあくまで一例扱いになると思われる。逆に、放課後、つまりのびのびした時間と空間において行う意味を考えると、標準化モデル(限りなく講義形式?)では長続きしないだろうと思う。

 もっとも、こうしたプログラムには、正にプログラムとしての構想や組み立てが必要になるし、地域ごとの特性や事情を反映させてこそ、「持続可能な(中略)教育」(ESD)に資するものと思われる。その辺を周知した方々が今後は受け持ってくれるだろう、との期待はあるが、上手下手を問わず優先すべきは地元の関係団体(環境教育等に少なからず取り組んでいる団体)にも機会を提供する、ということ。(その団体が創り上げてきたプログラムを組み込んだっていい。) 環境省独自の指導者制度だか何だかを前面に出すような展開の仕方はしてほしくないものだと思う。

 夜は、「エコプロダクツ2008」のガイドツアー(中国語・韓国語)のうち、特に韓国語の案内をwebに載せる件などで打合せ。よく動いた一日だった。

  •  9月30日(火)

 年に一度、雑排水管の高圧洗浄というのがあるため、その管へ通じる口とその周辺を集中的に片付ける必要が出てくる。午前中は、台所・洗面所(+洗濯機置場)・浴室の水まわりをより入念に掃除。メドが立ったところで、予約しておいた歯周疾患健診に向かう。

 幸いこれといった問題はなかったため、さっさと帰宅して、午後からの雑排水管洗浄に備える。前日に水の大切さがどうこうとやっていた割には、自分でゴシゴシやる中で随分と多くの水を使い、高圧洗浄ではさらなる水、水... 自省しつつ、並べ替えクイズの中に「水まわりの掃除」と「高圧洗浄」も加えると面白いんじゃないかと思ったりしていたら、忽ち終了。

 無料の健診であったが、歯科へ行ったとなれば、歯はそれなりに手入れしてもらえる。歯周りに加えて、宅の水まわりと管もすっきりとは、よくできた一日である。(さらに上出来なのは、そんなすっきりした状態で先のCD、竹内まりや「Expressions」を購入できた、ということだろう。)

 10月を迎える準備は整った。

  • 10月 1日(水)

 朝は地元図書館でリサイクル雑誌などを物色しつつ、日曜日に借りたCDを返却。細君も休暇をとっていたので、二人で昼食をとりつつ、「都民の日」の行楽に出かけることにした。10月1日は都民の日でもあるが、メトロポリタンプラザにおいてポイント2倍サービスと誕生月サービスとが重なる数少ない日なので、そこに行くのも恒例になっている。開店とほぼ同時に人気のグリル系レストランに入り、デザートのサービスもしっかり受けて、他の店でも少々買い物などして池袋を出た時は13時前。新宿からは13時台最初の中央線特別快速に乗り、三鷹で乗り換えて東小金井へ。向かう先はズバリ「江戸東京たてもの園」である。東京生活がそれなりに長くなっている筆者でも、まだまだ行ったことのないスポットがあるもので、この園は今回が初。遠出する割には悠長な出かけ方だったが、これも入園無料という条件があるからこそ。東小金井からはコミュニティバスに乗れば、さっさと着くんだし...

 複々線の工事中につき、下りホームから同駅の北口に出るには、南口改札をまず出て、上り線路下の歩行者通路を通る必要があった。この時間的ロスもたたり、北口に着いたらバスが丁度発車するタイミング。時刻表をもともと読み違えていたこともあったが、13:29発が出たところだったのである。

 小金井公園までは歩いて20分程度。次のバスは20分後なので、待っている間に着くだろうと読んで、歩き出す。ところが、これがなかなか。東大通りの突き当たり(関野橋)は見えているのに、ちっとも近づいて来ない。寄り道したせいもあるが、東小金井駅13:49発、つまり後続のバスにも途中で抜かれてしまう始末。何だかんだで目的地に着いた時には14時をかなり回っていた。奇しくも10月からは閉園時間が短くなり、昨日まで17:30のところ、今日は16:30。つまり、2時間余りで園内を巡ることになってしまったのである。

 こうした時間の算段違いリスクを考えると、やはり入園料(同園では観覧料と称す)が無料というのは大きい。ざっとコースを確認して、東の広場〜下町中通り〜子宝湯〜天明家〜高橋是清邸〜山の手通り〜多摩の道といった流れで周遊。時間的に逼迫気味ではあったが、復元建造物についてはとにかく全館見て回ることができた。よくもまぁこれだけ移築してきたものだと感心しつつも、建物にしてみれば、まさかこんな場所で余生を過ごすことになろうとは、だろうなぁなどと思ったり。東京の枠で言えば同じだが、西は八王子から東は南小岩、南は鵜の木と都内各所から集結している訳だから、建物同窓会という趣でもない。これはもう新たなコミュニティと言っていいだろう。

 武居三省堂で、建物の説明板を見ていたら、ある男性が手を乗せていて、よく読めない。人がいれば気付きそうなところ、全く意に介さずそのまま。程なく退いたのでよかったものの、この男性、あとでここの説明員だったことがわかり、ガックリである。イヤな予感というのは当たるもので、そんな横柄な感じは、説明時もそのままだった。筆者が逆質問してもどこ吹く風の態。建物が狭小なのは、当時も地価が高かったので、地代を緩和するため、というのはわかるとしても、明治初期にして今の価格に換算して坪単価4,000〜5,000万円というのはいくら何でも、と思う。(こっちは、平方メートルあたりで300万円くらい、と答えたつもりだったのが、それが大ハズレのようなことを仰る。神田須田町の相場って、そのくらいでよかったような...)

 ボランティアのオジサンなので、ハイレベルな応対を期待しちゃいけないんだろうけど、正確さを欠く上に傲慢チキにやられちゃ客は勿論、建物だってたまらない。せめて然るべき情報やデータに基づいた説明を心がけてほしいものだと思う。

 園の東側ではそんな一件はあったが、日頃の行いが善いせいか、結局雨に降られることはなく、同園の西、山の手通り側に出たら、晴れ間が出てきた。田園調布や西片にあったという洋風の邸宅も青空と園内の緑に映えていたが、このスタジオの外壁とのコントラストは別格。写真スタジオというだけあって、建物そのものが写真映えするように設計されていたんだろうと思う。

 たてもの園を後にしたら、玉川上水を下流方向に辿り、コミュニティバスの停留所を探す。往路で乗ってきていれば、それほどの距離は感じなかったんだろうけど、見ず知らずの地では事前に調べておいたとしても、こういう時は長〜く感じる。バスの名はCOCOバス。COCOというよりもドコ?バス状態だったが、何とか到着。ちなみに停留所名は「たてもの園入口」。コミュニティバスの宿命か街道を通らない分、距離がかさみ、入口からは実に500〜600mはある感じなのに、である。

 バスに乗ったのは17時前。小金井市西部をノロノロ走って、武蔵小金井駅に着いたのは15分後くらいだったろうか。駅前の定食屋でのんびり過ごして、18:22発の上り始発列車でこれまたゆったりと帰途に着いた。

 本来なら水曜日は国分寺の事務所に出る日なのだが、その近くまで来て帰ってしまった、という一日。(この日はスタッフ総出で「海ごみサミット 鳥羽会議」に出払っていたため、今月から主に在宅作業中心に切り替えていた筆者は出勤するには及ばなかった次第)

  • 10月 2日(木)

 浮間公園近くの氷川神社でお参りし、その近所の中華風ファミレスで早い昼食。あとはひたすら、第266話を書いて載せて、だった。夜は東京国際フォーラムの展示ホールで開催されていた某ジュエリーフェアに行って、記念品を受け取り、バタバタと日本橋へ。細君に用意してもらったお祝いの席は「秋の香りコース」。デザートも写真のようにアレンジしてもらえて、上々の一日。(ありがとうございました。)(^^)

  • 10月 3日(金)

 30日に打合せした通り、この日までにエコプロダクツ韓国語ガイドアー案内ページ(+参加申込webフォーム)を設定。半蔵門の事務所から、生田にある某事務所へ移動し、英語のガイドツアーを合わせた全体の打合せに臨む。帰宅してからは、「第4回 東アジア環境市民会議」関係の案内の発信などなど。本来業務に勤しんだ一日だった。

  • 10月 4日(土)

 この日まで海ごみサミットだったので、鳥羽に行けない分こっちでも海ごみネタを、と思っていた。ご案内を頂戴していたこともあり、とりあえず一人「ビーチクリーンアップ in 城南島 2008」に出向く。値引き期間中の牛めしで腹ごしらえし、事前案内通り、大森駅東口の京急バスの操車場へ。ここからは何と送迎バス(といっても往路だけなので、送りバス)が出る。2007年度、「海辺の漂着物調査」第248話 4.参照)でお世話になった同公園だが、その4度の調査はいずれも森32系統に乗ってノコノコだったので、この直行バスのありがたみといったらそりゃあもう、である。大して同乗者はいないだろうと思っていたら、発車予定時刻を前にして、さっさと出発。2台目も出す、という程の結構な集客だったことを知り、まず仰天。

園内の駐車場にバス! 珍しい光景なので撮影 直行なので路線バスとは別ルート経由で飛ばす。現地には割と早く着いたのだが、駐車場に案内する係員が路上に出てなかったものだから、運転手が迷い、公園外周をひと廻り。再びT字の交差点に戻って来たら、今度はちゃんと駐車場への誘導員がいたのだが、運転手は気付かない。左折すべきところ、公園管理事務所の方、つまり右折してしまったので、筆者が進言して逆戻りするよう促した。(京急バスは何かと円滑さを欠くところがあるようで。) 城南島を周遊するという点ではよかったが、この遅延で集合時刻通り、10時ちょうどくらいの到着になってしまった。

好天あってのクリーンアップ 何やら日立ハイテクノロジーという会社が社会貢献の一環で参加していたようで、これに実行委員会の面々が加わり、総勢は実に250名とのこと。昨年度の漂着物調査の状況からして、この人数は多過ぎる?と思ったら、そうでもなく、特に浜辺の突端に正に海ゴミの数々が散乱していて、逆に人手不足と思わせる程だった。(3月8日の調査時も似たような状態を見ていたので、免疫はできていたが、春の初めと秋の初めとでは量が異なるようだ。) これが二度目の仰天。

 待ってましたとばかりに散らかる散乱(or漂着)ゴミ(BGMは右方の柱スピーカーから)

 

 3月8日、岩場に乗り込んだ時に撮影(他にもあちこちで漂着ゴミを見つけたが、10月4日はこれを上回っていた)

クリーンアップ前の「つばさ浜」。奥には漂着&散乱ゴミが多数。 どうも、今回のクリーンアップ実施を見越して、予めとっておいたような散らかり方ではあったが、とにかく最前線に加わって、ポイポイとガサガサを繰り返す。程なく、スピーカーからはBGMが。さすがは都の海浜公園、と思いたいところだが、流れてきたのは何と竹内まりや。一曲目はよりによって「家に帰ろう」である。(これも仰天ネタの一つ。) 出たての「Expressions」を持ってくるところはなかなか秀逸だったのだが、Disc3というのがいけなかった。クリーンアップを始めて早々、家に帰ろうじゃちょっとなぁ...。とか思っていたら、「毎日がスペシャル♪」と口ずさむ親子参加者もいたから、まぁDisc3でよかったんだろう。(日和や場所柄を考えると、Disc1の方がより相応しい気もしたが、お子さんが知らない曲ばかりになってしまうのが難点か。) 実行委員の皆さんはご年配が多い印象ながら、手際はいい。筆者が大物を断念し、プラスチックゴミに専念しているうちに、山積みになっていたゴミは除かれ、スッキリ。この時にかかっていた曲が「カムフラージュ」だったら、片付けたつもりが実は...とかなりそうだが、「今夜はHearty Party」だったので、おそらくノリノリで運んで行ったものと思われる。

 参加者から漏れ聞こえて来るのは、クリーンアップは足腰に来る、とか、今日は金目のものを探しに来たんだ、とか。可笑しくはあるがいま一つ冴えない。城南島らしいと言うか何と言うか、これも会場の個性のうち、だろう。ま、そんなペースなもんだから、クリーンアップはたっぷり一時間近く。Disc3は10曲目になっていた。皆で協力して一応キレイにした訳だが、「みんなひとり」が流れる。一人じゃない、と言いたいところ、これじゃ逆である。(^^;

不燃ゴミ測定中 当地のクリーンアップもICC(International Coastal Cleanup)に則って行われることになっているので、データカードも受付に用意してあったのだが、筆者が見た限り、また所長さんに聞いた限りにおいて、品目別のゴミがカウントされることはなかった。ここではあくまで公園管理業務の一環として行われるため、「美化清掃」に主眼が置かれる。キレイにすればOK、となると枯れ枝(自然物)もしっかり集められることになり、これらは可燃ごみとして扱われる。当然、可燃ごみの重量は多くなり、途中の測定結果では不燃100kgに対して、可燃は400kg。最終的には、200kgと600kgくらい(平年並み)になるだろう、との話だった。

 「散乱ゴミを片付ける=クリーンアップ」のため、講話にしてもあくまで公園利用者のマナー云々どまり。実際には「漂流・漂着」も多々あった筈なのだが、その話は出なかったので、参加者の日常とクリーンアップとの接点が示されることもなかった。日々の生活の延長に海ゴミがある、生活を見直すことで漂流・漂着ゴミは抑えられる、といった視点や一言が欲しかった訳だが、都の公園で行われるビーチクリーンアップというのはおそらくこういうものなのだろう。

 現場に来てみないとわからないものだ。ある意味、勉強になった一日だった。

 バースデイウィークということもあって、秋休みというか、オフモードで過ごすつもりがこの通り。水あり、公園あり、海ありとロケーション的にも多彩な週だった訳だが、水つながりは続き、翌週末(10月11〜13日)の新潟パック(東アジア環境市民会議+阿賀野川流域(新潟水俣病の地)フィールドトリップetc.)に至る。会議一式は無事終えることができたが、残務整理等がある。他にもちょっとしたお世話役をしていたら、本稿の掲載も遅れてしまった。一連の水関係の勢いで流れてしまうそうなところ、ここにまず第267話を綴ることができ、まずはホッとしているところである。(会議関係の記録を後回しにしてしまうところがまた筆者流。あしからず。)

第266話 「Expressions」(2008.10.2)

 ネタがつながる時はつながるもので、今度は30周年つながりで一つ。

 東京モノローグ的には数少ない音楽ネタ、久々に一筆書かせていただこうと思う。CD(新譜)の紹介ということでは、実に第19話の「ソウルキッチン」以来である。第128話の13.では「レアリティーズ」について少々触れているが、収録曲について云々では今回がやっと二度目。)

 東急ハンズが渋谷にできたのと同じかその後、伊勢丹のCMソングで流れ出したのが、「戻っておいで・私の時間」だった、ということになるだろう。竹内まりやがデビューしたのは1978年11月25日。この曲のシングル盤と、同曲を収めたアルバム一作目「Beginning」が同時リリースされた日である。

「人生のところどころに彼女がいました」...人生と言わず、今は街のあちこちに、という感じ 正確にはあと2カ月弱で満30年ということになる訳だが、兎にも角にもこの30年の竹内まりやの足跡を集約したコンプリートベストアルバムが発売された次第。筆者的にも節目に当たる日に前後するので、実にタイムリーというか、お祝いし合うような、そんな気分になれるのがまた嬉しい限り。(何故10月1日発売だったのか、はあまり聞こえてこない話だが、おそらく山下・竹内ご夫妻の結婚記念日前日だから、とか? 勝手に推測してみるばかりである。)

どこで手に入れたか不明だが、とにかく出てきた「Impressions」ポストカード ベストアルバムと言えば1994年7月25日発売の「Impressions」が名高い。何せ発売3カ月で300万枚を超える大々ヒットになったんだから、ご存じ(いや、お持ち)の方も多いだろう。ところが筆者は既存のアルバム収録曲ばかりだった、ということからこれを買わず、ポストカードとかブックレットとかを手に入れて、それでよしとしてしまっていた。ご結婚前、つまりRCA時代については、シンガーソングライターとはまだ言い切れないミュージシャンだったこともあり、それほど熱心に聴くことはなく、非公式(?)のベストアルバム3枚と一応公式扱いの「VIVA! MARIYA」を買った程度。シンガーソングライター竹内まりや(MOONレーベル)のベスト盤については、今回初めて買うことになった、という訳である。

  • 参考情報:RCA時代のベストアルバム4枚

「RE-COLLECTION」シリーズ

 CDが世に出だした頃、このジャケットはCDサイズにピタッと来るコンパクトかつハイセンスなもので、ずっと惹かれ、気になっていた。(買い揃えられた時はそりゃあもう、だったのを覚えている。) 当時、高校生だった筆者は、歌の世界に近い部分もあったはずだが、どうもよくわかっておらず、ただジャケットを見入っては、このアレンジは山下達郎だからこうなのか、といった聴き方をするばかりだった。

 総じて、Tは華やか、Uは暗め、Vは地味という印象を受ける。それでも、当時はとっかえひっかえ、よく聴いていたものである。CDならではの良質な音を一応楽しんでいた訳だ。

 今、聴くとその音の小ささに驚く。CDの劣化とも関係するのだろうか。ともあれ、このシリーズも全部で42曲。このうち、バージョンは一部異なるものの9曲が「Expressions」で再現されることになった。(残る33曲は、ひとまず昔の音圧のまま聴くしかない、ということになる。)

RE-COLLECTION RE-COLLECTIONU RE-COLLECTIONV

公式ベスト盤「VIVA! MARIYA」

 こちらも14曲入り。このうち、「二人のバカンス」「NATALIE」「SWEETEST MUSIC」「ウエイトレス」「目覚め」「J-BOY」「ASK ME WHY」の7曲は「Expressions」に収録されなかった。「VIVA! MARIYA」は別に買っておいてもいいかも知れない。

 「Impressions」全15曲中、何と14曲が今回の「Expressions」にも収められている。「Impressions」を買わなくてよかった、と言ってはいけない。待った甲斐があった、と言うべきだろう。とにかく満を持して手に入れた観はある。このありがたみは格別である。(ちなみに「Impressions」にあって「Expressions」にない一曲は、「明日の私」。筆者はCDシングルで持っているので、PCに取り込んで並べ替えれば「Impressions」もどき(?)は作れることになる。)(^^;

1984年から2003年までの20年で出たアルバムはこの通り(山野楽器「JamSpot」2007年5月増刊号より) 「VARIETY」は1984年の発売当初、FM等でかかっていたのを聴いていたということでは同期していたが、CDを買ったのは何年か経ってからのこと。発売と同時に買ったのは「Request」が最初になる。それから考えても20年以上が経っている。早いようなそうでないようなだが、この間は筆者の再・東京生活と重なるため、聴き返せば思い出す斯々然々がある。「Request」以降、リアルタイムで購入したオリジナルアルバムは、「Quiet Life」「BON APPÉTIT!」「Denim」の3枚。枚数は多くないけれど、どれも普遍性を持つ傑作ばかり。それにRCA時代の分も加え、ファン投票を織り交ぜて厳選しての42曲。こんな豪華なベストアルバムがあるだろうか、と思う。

↑山野楽器「JamSpot」1992年9月号より。1カ月後の10月10日発売予定ながら、タイトル未定とはまた悠長な。(結局「Quiet Life」が発売されたのは、10月22日のことだった。)

↑Virgin Megastore発行「VIRGIN Issue」2001年8−9月号より。「BON APPÉTIT!」は全15曲の大作。この中から実に6曲が「Expressions」に収録されている。

 何でも全部で150曲あるそうだから、3分の1弱をカバーしていることになる。その3分の1がどれも聞き覚えのあるヒット曲ばかり、というのはやはりこの人ならでは、だろう。(ちなみにこの42曲の中で、映画・ドラマの主題歌やテレビコマーシャル等のタイアップ曲は、26曲に上る。)

 山下達郎のFM番組「サンデーソングブック」では、当然のことながら「Expressions」のプロモーションが早々にかかった。9月のことなので、何はともあれ「September」がオンエアされる訳だが、これを聴いてビックリ! FMから流れてくるレベルでこの音の良さは何だ! 「これは買うしかない」となったのは言うまでもない。

買いたての「Expressions」。30thの記念シールもちゃんととっておきたいところ。 フライング発売されることは承知していたので、9月30日にいそいそと某量販店へ。しかと買い求めて、あとはじっくり聴きながら本稿を書けばいい、そう思っていたのだが... 関連する資料のスキャン等をしていたら、よもやの時間切れ。それでも発売日と同じ10月1日に掲載できれば定例通りで御の字である。だが、これもNGで、この通り一日遅れ。何故か。

発売日当日、某店内にて。全て初回限定盤! そう、10月1日と言えば「都民の日」。これはこれで捨てがたいので、入園無料となる施設に出かけてしまうのが筆者流なのである。案の定、日がな一日出歩く格好になってしまったため、1日掲載に間に合わなかったという顛末。何卒ご賢察・ご勘弁の程を。(そんな都民の日レポートはまた追い追い。)

 そんなこんなの「Expressions」。一曲一曲あれこれ書いているとキリがないので、聴き方のポイントなどを交えつつ軽めにコメントを付すにとどめる。ひとつご参考まで。

  • Disc-1

01.戻っておいで・私の時間
 筆者が持っている範囲(「RE-COLLECTION」「VIVA! MARIYA」)は、服部克彦アレンジによるスローなversionだったので、こっちは初耳に近い。伊勢丹のCMソングというのも頷けるポップな一曲。

02.グッドバイ・サマーブリーズ

03.ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風〜[Single Version]
 コマーシャルで聴いていたのはこっちのversionだった。懐かしい気分になること請け合い、である。他にもこうした埋もれた一曲があるのでは?と思う。

04.涙のワンサイデッド・ラヴ

05.September
06.不思議なピーチパイ
2000年はTOKYO-FMが30周年だった。そのスペシャルコンサートで配られたハガキ。 「VIVA! MARIYA」でも3曲目4曲目で続けて収められている。この組み合わせは揺るぎないものを感じる。(第69話で紹介したコンサートではこれと逆の順番でメドレー演奏された。→「SOUVENIR」参照。)

07.象牙海岸
08.五線紙
09.Morning Glory
10.僕の街へ
11.ボーイ・ハント(Where The Boys Are)
 この07.〜11.の5曲の流れは、秀逸だと思う。

12.恋のひとこと(Something Stupid)
13.Never Cry Butterfly
14.Let It Be Me [Studio Version]

  • Disc-2

01.リンダ
02.もう一度
 この組み合わせ・曲順もいい感じ。

03.マージービートで唄わせて
04.本気でオンリーユー(Let's Get Married)

05.プラスティック・ラヴ
 アルバム未収録ということでは、9分17秒の大作「Extended Club Mix」がある。さすがにそれが入ることはなかったが、通常サイズの同曲がベスト入りしたのは大きい。

06.恋の嵐

07.元気を出して
08.色・ホワイトブレンド
09.けんかをやめて
10.駅
 上から順に、薬師丸ひろ子、中山美穂、河合奈保子、中森明菜への提供曲メドレーになっている。「Request」に入っているのと比べると、ここでの「駅」はフェイドアウトが実に鮮明で、より感傷的に聴けるのがポイント。

11.Forever Friends
12.シングル・アゲイン
13.告白
14.マンハッタン・キス

  • Disc-3

※近作かつシングルヒットばかり。重量級ぞろいだが、通しでサラリと聴けてしまうところが凄い。

01.家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)
02.純愛ラプソディ
03.毎日がスペシャル
04.カムフラージュ
05.今夜はHearty Party [Single Mix]
06.天使のため息
07.すてきなホリデイ
08.真夜中のナイチンゲール
09.返信
10.みんなひとり
11.チャンスの前髪
12.うれしくてさみしい日(Your Wedding Day)
13.幸せのものさし
14.人生の扉

 蛇足ながら、筆者は「057 プラスティック・ラブ」「134 クリスマスは一緒に」「041 Farewell Call」の3曲(数字は投票用の曲番号)を投票した。「プラスティック・ラブ」が入って、一矢報いた感じ。一曲でも入れば嬉しいものだ。(→参考情報

 この3曲、いずれもグルーヴ感があって、お気に入り。MOONレーベルで言えば、「夢の続き」「Cool Down」「Tell Me, Tell Me」なども似た部類として捉えているが、こうしたタイプの曲があまり入らなかったのがちと残念な気はする。

 今回のベストアルバム、果たして何百万枚売れるだろう?

  • こちらもどうぞ...⇒ その他の音楽ネタ

第22話 「He is Back」 / 第32話 コンサートにおける顧客満足とは / 第37話 「およげ!たいやきくん」 / 第61話 短縮形ネーミング / 第76話 ニューミュージシャンのTV出演 / 第84話 80年代アイドル歌謡曲 / 第107話 オリジナルアルバム / 第147話 曲名の妙

 

第265話 渋谷ハンズ30周年(2008.9.15)

 20年前がどうのこうのとやっていたら、さらに10年遡る話題が出てきた。東急ハンズの23区内初店舗、渋谷店が9月9日で開店30周年を迎えた、という話。30年前、昭和で言えば53年のことである。

 何だかんだ言いつつ恒例行事化している「ハンズメッセ」の詳細をチェックすべく、8月半ば頃にホームページを見ていたら、渋谷店で30周年記念イベントが開かれる旨、予告(→PDFが出ていたのが発端。メッセそっちのけで、気持ちはすっかりそっちにシフト、そう、この手の周年行事は外せない筆者なのである。この時ホームページを見ていなかったら、行き損なっていた可能性は大きい。これもメッセ効果のうち、だろう。

これも昭和63年ネタ。12月23日の渋谷店正面口にて。(新年は2日から開店!) さて、2008年で30周年ということは、昭和63年で10周年、1998年は20周年に当たり、それぞれ記念に何かをやっていたと思われるが、あいにくそれを示す資料や記録が見当たらない。1988年の9月9日(開店記念日)は、奇しくも渋谷に自転車で出かけたことになっているが、なぜかハンズには立ち寄っておらず不明。その先の何日かも、特に周年イベントに関する記録は綴られていないので、何もなかったか、見落としていたか... その10年後、1998年の行動記録を見ても、渋谷のハンズでどうこうというのは出てこず、どうやらご縁がなかったようである。第24話に一応、渋谷店20年云々と記してはいるが、それだけ。)

現在の渋谷店。建物の構造は変わらない。 何はともあれ、今回の30周年記念については、イベント期間初日の13日(土)にちゃんと行って来れたので、よしとしたいところである。さすがに30年前の同店は存じ上げないが、初めて訪れた1987年5月16日から起算すれば、実に21年と4カ月ほどは、どこかしらで見守ってきたことになるんだから、それなりに年月の重さを感じることはできる。(余談だが、東京に帰ってきたからの筆者は、町田店には同年4月2日、二子玉川店には5月3日、池袋店には10月12日に、それぞれ初来店している。以来、長らくお世話になっている訳だが、最近は池袋と新宿がメイン。)

 渋谷店で特に印象深いのは、1990年のハンズ・デー期間初日、4月29日のあれこれだろう。今は出られない屋上フロアでバードコールを作ったこと、電気器具のフロアでやっていた「ウォークマンクリニック」で、当時使っていた赤いウォークマンを無料メンテしてもらえたこと、の2つは未だに記憶に鮮やかである。ハンズならではのこうしたイベント、おそらく今も続いていると思うが、とにかく当時は感激モノだった。

 記録帳を探っていけば、他にもいろいろと思い出されるものも多々あると思われるが、ここからはあくまで客観的に振り返ってみようと思う。店頭で入手したチラシから、同店の歩みの一片をご紹介する。

 ハンズメッセが始まったのは、渋谷店開店5年目(1983年)からだったそうだ。1993年はメッセ10周年ということになる。渋谷店のチラシは、これが通算199号。次の200号(1993.9.23付)は節目に当たるも、「秋色たけなわ。」という簡素なコピーで、特に盛大にはなっていなかった。

 ちなみに、筆者の手元には204号「"クリスマス"を贈ろう。」があるが、この次の渋谷店のチラシは、210号「さわやかな夏を先取り。」に飛んでしまい、これをよく見ると「渋谷店・二子玉川店」の連名になっている。205〜209の間のどこかで店名表記が変わった訳だが、どこが境なのかは今のところ不明。

 チラシが毎月発行されると仮定すると、4年後の同時期は48を足せばいいことになる。246号というのはほぼ合っている。ハンズメッセのチラシに、号数が併記されたのはこの年が最後だった。

 1999.12.17付の裏面。ミレニアム直前号に相応しく、このチラシのコピーは「新しい1000年を、心地よく迎えたい。」 この頃になると、渋谷・新宿・池袋・二子玉川の23区内4店の合同チラシになっている点、興味深い。(当時、23区内のハンズはとにかくこの4つ。北千住、銀座、豊洲のハンズはまだない。) 合同ではあるが、渋谷店の号数が基準になっているようで、表紙には290号のナンバリングがされている。

 バブル期は2日から営業していたが、2000年問題を考慮してか、2000年元旦は、どこも3日からの営業になっているところも要注目。


 1978年のフロガイド(30周年記念ポスター展より)はこんな感じ。この後、マイナーチェンジを繰り返し、1993年6月の「フロア大整理」を迎える。

渋谷店チラシ197号(1993.6.17付)の裏面より抜粋。15年目の大改造だった訳である。

 2008年7月発行の「店内のご案内」より(B2は一部カット)。上から順に見ていくと、フロアの変遷が15年刻みでわかるようになっているが、詳説し出すときりがないので、割愛。

 と、この辺はあくまで予備知識。せっかくの機会なので、ぜひ足を運ばれることをお勧めしたい。30周年記念イベントの見どころは、階段フロアに掲示されている「ポスター展」、30年来の逸品・銘品(ロングセラー品)を紹介・即売する「モノローグ」(こっちはモノに引っかけたモノローグ)(^^;の2つに尽きると思う。

お世話になった文具類もこの通り。 チラシにはその一部が出ているだけで、実際はこれにとどまらない。往年のプロマイドがあったり、懐かしの調理器具が並んでたり、とにかく行ってみてのお楽しみ、になっている。BGMが70年代後半の洋楽というのも、一興だと思う。

 ただ、こうしたイベントの隙間を縫うように、実演販売が盛んに行われているのもハンズらしいところで、この情報の後段にあるように、変り種が目白押し。筆者は細君ともども、

ネスカフェのエスプレッソマシン第261話で紹介したセブンイレブン系よりもスグレもの)/革製品の手入れ用クリーナー(おかげでウォーキングシューズ、ピカピカに)/話しかけると3通りの反応(お辞儀)をする不思議な草(聞き役が得意な人には無用?)/ガラス瓶が切れるダイヤ刃ノコギリ(実演そのものはコワイが、お姉さんの愛想は大変良かった)

 等々、各階ごとに引っかかってしまうのだった。

 10時過ぎに入店して、出たのは2時間半後。時間がある方なら、もっとたっぷり過ごすのも悪くない。こうした実演ともども周年企画を楽しまれたい方は、とにかく今がチャンス!である。(イベントは23日(火・祝)まで。まだあと1週間あります。)

  • こちらもどうぞ...⇒ 東急ハンズに関する話題

第96話 ハンズメッセ2001 / 第182話 3月31日で終了、あれこれ

 

第264話 昭和63年 其の二(2008.9.2)

 第256話に続く、昭和63年ネタ、其の二。今回は筆者秘蔵(?)の各種資料の中から、比較的保存状態がよく、昭和63年(1988年)の日付等が明らかなものを選りすぐってご紹介することにしました。20年前、いわゆるバブル全盛期の東京の一片一端を感じていただければ、と思います。(カテゴリ分けはせず、可能な限り、時系列で並べてみます。現在との比較については、今後の話題に絡めてまた追い追い。)

 新宿丸井5館(当時)の合同INFORMATION。地図は南北が逆なので、ちょっとわかりにくいかも知れないが、新宿三丁目交差点に3つ、というのは圧巻。総合案内の電話番号は、03-354-0101である。-3354-になっていないところに時代を感じる。

 左パンフレット(全8ページ)を開くと、INTERIOR館とTECHNO館のフロア案内が出てくる。モノであふれていた世相を反映しているように思う。YOUNG・FASHION・MEN'Sの各館の同様の案内はパンフ見開き(p.4〜5)に載っているが、テナント社のロゴばかりで、筆者としてはチンプンカンプン。こうしたファッション関係と無縁なのは今も昔も変わらないが、店舗の案内についてはせっせと集めていた。自分で言うのも何だが、妙な若者である。

 EPOのコンサートはこの時が初めて。筆者が拝聴したのは12/23のX'MAS Editionの方だったので、1988年ネタとは言えないかも知れないが、TOURとしては一連だったので、一応。20年前はこうしたコンサート、\3,000が相場だった。

 行動記録帳によると、2/20に池袋のビックカメラに足を運んだことになっているので、おそらくその時に入手したものと思われる。今は、「池袋東口総合館」という名称になっているが、当時はここが東口本店。各フロアの見出し品目にご注目あれ。(ちなみにこの日の筆者は、カセットテープとフィルムを買っている。いにしえ〜)

 3/13にダイヤの大改正があったものの、東京駅発の新幹線は改正してもこんな程度。のぞみ号は走ってないし、1時間あたり最大9本というのは寂しい印象すら受ける。今はここにある通り、最大14本になることがある。過密と言えばそれまでだが、この20年での新幹線の進化はやはりスゴイ。

 その大改正時の時刻表の概要(発売予告)がこれ。津軽海峡線開業とあるが、裏を返せば「青函連絡船廃止」である。実際、このチラシの裏面はその雄姿の写真とともに「さよなら青函連絡船」と付されている。永久保存版のような一枚。

 東京ドームで、中日 vs 阪急を観戦。一回表、阪急の攻撃。先頭打者にいきなりヒットを打たれていたのをよく覚えている。その勢いのまま、中日は見事敗戦。以来、ドームにはあまりいい印象を持っていない。

 で、このトーナメントのスポンサーがサッポロビールだったので、このような宣伝付きの「ラッキーカード」が配られることになる。ラッキーナンバー当選の際は、このWOW6種セットがもらえた訳だが、こうしてカードがあるということは...言わずもがな、である。

 4月1日というのが紛らわしいが、エイプリルフールではなく、真面目にカレーチャリティーは行われていた。このチラシを手にして、実際に渋谷店までは行ったものの、残念ながらご縁がなかった筆者である。(大行列ができていて見送った記憶がある。)

 4/15は新学期初日。午後は空いていたので、フラリと東京駅まで行って、この美術展を鑑賞した。ステーションギャラリーが開館したのが20年前というのは、ちょっと意外な気もする。(もっと前からあったような...) ちなみに現在は休館中。(→参考情報

 かつては展示場と言えば晴海だった。何かの伝手でチケットをもらっていたので、とりあえず出かけた筆者だったが、これが大ヒット。こうした催しに行くと、試供品や景品の類がわんさともらえることを覚えてしまったのである。(そういう時代だっただけ、と今は思う。)

 今とあまり変わらない気もするが、何となく物価高な折り、これは快挙だったんだと思う。4/10にしっかり渋谷某所の吉野家に行ったことが記録されている。(奇しくも、2008年9月1日、いくつかのチェーンでは、これと逆のことが行われている。牛丼値上げ、どこまで波及するのやら。)

 第256話でも紹介したが、当時のJR新宿駅新南口付近には貨物ターミナル跡地というのがあって、時々妙なイベントが行われていた。この「NICS SUPER FAIR」もその一つ。ソウルオリンピックが開かれる年だったが、韓国はまだ新興国扱いで、NICs(=Newly Industrializing Countries)と言えば韓国、という時代。そんな韓国製品を中心とした安売り市だったのだが... 今、見るとそれほど安いとは思えなかったりする。

 チラシの裏面(上半分)はこんな感じ。さすがに食品は安い?!

 およそご縁がなさそうなチケットだが、上記のNICSフェアで新宿に行った際、東口のステーションスクエアでこの優待券をゲット。有明の森に行くことになった。何かと無料で配られるものが多かったのがこの頃。

 価格は不明だが、商品の雰囲気はわかる。ファミリーマート新ブランドを紹介するハガキがこれ。裏面には「品質が、FMです。」という意味不明なコピーも。(今ではすっかりファミマで通っているが、FMと呼ばれていた時代があったのかどうなのか。)

 新宿伊勢丹の新館にある美術館での展覧会。1920−30年代のニューヨークの夢と未来というけれど、昔は昔。さらに20年が経ったとなれば、大昔である。この時の展示品、今となってはさらに高値になっているものと思われる。

 これも伊勢丹美術館。左上に「東京朝日」創刊100周年記念とある。(ということは今年で120年!) このチラシを飾っておくので満足したか、記録帳に入場・鑑賞したことは記されていなかった。

 東京での朝日新聞100周年と連動させる意図もあったのだろう。AERAはこの年の5月に創刊され、今日に至っている。

 これだけで大百貨店の観を受ける西武百貨店 池袋店。「主婦のつくった店内案内」にしては、と思うかも知れないが、中を開けて出てくる各階詳細が正に出色の出来となっている。色別のゾーニング(赤・青・緑)などが付されてあって、わかりやすい。(そこそこカラフルな店内案内パンフが作れたのは、当時のデパートが潤っていたことの証し?)

 今となっては古めかしい感じのする観戦チケット。衛星放送(BS)が始まって1・2年といった時期、この「NEC パラボーラ」の帯は新鮮味があった。

 いわゆる「英語劇」である。当時はまだ受験英語の延長で何とか聞き取れたように思うが、今は怪しい。(^^; 7/24の最終日に観劇。

 今は汐留ならぬ「海風留」でヒートアイランド現象の一因と目されるビル群が立ち並んでいるが、20年前はまだ貨物駅跡地だった。広大なスペースを広々と使ったイベントが時々開かれていて、この「サマー・フェスティバル」もやたら広漠としていたのを覚えている。ただ、チラシの陽気さに反して、初日7/22はあいにく薄曇りの変な天気。プロコル・ハルムの「青い影」が大音量でかかっていて、夏らしくない哀愁が漂っていたのが印象的だった。

【参考画像】 首都高速都心環状線の後方、左から銀座郵便局、朝日新聞社、三井造船(推定)。今こうした景観を望むことは不可能。汐留はただ広かった。

 左のような景気の良さそうなチラシもあれば、このように地味なのもある。今見ると、正しく昭和の香りが感じられる一枚(見開き中央を抜粋)である。ただ、こうした催しの方が息が長いもので、今年も同じ時期に開催されている。(→参考情報

 丸井渋谷店(本館・ヤング館)の案内は、リフィル式。これも当時ならでは、か。裏面はこんな感じで、★ナイトスポット、(D)ディスコなんてのがご親切にマーキング(ただし、チョー抽象的)してあるところがいかにもバブル? 終電情報もどこか空しく映る。

 この頃の達郎氏は、まだ2年6カ月という「短周期」でアルバムを出していた。それでも筆者としては待望の一枚に違いなく、まだかまだかと待っていたら、何と発売日延期に! 予告では10/10だったが、10/19が発売初日となった。新宿の新星堂にて予約特典つきで購入。(この中の一曲「蒼氓」については、ちょっとした思い入れがあります。→こちらをご参照ください。)

 表紙には、11/3(木)グランドオープンとなっているが、裏の日付は10/28になっていた。おそらくリニューアルの予告を兼ねた案内だったものと思われる。(現在のフロアガイドはこちら

 こっちは聖蹟桜ヶ丘の京王百貨店のフロアガイド。(拡げると、A館・B館・C館の一大マップになってしまうので、表紙と裏表紙のみ) 多摩動物公園が30周年というので、そのついでに寄り道して入手。フロアガイドは11月付。出かけたのは12/10のことなので、割と出来立てだったことになる。

 12/4、新宿〜原宿〜渋谷と自転車で駆け回った日に立ち寄ったのがこの不思議なイベント。これと同じような実機がいくつも展示されていた訳だが、残念ながらあまり記憶にない。当時は、どのメーカーも潤っていたので、こういうのも当たり前。受け手としても感覚がマヒしていたんだと思う。

【参考画像】 これがその日の写真。都庁がまだ建っていないので、初台方面が白々と広くなっている。

 一年の締めくくりはやはりこれ。報道写真展と言えば新宿・小田急、というのがしばらく続いていたので、年末=新宿というのも恒例行事だった。(会場だった小田急グランドギャラリーがなくなるということで、2001年からは、新宿三越へ移るもそれも2004年まで。歳末新宿は、これでひと区切り。2005年からは日本橋三越で開かれるようになり、とりあえず落ち着いたようである。)


 以下は、おまけ。いずれも昭和63年にちなんだもの。

*9月2日の「くじの日」は、何か印を付けても良さそうだが、至って実用的。ちなみに、4/29は天皇誕生日。7/20、12/23はまだ祝日になっていない。

 掘り出すと他にもいろいろと出てきそうだが、今回はとりあえず、ファイリングされていた中からのチョイスということで、ひとまず。「おっ、これは!」というのがまた出てきたら、年内に紹介しようと思います。(来年(平成21年)になったら、今度は平成元年シリーズが待っている? ま、気長にお待ちいただければ、と。)(^^)


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