随筆「東京モノローグ2011」(3−4月期)
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救援物資受付会場の様子(アキバ UDX)第326話 そして3週間が過ぎ ANA機体メンテナンスセンターにて第327話 工場見学
罰金5万円!もさることながら、反射シールが付いているインパクトもまた大第324話 続 ポケットティッシュコレクション 14:46と15:17 大きな揺れが続いた第325話 東京 震度5

第327話 工場見学(2011.4.15)

 小学校の社会科見学では、自動車の工場(中小と大手)に行ったのを何となく覚えている。その後は二十歳を過ぎてから、キリンビールの生麦工場(当時)だったり、サッポロビールの津田沼工場だったり、予約なしで行けるビール工場の催しに足を運んだ程度。バブル期ゆえ、工場見学に行けば結構な待遇を得られたものと思われるが、予約する手段が電話に限られていた当時、それが億劫だったり、そもそもそうした情報が簡単に得られる訳でもなかったので行かなかった、それだけのことである。

 社会人になってからの工場見学も、エビスビールの麦酒記念館、アサビビールの茨城工場、今は複合商業施設になってしまったサッポロビールの埼玉工場第17話、そして地元 小山酒造第25話といった具合。これだけ見るとただのアルコール好きのように見られそうだが、何故かそういうのばかりだった。(仕事上では、電子部品・機器を中心にあちこちの工場に行ったが、「見学」ではないので割愛)

 グリーン購入ネットワークに出向してからは、仕事の上ではあるが、岡山の学生服メーカーの工場、新宿区の大手印刷工場、文京区の中規模印刷工場などを見させてもらった。一定規模のところをじっくりと、いわゆる「大人の社会科見学」的なものはこれが初めてだったかも知れない。

 何かを製造するのが工場とすると、清掃工場は対象外(いやスラグを製造しているから立派な工場か)でも良さそうだが、北清掃工場品川清掃工場光が丘清掃工場の3つについても「工場見学」した。(清掃工場と似て非なる、リサイクル関連の工場にも行った。第212話の通り。)

 あとは、シャトレーゼ ベルフォーレ ワイナリー(2005.3.26)、サントリー武蔵野工場(2005.11.23)、そしてJR東日本の大井工場(→参考と続く。(今は、東京総合車両センターだが、2004年までは大井工場と呼ばれていたようなので、一応工場見学の範疇ということで)

 ここに出かけたのがもう6年前とは...(中央本線 塩崎駅から徒歩で行ける)

 これだけ見ると、どこかの缶詰工場のようだが、あくまで缶ビール。試飲した時の様子は、第205話(3.)の通り。

 こうして振り返ってみると、工場見学というものにそれほどご縁があった訳ではないことがわかる。それ故、2011年は今までにない展開だった。1月23日の東京セキスイハイム工業 蓮田工場、3月8日のANA機体メンテナンスセンター、つまり住宅と航空機である。新ジャンルで立て続けだったので、新鮮味のあるうちに第325話で書くつもりだったのだが...(地震でそれどころではなくなってしまった次第)

 ANAは大地震の後、見学会を中止していたが、4月18日から再開されるとのこと。落ち着いてきたようなので、本稿の準備段階で画像の確認を入れさせてもらい、(一枚を除き)先日許可をいただいた。(本来ならこれも1カ月前にする予定だった。)

 昨今は、工場見学ブームとブログ等個人メディアの隆盛とが掛け合わさり、見学会に参加した人の顔貌がインターネットで広まってひと悶着、というのが増えているらしい。ブロガーからすれば、単に見学会に参加したことを伝えたいだけ・・・肖像権の侵害? まさか、ということだろうが、露骨なのは確かに考え物。筆者のそれはブログ形式ではないので、それほど拡散するものではないが、ANAのような約束事があればこっちとしても安心ではある。言うなればお墨付き、である。

 地震発生時も見学会は行われていたはず(14:00〜15:30の回)。機体工場の外は広いので、おそらくそこに避難したと思われるが、機体を囲む足場(かつ高所)にいた作業員は大変だっただろう。筆者が行ったのは3日前。もし3日ずれていたら、どうなっていたか。15時からの回だったので、メンテナンスセンターに着く手前あたりで、恐々としていたに違いない。見学会は中止、だが、モノレールは終日運休になってしまったから、帰るに帰れず、センターか空港で一夜を過ごすことになっていたかも知れない。3月8日でよかった、と言うのは憚られるが、偽らざるところである。

 随分と昔の話のように思えてしまうが、許可をいただいた写真をもとに見学記を綴る。(無難な画像ばかりなので、こと細かな話があまり書けないのが惜しまれる)

 ガイダンスの会場にあったANA仕様ガンダム。売店でも売られていたはずだが、よく憶えていない。

 整備作業中の飛行機をこのように見ることができる(工場の容積は、230.4×100.8×42.4m。敷地の広さは東京ドーム約1.8倍!)

 知る人ぞ知る「モヒカンジェット」。これを近くで見られただけでも来た甲斐あった。

 同前面(ズームアップ)。どこか愛敬がある。

 横からはよく見る図だが、

 後部に近づき、

 さらに回り込むとこんな具合。水族館でマグロを見た時の印象に近い。

 主翼の裏を見ることができるのも見学会ならではだろう

 ジェットエンジンがこういう構造になっているとは!

 こういう角度で見ることもなかなかない

 端的に言うと、飛行機をこのように間近に見ることができた(感動)、多くの方々の努力で航空システムが維持されていることがよくわかった(感銘)、この2つに尽きる。充実の90分間だった。

*東京モノレールの新整備場駅はなかなかご縁がなかったが、この時、ようやく下車できたというのもちょっとしたおまけ(→詳細)。これで23区内の駅でまだ乗降していないのは、つくばエクスプレスの秋葉原・北千住・青井・六町の4つばかりとなった。

 セキスイハイムの方は、ANAのような説明がなかったので、はじめはバシバシ撮っていたのだが、途中で「工場内NG」との話を受け、やむなく断念。支障がなさそうなもの(?)だけご紹介することにする。

 この日は、宇都宮、立川、小田原など各地からバスが集結し、約1400人来場とのこと。土日祝はとにかく人出が多いんだそうだ。

 据付実演の様子。工場で組み立てたユニットを基礎に連結し固定する。他にも耐震、耐火、落下の「実験」が屋外で行われるが、いずれも歓声ならぬ喚声が上がること請け合い。

 「家づくり工場ガイドマップ」から引用。○ヌキ数字の順で回った。11:10到着〜15:30出発。正味260分! 往復のバスも、ちょっと豪勢なお弁当も無料。人気があるのも頷ける。

 見学可能な工場で、その前を通ったことがあるのは、キユーピーの仙川工場や味の素の川崎工場の2つ。いずれ行ってみようと思っているが、撮影と掲載がどこまで可能か(または確認する手立てがあるか否か)といった情報があれば、行くか行かないかの一つの判断材料にはなる。その辺を含めたポータルサイト(→があればきっと重宝するだろう。(自分なりに調べてみるか...) ※ということで手始めに調べてみたら、仙川工場での見学会は終了とのこと。あの時、行っておけば...

 迷いようのないキユーピー工場

 味の素の工場は、京急大師線 鈴木町駅すぐ。アクセスは良好。

 

 

 

第326話 そして3週間が過ぎ(2011.4.1)

 ただでさえ花粉症でパッとしない中、余震に放射線に食料に水にと、どうにも落ち着かず、「失われた半月」と言っていいような日々が続いている。最近は治まったが、時々フラフラすることがあり、余震なのか年齢的なものか、考えあぐねたりもした。おそらく、いろいろな要素が重層的に被さっているためもあったのだろう。

 電車は動いても計画停電の時間帯によっては妙な混み方をするため、下手に動くのは躊躇われる。思うように出勤できないとなれば、在宅でできるものは在宅でとなるが、それも限りがある。ある週は、

 早めに起床→ニュースをチェック→消費者庁の情報を一応チェック→救援物資受付先情報をチェック(持ち込みでの受付可能なところが身近にあれば家の中で物資を収集)放射線風向き電車運行状況をチェック→外出できそうなら近所のスーパーへ行き、必要最低限のものを購入→その足で物資受付先へ→外出先で外食→帰宅後は余震に気をつけながら省エネ生活(在宅作業)...

 というのを日課にしてみたりもした。

 放射性物質の動向に恐々としつつも、ダイヤに大幅な乱れがないと見込んだ時には、取材を兼ねて遠出したりもした。

 ただ、3月にしては寒々としている折、節電云々で車内の暖房がオフだったりすると、寒い中を長時間揺られることになり、それはそれでよろしくない。被災地や避難所とは較ぶべくもないが、然るべき居場所がないことの不便・不安を感じたのは一度二度ではなかった。

 事務所の一つは耐震性に難があり、通常使用ができない模様。自転車で出かけるのは花粉との闘い。電車は寒い。自宅で過ごすのも限度あり。そうなると図書館か、長居ができる飲食店くらいなものだろう。どこでどう過ごすかを予め細かく決める必要を実感したこの3週間である。

 そういう制約下だからこそできることもある。同時にこういう時節だからこそ見られる状態や情報というのがある。浮動的な時間には空隙がある。ちょちょっと記録を蓄えるのは難しいことではない。この間、何か成果があったとするなら、その記録の数々を挙げてもいいだろう。そして、その一部が今回の話題。題するなら「地震がもたらした何か」である。カテゴリー別、日時順にご紹介する。


1.店舗

 大別すると、商品そのものと電気関係になるだろう。品々が戻ってきた一方で、電気の方は戻らない。節電が定着する分には大歓迎である。(まだ明るいという指摘はある。)

 お値段高めのパンも見事に品切れ。後方の棚が市販のパンだが、言うに及ばず。(3/13)

 均一系ディスカウントショップもこの通り。インスタント食品は払底状態。(3/13)

 そうそうお目にかかれない状態。このスーパーはしばらく入荷難が続いていた。(乳製品の商品棚)(3/14)

 左に同じ。開店前(入荷前)の写真と言っても通用しそう。(3/14)

 地震による水漏れで営業休止に。(3/14) その後、この定食屋は再開したが、同じ建物にある別の飲食店は今もなお休止中。

 池袋にある「宮城ふるさとプラザ」。筆者が訪れた時は商品はまだ多く残っていた。地震直後はペットボトルを活用した募金箱が置かれていたそうだが、この日はきちんとした箱になっていた。いくらか投じさせてもらった。(店内は節電中)(3/17)

 おなじみの散髪ショップもこの通り。ふだんなら、待ち時間の目安を示すランプが点灯している訳だが、それが消えている。見上げた節電努力である。(3/18)

 商店街事務所の入口では、堂々と募金箱が。隣のパチンコ店も歩調を合わせるように営業時間の短縮と節電のことわり書きが出ていた。(3/26@十条銀座)

2.鉄道

 輸送サービスが売り物だとすると、お店と同じことが言える。売るものが減る、電気も減る、その2つである。

 こういう事態に陥るのは普通では考えられない。多額の払い戻しが行われたことがわかる。(3/14)

 台風が直撃すると、これと同じような状態になるが、今回はその理由が異なる。停電か地震か、である。(3/17)

 券売機がこういう形でOFFになろうとは...(3/22@小田急線 新宿駅)

 上と比較すると幾分緩和した観は受けるが、まだまだ運休の赤が目立つ(3/22)

 東京駅地下、京葉線ホームに向かう途中の「動かない歩道」。空港にも同じものがあるが、やはり停めたのだろうか。(3/22)

 JRの券売機でのOFF。4台横並びで、というのを見たのはここが初めて。(3/30@さいたま新都心駅)

3.貼り紙

 行く先々で目にするのが貼り紙の類。↑でもいくつか載せた通り、これも品不足か節電かに分かれる。節電の方はそれが当たり前になれば、要らなくなるだろう。

 「節電協力の為、停止中です」(3/18@アキバブリッジ)

 お見舞い文を掲示している店や施設も少なくはない(3/19)

 日本サッカーミュージアムも休館となった。再開予定は4/23(3/22)

 買いだめを促したのは表現の問題とする見方もある。「再入荷の目処も未だたっていない」と言われれば、買い込みたくなるのが消費者心理だろう。(→参考記事

4.ホウレン草

 放射性物質の影響(風評)を露骨に受けているのが葉物野菜。規制対象として早々に名が挙がったことで代表格となってしまった観があるのがホウレン草だろう。どこ産がいくらで売られているか、大ざっぱに調べてみた。

 秋田産、158円(3/22@麹町)

 千葉産、140円(3/22@秋葉原)

 埼玉産、128円(3/23@小豆沢)

 埼玉産、108円(3/26@十条)

 埼玉?千葉? 129円(3/26@十条)

 産地不明、2束250円(3/26@赤羽)

 出荷規制の発表があった直後、地元のスーパーを見てみたら、埼玉産が198円だった。直近では158円に下がっていた。どこ産であれ、あまり売れていない(結果、値崩れ?)様子。

5.イベント

 3月は週末ごとに何らかのイベントに出かける予定を立てていた。3/13は東京都交通局「都電7500形引退記念イベント」、3/20は補助第172号線(西池袋地区)「開通記念式典」、3/26は「第9回北区内田康夫ミステリー文学賞」授賞式・記念イベントといった具合である。これら全て、催事部分については中止である。自粛トレンドの一端と言える。

 逆に、救援物資受付イベントなるものは増えた。3/18は、アキバのUDXで持ち込み式の会場が設けられるというので、宿泊先でもらってストックしていた歯ブラシなどを持って行った。同じような催しがあれば、できるだけ協力しようと思う。

 左2列で受付。右はメッセージコーナー。受付がこのように空くことはあまりなく、ひっきりなしだった。

 写真上方が受付。受け付けた品々は、品目別に箱に詰められ、積まれていく。圧巻だった。

6.リアリティ

 目に見える形での地震の跡を探りに、3/22は新木場、3/24には千葉県北東部(→参考へ足を運んだ。

 新木場駅前の歩道はまだ泥が堆積

 新浦安と比べれば…というのはあるが、これはこれで通常では考え難い壊れようである

 新木場から東の方向に歩き進むと、こうした状態の連続になる。カラーコーンと自転車の埋もれ具合からその深さがわかる。

 沈降したり、土砂が溢れたり、というだけが液状化ではない。隆起もまたその現象の一である。

 JR成田線 下総橘駅にて。倉庫と家屋(左)の屋根に注目。

 下総橘から笹川に向かう途中、利根川方面を撮影。瓦屋根が損壊した家屋は佐原を過ぎる辺りまで随所で見られた。

 救われる気分になれたのは、3/30に出かけた「さいたまスーパーアリーナ」だろう。ご存じの通り、主に福島県双葉町の方々の避難場所として開放された施設だが、そこは施設以上のものであふれていた。もちろん外回りだけだが、目にするもの全てが何かを語り、心を動かす。ボランティアスタッフの動き、メッセージボードの力強さ、手書きの掲示物の躍動感、各地から届いた物資の量を思わせる段ボールの塊、近隣の企業や店による無償サービスを知らせる貼り紙の数々...行ってみないとわからないものだとつくづく思った。

 ある意味、衝撃的だった。単なる案内を超えた気迫を感じる。

 「一言 ありがとう 三年後 福島へ来て下さい!」はじめ、謝意を示す言葉があふれる。こうしたボードが通路両側を埋める。

 段ボールの山が物資の量を物語る。この日はパック飲料が配られていた。

 (3/22付 アリーナのホームページより)


 こうして振り返ってみると、失われた某でないことがハッキリした。要は気の持ちようである。気が緩められない日々はまだまだ続きそうだが、今は年度の変わり目。平素以上に気を引き締めるべき時期であり、その延長で防災意識を高めればいい、そう思う。

 

第325話 東京 震度5(2011.3.14)

 時間が経ってからがいいか、記憶の新しいうちがいいか、悩ましいところだったが、早めに綴ることにした。東京の震度5強、の件である。

 3月11日の早朝、近所のカラス集団が妙な啼き声で騒いでいたのは、今回の予兆だったんだと改めて思う。そして半蔵門の事務所に向かうのに、第323話の逆コースであえて徒歩にしたのは、自分なりに何か予期するところあって、そうしたのかも知れないと思ったりもする。

 東京駅の丸の内南口を出て、日比谷通り〜馬場先門〜皇居前広場と経由して祝田橋を渡り、あとは第323話の逆。皇居ランナーは朝も多いこと、桜田濠にはカモの類が結構浮かんでいること、国会議事堂から最高裁判所の前にかけての勾配がそれなりにあること、など今にして思えば悠長に検証していたものだと思う。

 楠公像があるこの広場、20年ぶりくらいか初めてか、という場所である(これが下見になるとは思いも寄らなかった)

 この位置から国会議事堂が見えるようになる

 カモは地震を察知していたかどうか...

 朝なら花粉は少ないだろうから、というのは見当違いも甚だしい。花粉にグズグズやりながらの歩行は自ずと遅くなる。東京から半蔵門まで35分ほどの往路となった。

 この日はその瞬間まで至っていつも通り。複数の市民団体が入るビルの2階には、筆者を含めて10人いたが、その人数がいつもより少ない・・・違いと言えばその程度である。だが、明らかな違い、否、人の一生の中でそうそう遭遇することのない出来事がこの日は起きた。

 隣席では青森県の某自治体の議会事務局と電話がつながっていた。大きな揺れは青森の方が先、それが早期警戒のような形になった。青森側が電話を切るか切らないかのうちに、こっちも揺れ出した。しばらくは初期微動のような感じだったが、誰からともなく声を掛け合い、階下へ急ぐ。大揺れの階段をとにかく皆で下りるも、息つく暇が全くない。外に出てもなお収まる気配はなく、さらに激しさを増し、それが何秒も続く。窓ガラスが落下する危険性がない場所は限られている。せいぜい平面駐車場の前くらいである。それでも電柱や建物が倒れてくればどこに居ても同じようなもの。この無力感と恐怖と言ったら、なかった。

 一時はどうなることかと思ったが、震度が6までは行かなかったのがせめてもの救い。ギリギリで助かった、今はそう思う。

 一旦事務所に戻ったが、直後は散乱状態だった。速やかに避難してなかったら、本棚や書物の犠牲になっていた人がいたかも知れない。通路を確保すべく落ちてきた本を片付けたり、手荷物の無事の確認などをしていたら、また大きいのが来た。30分後のことである。

 今度はデジカメを持って出た。そして少しでも揺れの様子を記録しようと試みた。その時の動画がこれである。

 14:46からの数分間は本当に長かったが、この15:17はそれよりは短かった。だが、こうして記録できたということは、やはり一定の長さはあったことになる。「こうした揺れがまだ何度も?」、そう思った時の何ともやりきれない気分は今後も記憶に残るだろうし、むしろしっかり刻み付けておいた方がいいだろうと思う。

 倒壊は免れたが、外壁は損壊。近所のビルではこうしたケースや、ヒビも見かけた。

 半蔵門は開かない(15:40)

 余震が来るのがわかった以上、ひとまず周囲や上空が開けている場所に避難するのが賢明だろう。10人の一行は、皇居方面、即ち半蔵門をめざすことにした。麹町界隈の昼間人口が多いことは百も承知。半蔵門周辺には、ヘルメットの有無の違いはあれど、とにかく大勢のオフィスワーカーが集結し、何らかの指示や放送を待っているような雰囲気があった。

 当然のように半蔵門が開くことはない。「皇居前広場へ」というアナウンスが繰り返されるだけである。千代田区の広報車が来るも、切迫感はなく、それをかき消すように消防車が緊張感たっぷりに通り過ぎていく。人が多い分には安心感はあるが、広域避難にならない以上、長居は無用。ひとまず16時を以って自主解散ということにし、ともに無事を祈り、その場を後にした。ここから先は長い帰路になる。画像+キャプションを中心に綴ることにする。(直接的な被害に遭われた方々には心よりお悔やみ、お見舞い申し上げます。)

1.半蔵門〜皇居前広場〜東京駅

 往路とは何もかも一転してしまった復路。天候、歩行者の数、そして心理面。雨が本降りにならなかったのは救いだった。(16:31)

 冒頭の写真と同じ出口に当たる。桜田門駅3番出口は閉鎖。東京メトロ社員が様子を見る。

 普段は通れる桜田門もこのように立入禁止に(16:47)

 新丸の内ビルディングに着く。1階ロビーはすでに多くの人が詰めかけ、待機していた。大型ディスプレイでは、市原の火災の様子が映し出されていた。(17:11)

 東京駅(丸の内北口)に行くと、改札は自由に通れるようになっていた。駅の通路や階段では疲れた様子で座り込む人を多く見かけた。

 タクシーなのかバスなのか、とにかく長い行列ができていた。東京駅に来れば、荒川土手(または江北駅)行きのバスに乗れるので、少なからず期待はしていたが、これでは到底ムリである。かくして徒歩帰宅を決意する。(17:18)

2.東京駅〜外堀通り〜昌平橋通り〜不忍通り

 こういう時は花粉症も何もないのだが、時折強く吹く寒風とともに、目も鼻も厳しくなってきた。だが、涙が何となく出てくるのはどうもそうした外的要因ばかりではなかったようだ。大げさかも知れないが、助かったという安堵感、皆で歩いているという一体感、そんなものが感じられたせいだと思う。

 あのまま新丸ビルに留まっていた方がよかったか...という思いも時によぎったが、少しでも距離を稼ぐ、あれこれ記録しておく、そのためには明るいうちに限る、そう考えて歩を進めた。結果的にちゃんと帰れたんだから、それでよかったようだ。

 淡路町近くのこの飲食店は、臨時休業(17:46)

 同じく淡路町の近江屋洋菓子店は、入口のガラスが大破するも営業中(17:49)

 弁当チェーン店は早々と閉店。こういう時こそ、と思うが、何か事情があったのだろう。(神田明神の近く、17:59)

 昌平橋通りと蔵前橋通りとの交差点一角に、なじみのファミレス(妻恋坂店)がある。あわよくば…の思いもあったが、この混雑で断念。この先にあるハナマサ(湯島店)があることはわかっていたので、そこで何か買ってしのぐことにした。

 不忍池の西側、つまり不忍通りをずっと歩くのは初めてだったので、その先に「はん亭」があるのを知ったのも初めて。池の畔を歩いていた時は心細かったが、根津の近くに来て、この建物が視界に入った時は正直ホッとした。(18:31)

 根津駅前の交差点が不忍通り×言問通りというのを知ったのもこの時。その交差点角にある赤札堂(→地図参照では、「1階のみの営業」としながらもしっかりやっていた。こういう姿勢は心強い。

3.根津〜団子坂〜本郷通り〜駒込駅(南北線乗車)

 そして、ここ「不忍通りふれあい館」にたどり着く。筆者が入った時はまだ少なかったが、徐々に入館者が増え、いつしかイスを並べるのを手伝う状況に。このようにタイムリーな情報提供をしてくれる上、インターネットが自由に使えるようになっていて、実にありがたかった。滞在時間は1時間余り。

 森鷗外の「青年」の冒頭で、根津神社や団子坂が出てくる。実はこの近所まで来ることはあっても、団子坂を上ったり、根津神社を正面から拝んだり、というのはこれまでなかった。これも何かのお導きだったのかも知れない。そして筆者は坂上にあるJCAFE事務所(同NPO代表宅)をめざした。公衆電話から一本入れておくべきだったが、途中で見かけた電話はどこも使用中。押しかけるような形になってしまった訳だが、幸いご歓待いただいた。誰か来るんじゃないか、などと話をされていたそうな。一家団欒の折、一緒に食卓を囲む恰好になり、そのうち飲み会の様相に。ここまでの疲労感を払拭して余りあるひととき(と言っても3時間!)を過ごさせてもらった。自分で言うのも何だが、こういう時は案外強運だ、そう思った。

 言うまでもなく、ネット環境はバッチリである。細君とはメールのやりとりができ、細君の実家にはPC経由でFAXを入れることができた。(電話がつながらないため、自分の実家とは連絡がつかなかったが、この後の帰路で公衆電話からかけてつながった。無料だったのは何よりありがたかった。) ともあれ、南北線が動き始めたので、様子を見に行きつつ、おいとますることにした。23時前である。

 南北線 東大前駅近くの歩道橋から本郷通りを撮影。この時間のこの渋滞は普段では考えられないだろう。都バスは2系統通っているが、いずれも増発されていて、このように連なっていた。ただし、至ってノロノロ。

 南北線は立錐のスキなし、との話だったので、同線に沿って歩くことにする。バスは途中でつかまえられれば乗るつもりでいたが、都立高校がこんな具合で救援体制になっていたことで励まされ、この後、駒込駅まで歩くことができた。非常時の手書き文字には力がある。(向丘高校、23:15)

4.王子駅(南北線下車)〜東十条駅〜稲付遊歩道〜赤羽駅

 駒込駅からは何とか南北線に乗ることができた。乗った時にはとっくに日付が変わっていたが、乗ってしまえばとにかく時間も負担も減らせる。西ヶ原〜飛鳥山の上り下りを避けられたのはとにかく大きかった。

 王子からはまた超満員になってしまったので、再び徒歩(24:16)

 東十条駅寄りには複数の踏切がある。JRは早々と運休を発表していたが、踏切は鳴りっ放しだった。(井頭踏切、24:39)(→地図参照

 アルコールをいただいたものの、足取りは不思議なくらい確か。揺れを感じることもなかった。やがて東十条駅に着き、ゴールが見えてきた。(左の写真は、東十条駅に隣接する駐輪場から、その隣の「下十条運転区」を撮ったもの。駅と車庫との間が駐輪場になっていて、こんな風に京浜東北線を間近に見られるのがわかったのは今回の収穫の一である。)

 東十条駅北口にて(24:48)

 東北線と埼京線が交わる手前数百m付近、宇都宮線か高崎線か不明だが、とにかくおなじみの車両が暗い状態で停車していた。地震発生時、ここで緊急停車し、乗客を降ろしたことが推測される。(24:55)

 赤羽駅西口ロータリーにて。理由はともあれ、公共交通が早々と運休してしまうのは痛い。(25:10)

 赤羽駅では、ディスプレイでニュース映像を流していた

 バスが動かないとなれば、タクシーしかない。それでも帰れる見込みがある人はまだよかったと言える。(駅の商業施設通路には、多くの人達が泊まり込む支度をしていた。)(25:16)

 スターバックスでは深夜にもかかわらず、復旧作業が行われていた。地震で何かが落下したのだとすると、ケガ人が出た可能性も。

 赤羽駅での状況を見届けたら、あとは日常的な感覚で家路につくばかり。単純に、東京メトロに置き換えてここまでの距離を調べてみたら、麹町〜有楽町:2.8km、日比谷〜根津:5.1km、東大前〜赤羽岩淵:8.6km(うち、駒込〜王子:2.4kmは、乗車したのでその分マイナス)となり、合計で約14kmになった。

 朝の歩行距離(東京〜半蔵門)を足せば、実に17kmになる。余計な体力を使った感もあるが、長距離を歩く助走のようなものになったとするなら、それはそれでよかったとも言える。(ちなみに、最短になりそうなルートとしては、半蔵門〜神保町〜白山:5.1km、本駒込〜赤羽岩淵:7.7kmの計12.8km。駒込〜王子を地下鉄に頼ったとすれば10km程度になり、かなりの差が出る。皇居の南側をとるか北側をとるかの違いだが、短ければいいといいものでもない。実証済みルートの方が無難という考え方はある。)

 かなり寄り道したので、純粋な歩行時間は明確ではないが、おそらく3時間半ほど。そう考えるとヘトヘトになりそうだが、帰宅したらスゴイことになっていて、到達感も疲れも吹っ飛んでしまった。余震にビクビクしながらも大まかな片付けをし、ひと段落した頃には、夜が明けていた。

 地震発生から17時間。長かったような短かったような、である。まず体験できない感覚であることは間違いない。

*この続き、書けそうなら書くことにします。

 
 

 

 

第324話 続 ポケットティッシュコレクション(2011.3.1)

 1月20日付の「今春の飛散花粉数は都の観測史上2番目・・・飛散開始日は2月16日から19日ごろ」との東京都の発表に恐々としながらも、結局何の予防策も講じられなかった筆者である。開き直る度量もないので、花粉が飛び立つ前に出端(ここでは出花?)を挫くような自然現象が起きないものかと思っていたら、2月14〜15日にかけてちょっとした雪に見舞われ、これぞ天の配剤と喜々としたものである。雪で縮こまってくれれば開くのに時間がかかるだろうし、花粉も劣化するだろう、というのが素人の了見。実際、2月25日の最高気温20℃?!日を迎えるまでは、自覚症状は出なかったのだから、少しは効いたのだと思う。

 飛び始めてから雪!(油断したところに冷や水)の方がより効果的な気もするが、雪は雪で困ることもあるので、積極的に雪乞いしようとは思わない。ただし、避暑ならぬ「避粉」する宛も伝手もない。今シーズンもうまく乗り切るしかなさそうである。

 この時期、何かと世話になるのがティッシュペーパーの類。「発症前提だが予防は予防」である。こちらの備えは上々なので、泰然としたものである。3年前はつなぎとしてポケットティッシュを引っ張り出す中で、自嘲気味に「コレクション」化を試みた訳だが、幸い今回はそうした様相はない。つなぎでも何でもない、純粋にコレクションとしてキープしておいたものばかりである。一応、前回(第251話)の続編としてここにご紹介する。(この3年間で集めたものが中心だが、それ以前に持っていて新たに発掘したものも含まれる)

  • 啓発

 マナーアップはいいが、具体的にどうすればアップにつながるのかがわからないのが難点。見方によっては喫煙奨励のようにも見えてしまう。

 これを見る度に、かつて上大岡の駅前のタバコ店で見た光景を思い出す。制服を着た男子高校生(?)グループに平然と対面販売をしていたあの店。このたばこ商業協同組合にも属している筈だが、今はどうなっていることやら?

 ティッシュによる啓発でより効果的なのは、具体的行動に直結し得るキットが伴っていることだろう。マナーアップのお手本のようなこのティッシュ。折り畳みの別添資料と反射シール付きで配られていた。(だが、こうして一式揃っているということは...ちゃんと使わないといけませんね)(^^;

  • キャラクター

 入手した経緯がいま一つハッキリしないが、この「ミコロ」「ハコロ」のご両人、岡山市が政令指定都市になった(2009.4.1)のを記念して誕生したとのことなので、ここ2年の話であることには違いない。いま一つインパクトに欠けるが、キャラクターはキャラクターである。

 献血のキャラクターと言えば、この「けんけつちゃん」(またの名を"チッチ") だが...

 キティちゃん(裏面には"Nurse Kitty"とある)もこの通り。ティッシュの質感然り、やはりこちらが上か。

  • 金融系・保険系

 括りとしては、キャラクターでもいいのだが、ここはあえて金融系。ディズニーアイテムとしても価値アリだが、今日のメガバンクの歴史の一端を示す貴重な一品でもある。

 このティッシュを改めて手にして気付かされた。2008年末まではゆうちょ銀行←→他の金融機関間での振込はできなかった!ということである。何の気なしにもらったものでも、時にハッとさせられるという好例。

 これだけ見ると何の変哲もないが、実はちょっとしたエピソードがある。右画像にある徽章をひょんなことから拾得するも、しばらくどこの会社のものかわからずにいた。ある時、地元某所でこれと同じロゴを見つけ、「あっ!」。単に窓口に届けたのでは面白くないので、何ぞのついでに丸の内の本店へ。その時に入手したのがこのティッシュという次第である。(もちろん、御礼の品はこれ以外にも頂戴した。さすがは本店!)

  • メディカル系

 hanakaraと比べれば至って実直。残念なのは「理学療法って?」となった時に、これでは不明なこと。「ご質問は…」とメールアドレスが付記されているのはそのためと思われるが、筆者のようなIT屋は、つい違うことを尋ねたくなってしまう。「bekkoame.ne.jpとはまた古くからEメールをお使いなんですね」

 医療機関へのPR用にメーカーが配布したものだと思うが、その「楽診」さをアピールするあまり、切実感がないのがマイナスか。確かに楽ではあったが、患者側の心理を考えるとちょっとどうかと思ってしまう。(何より、hanakara.jpというのがスゴイ。内視鏡の件とリンクしていなければ、「鼻から毛」「鼻から血」にも通じてしまう。注意を要する。)

  • ブルー&グリーン

 至ってシンプルなパナソニックのティッシュ。Pケータイの下に「Pティッシュ」とでも入れれば、さらに効果大?!

 日光線全線開業120周年記念イベントの一環で、スタンプラリーがあり、那須方面を旅した折にクリアして抽選会場へ。その結果がこれ。宇都宮に行かないと手に入らないという意味では貴重だが...

 どこでもらったものかと思いつつ、ウラを見れば「大田市場」とあって思い出した。第259話の文末にあるように、漂着物調査の場所探しで、大田市場近くに来た時に入手したのだった。市場内にホテル?と思うかも知れないが、事実である。(→参考

 これだけだと何の会社かわからないかも知れない。wwwが載っているので、手がかりは得られるが...

 オレンジページながら、カラーはグリーン。即ち、「オレンジページのグリーンティッシュ」。意表を衝くという点では成功だろう。

  • 環境配慮型

 これもブルーとグリーンではあるが、環境IDを全面に盛り込んであるので、違う括りにした。素材は「さとうきび」(バガス80%)。この状態では見えないが、ウラには「チーム・マイナス6%」のロゴ、底面には「www.tbs.co.jp/tbs/eco/」と入れてあって実にエコエコ。だが、その辺にしておけばいいところ、容器包装の識別表示である[プラ]を左上に入れたがために、一見「このティッシュ、プラスチック製?」という誤解を与えかねなくなっている。肝心の「TBSラジオ」のPRの方も怪しい。

 同じ環境配慮でも、こちらは極めて質素。同じくさとうきびパルプだが、ウラにその配合率と「カナダ、日本産木材パルプ20%使用」とまで付されていて、よくわかる。「TBSラ」も、こうありたい。

 エコマーク付きでなかなか健闘しているが、「溶ける→水に流せる」はいいとして、洋上に漂っているのがその紙?という要らぬ想像を掻き立ててしまうのが悩ましいところ。言わずもがな雲を表現している訳だが、太平洋上にある塊が巨大過ぎて、雲と見受けられなかったりするのだ。裏を見ると、東京商工会議所の各種検定試験の紹介が載っていて、当然「eco検定」も出ている。eco検定以前の話のように思えてしまうのは筆者だけ?

  • その他のPR系

 日付を見ておわかりの通り、最も直近に入手したのがこれ。JR有楽町駅の国際フォーラム口で、ご当地からいらしたらしいご婦人方が談笑しながら悠長に配っていたのが印象的だった。ちなみに射水市の玄関に当たるのは、この駅である。

 色合いからして、風水で云う西に置くべき一品と言えるが、何せSUNRISEである。やはり東に置くべきだろう。今回のコレクション中、最もアート性が高い?

  • ウェットティッシュ(番外編)

 国勢調査のインターネット回答体験デモの会場でいただいた。保湿成分配合かつ無香料、なかなか手が込んでいる。

 こちらは「植物生まれのアルコール使用」。裏の成分表示を見ても、どの辺りが植物性なのかはよくわからなかった。

 同じ銀行でも信託銀行となると、配るものが変わってくる。中央三井はこんな感じ。

 JCBプラザでずいぶんと前にもらった品。未開封ではあるが、とっくにウェットではなくなっている(と思われる)。

 サムネイル画像にすると、同じ大きさに見えるが、上の4つと比べると、これは別格。15cm×9cmほどあった。東京ガスゆえ、レンジ周りを拭くことも想定?

 Googleリーダーで拾い読みしていたら、「進化する花粉症向けの医薬品」というのに行き当たった。この記事、も少し早く出してもらえていれば、西洋医学的な予防が図れたのに、とも思うが、前後してある整体師の方から、「老廃物が溜まっていると発症。毒素を流して、新たな毒素をなるべく入れないように」との旨、ご指導をいただいた。細君からも常々高説を賜っている。西洋医学は対症療法、まずは体質改善!なのである。

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