随筆「東京モノローグ2006」(1−2月期)
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第203話 グランドステージと東横イン  第202話 ICテレホンカードと度数減算カード〜NTTの利用機会も減っていく  第201話 第1話〜第99話ふりかえり  第200話 2005年20大ニュース(後編)

第203話 グランドステージと東横イン(2006.2.15)

 耐震偽装云々で、グランドステージ(以下、GS)の一件を知って、それが赤羽にもあることを目にした筆者。GS赤羽は、最初の報道時点ではまだクロではなかったが、連鎖反応の予感があったので、真偽の程を確かめるべく、自転車を駆って現地に。昨年の11/22のことである。

この頃はまだ一戸一戸の生活があった。 パッと見は、何の遜色もないのだが、気密性の高いマンションではあまり現れない露が窓に広がっていたこと(窓の内側は結露?)、比較的新しい建物のはずなのに、細めのクラックが何条も外壁に見受けられたこと、などから、「いやもしかすると...」と直感した次第。朝早くに行ってみたので、これから出勤と思しき住人の方々を見かけた。どことなく神妙な表情だったが、当時の本音は「まさかここが」「ウチは無事?」だっただろうと思う。(参考:当日の天気は晴、最低気温は5.2℃。朝方、冷え込んではいたが、露が出るには至らない?)

 建物名は、GS赤羽だが、赤羽駅からはそれなりに距離があり、JR京浜東北線の次の駅、東十条からも歩けなくはない位置合い。住所は赤羽や赤羽南ではなく、神谷になる。偽名とは言わないが、正直でもない感じを受ける。駅からは遠いものの、小中学校が近いのが特徴。住環境としては悪くはない。ただし、広さがウリなだけに、戸数が少ないのがハンディ。共益・共有に関する部分の維持はそれなりだろうし、管理組合もただでさえ負担が大きいところに、この一件である。北区の発表があった時は、「あぁ、やっぱり」と慨嘆するしかなかった。退去命令が出てしまったとなっては致し方ない。こういう事態において、住民の方々にかけるのに妥当な言葉が思いつかない。(お見舞い申し上げます、だろうか。) それだけ稀なケースなのである。

 余談だが、何かとGS、GSと出てくると、元々のGSはいい迷惑だろうと思う。ガソリンスタンド、ガスステーション、ガールスカウト、グループサウンズ... いろいろ出てくる。(こちらもご参考まで)

 gold, silverもそうだし、銀座・新橋もGS。いや、偽装のGと詐取のSだったのかも知れない。(気を悪くされたらゴメンナサイ。)

 同じく北区内には、赤羽の他に、GS浮間公園がある。価格の割には随分と広いなぁ、と折込などで知ってはいた。だが、明るみに出たのは、赤羽発覚後、しばらく経ってからのこと。区のホームページ「構造計算書偽装問題について」によると、2月4日に報道発表されている。比較参照してみたところ、

  • GS浮間公園:2002年9月竣工

保有水平耐力/必要保有水平耐力 0.70 ⇒ 要・耐震改修

  • GS赤羽:2000年5月竣工

保有水平耐力/必要保有水平耐力 0.32 ⇒ 要・建て替え

 と浮間公園と赤羽では明暗が分かれた感じである。

 奇遇にも、ひょんなことから、「Club 100m2 Magazine」なる大判チラシが出てきた。何とも不思議な名称だと思ったが、100uを前面に出しているだけの話。だが読み方は「クラブワンハンドレッド」らしい。どうも名称に難点があるのがここの特徴のようである。(ちなみに、http://www.club100m2.com/ という専用サイトもあったが、今はなく、自動で切り替わってしまう。) マガジンの発行元はもちろんヒューザー社。旧社名は「センチュリー21ハウジングセンター」との併記があって、なおビックリ。裏面には、GS船橋、GS川口と並んで、当の浮間公園の物件情報が掲載されている。発行年月が不明なのだが、おそらく2001年に出た号らしく、GS浮間公園は、同年10/6(土)、モデルルームOPENとある。まさか、ここがそんな施工をされているとは。チラシを見る限りでは判読不能である。

これがその3物件の案内(現地地図は省略)


この発想は決して悪くなかったのだが...(チラシ見開きより)

 現地地図が載っていたので、これを頼りに現地へ行ってみることにした。筆者宅からそれほど遠くはないのだが、工場街に向かう道路のためか、自転車だと走りにくく時間がかかる感じ。何となく迂回しながら、ようやく到着。途中、大がかりな古紙の束を扱う工場に遇し、浮間ならではの一抹のダイナミズムを感じた。奇しくも、GS赤羽の付近には、大手印刷会社の工場がある。ここ浮間は、逆にその最終形が集まってくる。余った印刷物も大量に見かけた。GSのあるところ、紙に縁があるような。赤羽と浮間、妙な因果関係である。

左が建設現場。右がGS浮間公園。 退去命令は出ていないものの、全体的にひっそりした佇まい。目前で、某社会福祉法人が大規模な施設を建設中で、それとの対比で余計にひっそり感が強くなる。発覚後の赤羽は、急な転居を強いられた住人の動きであわただしさを感じた。これが0.70と0.32の違いなんだろうか。

 一戸あたりの面積は確かに広そう。(チラシを改めて見ると、平均専有面積は、97.81u!) 新河岸川は、建設現場の向こうを流れる。何も建たなければ、ちょっとしたリバーフロントビューを望む好立地なのである。だが、GS赤羽同様、駅からは遠い。浮間舟渡駅へは、水再生センターが阻んでいることもあるが、やたら遠回り。おまけに周辺は工業地ゆえに、少々雑駁な趣。まぁ、社会福祉施設が完成し、GSの耐震改修も終われば、また違った風情になるだろう。(ちなみに、建設中の施設の「確認検査/住宅性能評価機関」は、何とイーホームズと掲出されていた。)

 ここも浮間公園というのはちょっとムリがあって、当の公園は、JR埼京線の向こう側。1km近く離れている。もし名付けるなら、単にGS浮間か、近くを通る新河岸川や新河岸橋に因んで、GS新河岸浮間とした方がピンと来る。

 同日、GS赤羽にも再度出かけてみた。すっかり転居も進んだようで、今は静まり返っている。0.32は確かに気が気じゃない。隣接する低層家屋はいたたまれないだろう。その隣接地を除く3方向が道路に面しているのが、せめてもの救いである。解体工事が始まったら、また騒々しくなりそうだ。

ほぼ転居は終了?

10日前は、引越用のトラックが来ていた。

 GSがご近所にあったら、それはそれで恐々となるだろうが、いわゆる老朽の木造家屋や、1981年以前に建てられたと思われる高層・中層の建築物が点在している現実はより重い。事件性や一面を捉えて憂うのではなく、地域・広域の防災は常々考えておきたいところ。

 何より、商売には地道さ、公的業務には確実さ、これがない限り、安全・安心は得られない。事故やトラブルは未然に防がないと、その何倍ものリスクやコストが発生することは過去にいくらでも教訓がある。事業者が本来提供するものは何なのか、公的機関が本来保証するものは何なのか... 立場を超えて、一人一人が考え、互いに目を配る必要を覚える。(消費者・利用者としては、その不備に気付き、騙されないようにするに越したことはないのだが、高度な専門性を求められるものが対象の場合は限界がある。)


 さて、GS絡みで騒々しいところに、東横イン騒ぎが加わったのには吃驚した。昨夏8/1、赤羽岩淵駅前に新たにできた同ホテル。こんな立地で大丈夫?と思いきや、結構、流行っているようで、ランドマーク的にも定着してきた観があったので、今回の違法改造の報道を知った際は、面食らった。ただこちらは、営業停止ということはなく、報道後も飄々とやっていたので、それがまたビックリ。何でもここは、身障者用トイレの手すりと身障者浴槽を撤去してしまったとのこと。外観を見る限りは、どこが改造箇所かはわからないし、実働的には影響がない訳である。一応、狭いながらも身障者用の駐車スペースがここにはあった。だが、駐車場からエントランスまでは距離があり、バリアフリーな印象は受けない。同社の精神はやはりその程度、ということか。

エントランスはなかなか立派。わかりにくいが、点字ブロックも付いてはいる。

ホテルの裏側にある駐車スペース。いわゆるフロントアクセスではない。

 効率優先とされる東横インは、建設コストの縮減や個室の広さは重視していなかった。ビジネス客にウケる最低限の線を狙うことに専心していたので、耐震偽装には引っかからなかったのだろう。もし、建設コストがどうこう、というのも頭にあったら、耐震偽装+違法改造ということになっていた可能性がある。それを自業自得ととるか、同じ建替なら一石二鳥、ととるか... どちらにしても不徳な話である。

 世間を騒がす物件が比較的近所に3つ(GS川口も入れれば4つ!)もあって、複雑な心境。事件は身近に有り得るもの、ということを再認識できたのはいいが...

  • おことわり...プライバシーに関わる側面が強いため、現地地図等の詳述は避け、画像も必要最小限にしました。ご了承の程を。

第202話 ICテレホンカードと度数減算カード(2006.2.1)

 Suicaがまたまた進化しようとしている。筆者は相変わらず、ケータイ不携帯派なので、無縁な話ではあるが、1月28日から携帯電話にSuica機能を付加する「モバイルSuica」サービスがスタート。渋谷や新宿の駅構内で早速、案内ブースを見かけ、「あぁ、いよいよ」と時代の変化を実感した次第である。しかし、カード式の従来のSuicaに慣れている人にとっては、今回のモバイルSuicaは少々手こずるかも知れない。カード式同様、タッチすればより確実に改札を通過できるが、下手にタッチすると、携帯電話本体も、改札機のセンサー部分も傷ついたり、破損したりするおそれがある。タッチするのをためらう人が増えれば、以前にも増してスイスイでなくなる可能性が出てくる。(筆者的には「Suica?」と書きたい。) そして最も懸念されるのは、あわてて通過しようとして、思い切りタッチして「あちゃー」とか、取り出し損ねてケータイを落として「わー」とか、悲鳴を伴う事態の頻発。場合によっては、サービス見合せ、も有り得るだろう。どうもこの辺りの実際動作に基づく検証を経ないまま、見切り発車(JRだけに)してしまった観が否めない。いずれ、第167話の自動改札強行突破の再調査を兼ねて様子を見てみようと思う。

池袋駅構内での案内ブース。平日昼間だと閑散としている。

Suica専用の改札通路。モバイルSuicaが増えると、タッチパネルの損傷が心配。

 それにしても、車内でのケータイマナーに神経を尖らせている割には、このようにケータイ利用を促してしまっているのはどういう了見だろう。モバイルSuicaキャンペーンには、ぜひともマナーの啓発もセットでお願いしたいものである。

 さて、Suicaには「ご利用の際の注意」というのがあって、その中に、

  • 電波を妨げるものと一緒にタッチしない。
    これは水道橋駅で見かけた案内(精算機近くに掲示されているので、目立たない。)
     Suicaは電波によりデータのやり取りを行うため、次のように電波を妨げるもの(金属など電気を通すもの)がSuicaと読み取り部の間に、またはSuicaの近くにあると反応しない場合があります。
     

    • 他のSuica、ICテレカ等、他の非接触ICカードと一緒にタッチした場合。

    • コイン・貴金属が入った財布にSuicaを入れてタッチした場合。

    • ポイントカードなど、銀色地に白文字のリライト方式(白濁リライト方式)のカードと一緒にタッチした場合。

    • タバコの箱にSuicaを差し込んでタッチした場合(使われている銀紙が電波の妨げになります)。

    • インスタント宝くじ・スクラッチカード(材料にアルミシートを使用)等をパスケースに入れてタッチした場合。

この公衆電話を使えるのも今のうち... と記されている。しかし、駅頭などでの案内不足甚だしく、これを知らない人は結構多いのではないかと思う。筆者もごご多分に漏れず、ICテレカと同じパスケースに入れていたために、随分とよく引っかかったものである。モバイルSuica利用者が増えれば、あまり関係なくなるだろうが、カード式Suicaにとっては悩ましい存在だった、このICテレホンカードがいよいよ役割を終えようとしている。第182話では2005年3月31日で終了するものをいろいろ紹介したが、ICテレホンカードに対応する公衆電話は、2006年3月31日で終わるものの一つ。すでにあまり見かけなくなっているが、見かけたら見納めのつもりで、よく眺めておくといいだろう。

 前座が長くなったが、今回の本題は、このICテレホンカードを普通の磁気テレホンカードに交換する際の小話。ICテレホンカードをお持ちの方で、これから交換しようとされる方にとって、何らかのお役に立てば幸いである。


1.郵送また営業窓口で

 「ICカード公衆電話についてのお知らせ」が全般的な案内。そして、「磁気テレホンカードと交換について」を見ると、「郵送、またはお近くの営業窓口でお申込みいただけます。」とあるものの、営業窓口案内ページへのリンクが付されておらず、不親切極まりない。実のところ、営業窓口は、このニュースリリースにあるように、一気に閉鎖が進み、事実上の窓口機能は、東京支店の案内の通り、何と西新宿のみなのである。都内で1カ所、というのは賛嘆、否、惨憺たる状況。それを悟られまいと、ホームページ中のリンクは避けたのかも知れない。いやはや。

 ICテレホンカードを交換するのは、客にとってはちょっとした手間。郵送で受け付けることになってはいるが、もっと柔軟かつ簡便な対応はとれなかったのだろうか、と思う。もっとも、楽に見える郵送による申込は、このPDFファイルを出力する労を要するので、これはこれで不便かつ不敬。

 このあたりにも同社の高コスト体質(客に手間をかけさせることで、手前の手間も増えるためにコストアップしてしまう)が見て取れる。確実な事務処理を求めるのはわからなくはないが、こうした様式的な手続きを減らし、いかにコストダウントを図るかが、民営化の大前提だったはずなのだが...


2.NTT西新宿にて

西新宿お客様窓口(営業所)の入口で、見本のように並ぶ公衆電話トリオ。 タイミング良く(?)、ふだん使っていた現役の磁気テレホンカードが読み取れなくなってしまったので、それもついでに交換してもらおうと思い、ともかく窓口へ足を運ぶことにした。(平日:月〜金の10〜17時オープン 役所よりも限定的!)

 筆者の期待するところでは、「使用中のICテレカ残度数分+使えなくなってしまった磁気テレカ残度数分をうまくまとめて、数枚の磁気テレカになって、その場で即渡し」だったのだが、それは過剰期待、というものだった。

 結果を先に記すと、

  • ICテレカ残度数合計127 → 磁気テレカ105(即渡し)+減算磁気テレカ22(別途郵送)

  • 磁気テレカ残度数18 → 172円で現金精算

 となり、何とも面倒なことに。

 今は105度数が上限なので、それを超える分は、別の扱い、というのは想定していたが、22度数+18度数のテレホンカードにすればいいものをそうならないのが、ある意味でさすが、である。(18度数の方は、不承不承、現金で精算。172円が戻ってきた。180円にならないところがまた苦々しい。)

 バス共通カードの場合、発行したバス会社の営業所に行く必要はあるが、読み取れなくなってしまったカードは、その場で残度数分を読み込ませた新しいカードに交換(再発行)してくれるので、極めて明快、至便。(バス車内で預けて別途郵送もあり。) この要領と同じだろうと思っていたので、NTTの不敏さにはビックリ。

 使用中のICテレカは2枚。合計で127度数。交換の仕方は、次の2通りとの説明がまずあった。

  • A:105+22

  • B:105*2−83

 A、Bいずれか、ということだが、これがすぐには呑み込めない。

 バス共通カードの再発行は、ブランクのカードに度数を書き足す、という方法。NTTはそれがなく、度数が決まったカードから度数を減らす、という発想なので、余計にわからなかったのである。

 減算というのは何とかわかったので、Bで、と思い、これで減算済みのテレカがすぐに出てくるものと思ったら、Bはつまり105度数の未使用テレカを2枚、というだけの話で、2100−1270=830円の差額を支払う必要があるとのこと。チケットショップで50度数のテレカが400円台前半で買えるところ、わざわざ正規のテレカを買う気は毛頭なし。

 本来、「交換」が主たる目的な訳だから、もともとAの対応のみ(等価)でいいのに、Bという別パターンを設けている、というのは減算させるのが面倒だから、ということだろうか。その面倒さを象徴するように、Aで、とお願いしたら、何と「度数減算カード作成依頼書」なる不逞な様式が出てきた。

 今回のケースは、客に不便を強いている訳だから、せめて「ICテレホンカード交換申込書」とすべきだと思うのだが、作成依頼するつもりもないのに、この用紙名称。「依頼書を書けば、作ってやるよ」とでも言いたげ。何という発想の古さ、傲慢さ、だろう。

 渋々、氏名、電話番号、住所などを記し、渡す。さぁ、これで晴れて減算テレカが手に入る、と思いきや、そこはまたまたNTT。105のテレカは即渡し可能だが、残度数の分は後日郵送(2週間?)とのこと。営業窓口には度数チェッカーはあっても、減算装置はないらしい。おそれいった。

 ICテレカが有効期限内なので、手数料不要だったのが救い。(逆を言うと、期限切れのICテレカを交換する場合は、上述のような手数を客が払うのにも拘らず、NTT側に交換手数料(105円)を支払わないといけないのである。恐るべし!) だが、今時、こうした処置で2週間を要するとは、何たる非効率。

 呆れながらも結局、Aでお願いすることとし、105度数の未使用テレカを受け取りつつ、22度数の減算テレカの到着を待つことにした。


3.減算テレカ到着

 手続きをしたのは、1/13だったが、案外早く、1/18には(配達証明とかではなく、通常郵便で)到着。発送元は、テレホンカード交換センター(同封の送付文書上の表記は「〜センタ」)。これは窓口の対応は冴えないが、裏方(センター)はしっかり稼動していることを示している、と言えそうだ。(いや、窓口にはあまり来てほしくないので、わざと十分な案内をしていないとも受け取れる。)

テレホンカード送付のご案内。文章はさすがに丁寧だが。

 これが度数減算済みのカード。30と10の間にいきなり穴が開いているのがポイント。

 これだけ早々と着くのであれば、その旨、初めから言えばいいものを。2週間と答えるのが、窓口での固定観念になってしまっているのだろうか。それが未だに常識的な時間感覚だとしたら、あまりにCS離れしているというか、不勉強というか、せっかくのセンターの納期短縮努力が報われない。(それとも長めに言っておいて、実は速い、という方が好印象、との企図か。まぁ、数日以内と言われて、実際は10日後、よりはいいか。)

 テレホンカード交換センターが青山一丁目にあると知っていたら、そこに足を運んだのだが、窓口対応はNGということか。もし、バス共通カードと同じように、その場で減算なり何なりをやってもらえるのであれば、お互いに手間がかからないので、いいと思うのだが。(NTTとしても、テレカを発送する送料は無用になる。)

*これからICテレカを交換する、という方で、手数足数と空振りを厭わないのであれば、ぜひ出かけてみてください。(所在地:港区南青山1-21-31 ウイング南青山S館 TEL:0120-145472)

  • 余談:脱NTTへ

     神保町の事務所に常勤していた時分、マイライン化を促す勧誘電話で辟易していたKDDIだが、携帯電話が好調なためもあってか、サービス品質が向上してきたようだ。

     かつて通信関係の見直しについては、第128話の10位で記した通りだが、とうとう、1/19付で、

    • 基本料金 NTT → KDDI

    • 都区内通話 東京電話(後にパワードコムに改称) → KDDI(1/1にパワードコムと合併)

    • 都外通話 フュージョン(後にパワードコムの傘下に) → KDDI(パワードコム合併に伴い、フュージョンもKDDIに)

     となり、当宅では脱NTTが実現する運びとなった。12月にメタルプラスに乗り換える手続きをしたことが大きいが、まさか、同じタイミングで都区内も都外もそろって一気にKDDIになるとは思いも寄らなかった。

     ともあれ、月々の基本料金が安くなる、というのはありがたい限り。請求関係も一本化され、webで随時チェックできるので、通信費の内訳などが従来よりも、より明確に把握できる。

 ということで、NTTを利用する機会としては、ICテレカの交換によって得た磁気テレカを使って公衆電話をかけるのみとなった。これも時代の移り変わりなのだろう。

  • おまけ:懐かしのテレホンカード

 デビュー以来、随分とお世話になったが、磁気テレカもいつまで使えるのやら... 発売当初、筆者が買い求めた電電公社テレカの中から、2枚、ご紹介する。

つくば博のテレカ(105ではなく、100度数!) 「テレ太君」テレカ(こんなキャラクターがあったとは!)

 

第201話 第1話〜第99話ふりかえり(2006.1.15)

 予告していた小特集。200話記念(?)として、第1話から第99話までのふりかえり(というか"その後コメント")をお届けします。全てについてふりかえるのは至難なので、書ける範囲でまとめてみました。

 さすがに古い話題も多く、参考情報としてリンクしていたサイトは、移転になっていたり、消息不明になっていたり、今では役に立たなかったりするもので。(あくまで当時は、そのURLだった、ということでご了承願います。) *参考情報は適宜補足しました。


掲載日

タイトル

副題・付録

コメント

1997/9/15

第1話 米の量り売り

 

 最近はお米を買うこともなく、こうした米屋も縁遠い状態。あいにくここで紹介したお店は今はなくなってしまった。

1997/9/30

第2話 南北線、南へ一歩

 

第74話に続く。

1997/10/30

第4話 バリアフリー考

 

1997/11/30

第6話 エコリレーのフィナーレと市民環境フェスティバル御池

 

 この歴史的な京都会議(COP3)から、8年余りが経過。この間、市民の地球温暖化に対する意識は変わったような、そうでないような...

1997/12/15

第7話 日本経済新聞 社会面 「サラリーマン」

 

 この時にかかったタクシー代(単独乗車)は、未だ最高記録。(タクシーに乗らないのだから、当然と言えば当然だが。)

1998/1/1

第8話 1997年10大ニュース

 

*1997年のふりかえり

1998/1/15

第9話 雪が降る

雪に弱かった首都圏各線

 2006年は首都圏も冷え込みが厳しいが、幸い雪にはならない。1/14は大雨が降ったが、大雪にならなかったのは救い。(この場を借りて、日本海側を中心とした大雪で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。)

1998/2/1

第10話 沖縄モノローグ

 

 九州にはそこそこ行くものの、沖縄は、この時以来ご無沙汰。こうしたきっかけがないと難しいもので。

1998/3/1

第12話 寒中クリーンアップ

 

 寒中クリーンアップは、この時限り。この時期は野鳥観察のシーズンなので、近年はその手の行事に出かけるのが常。

1998/4/1

第14話 荒川河川敷を愁う

荒川知水資料館オープン

 荒川知水資料館へは、自転車で出かけたついでに時間があれば立ち寄る感じ。行けば楽しいし、見聞も深まるのでいいのだが、定期的に通うほどではない。

1998/4/15

第15話 「アースデイ・フェスティバル 1998 in こどもの国」レポート

 

  • 「アースデイ・フェスティバル in こどもの国」における環境教育:参考情報変更

1998/5/1

第16話 クルマ社会を問い直す

 

1998/5/15

第17話 浦和・大宮・与野...

サッポロビール埼玉工場

オープン間もないアリオ川口 サッポロビールの工場は今はなく、アリオ川口とリボンシティなる大型「複合開発シティ」になってしまった。浦和市・大宮市・与野市については、周知の通り、2001年5月にさいたま市に。(2005年4月には、岩槻市を併合して、正に"YOU(浦大与)+I(岩)"に。)

1998/6/1

第18話 サンライズ エクスプレス

 

 出雲方面へはやはり飛行機か。サンライズエクスプレスに乗って優雅な旅、というのは未だ実現せず。夜行専用ではなく、昼間にも(昼寝客向け?)走らせてもらえれば、乗車機会も出てくると思うのだが...

1998/7/1

第20話 散髪 10分間

 

第72話に続く。

1998/7/15

第21話 寿司食べ放題

 

 何だかんだで、お寿司の食べ放題は、これ以降なし。

1998/8/1

第22話 「He is Back」

角松敏生コンサートレポート

 その後2003年11月15日、横浜アリーナでの「20th Anniversary "Revenge"-BF1981〜1993-」に行けたのは良かった。

1998/9/1

第24話 ハンズメッセ’98

 

第96話に続く。

1998/9/15

第25話 小山酒造見学記

 

 この後も何度か見学・試飲させてもらった。2004年5月には、リニューアル後の新工場に行ったが、かつての風情はなく、ちと興ざめ。

1998/10/1

第26話 「地球環境パートナーシッププラザ」PRレポート

 

 第116話の通り、2002年5月下旬から2003年5月末まで、EPO/GEICで働かせていただいた。最近はとんと足が向かない。

1998/10/15

第27話 鉄道の日三昧

 

第10回鉄道フェスティバルにて 近年の鉄道の日フェスティバルは大盛況で、かつてのように気軽に記念切符などが買えない状態。常設の鉄道グッズ専門売店(各社共同出店)があればいいんだろうけど...

1998/11/15

第29話 消費税還元

 

第158話に続く。

1998/12/15

第31話 1998年10大ニュース

 

*1998年のふりかえり

1999/1/1

第32話 コンサートにおける顧客満足とは

山下達郎コンサートレポート

 この時はアルバム「COZY」発売に伴うコンサート。その後の新譜「ソノリテ」が出たのがやっとこさ2005年9月なので、(今年行われるであろう)オリジナルアルバムに因んだコンサートは、実に7年ぶりになる。待ち遠しい。

1999/1/15

第33話 コンタクトレンズ

 

 この後、2003年2月に買い替えて、今は3代目のコンタクトレンズを使用中。

1999/2/15

第35話 大地の癒しと復興の礎

神戸旅行記

神戸駅から眺めるハーバーランドの建物群 その後、神戸を通過はするも、下車したのはこの時以来なし。レンガはどうなっているだろう?

1999/3/1

第36話 川口道路事情

 

 時には川口に足を運ぶが、道路事情は相変わらずのようで。駅前周辺の再開発は捗々しいが。

1999/4/15

第39話 通勤ルートのどんぶり屋

 

第125話に続く。

1999/5/15

第41話 優等列車停車の既得権

 

小田急線 停車駅のご案内 京王と小田急は、相当な変化があったように思う。(小田急線については第177話の通り。) 東急については、第109話を参照。

1999/6/1

第42話 BGM一考

 

 巷のBGMには、相変わらず悩まされることが多い。いずれ、続編を書こうと思う。

1999/7/1

第44話 エコロジカルな歯ブラシ

 

 第199話(16位)で紹介した通り、今はマイナスイオン歯ブラシを使用中。正直なことに一年経ったら、内蔵電池が切れた。ブラシ部分はカートリッジ式だが、本体は一年で交換しないといけないようになっている。経済的なような、そうでないような...

1999/7/15

第45話 旅行検定

 

1999/8/1

第46話 メンテナンス

パンク修理までの道程

 2005年は、自家用自転車のパンク修理の他、FAXの買い替えも。電化製品(14型テレビ、CDラジカセ他)が相次いで不調になったのも何かの思し召しか。日頃のメンテだけではどうしようもないことを悟った次第。

1999/9/15

第49話 事故連鎖

 

1999/10/1

第50話 祝・ドラゴンズ優勝

 

 2004年にもめでたくリーグ優勝したが、日本シリーズはまさかの敗退。日本一になれば何か書こうと思っていたのだが...

1999/10/15

第51話 あと77日

(付録)2000年問題チェックリスト

 2000年問題は身辺では何事もなく良かったが、この問題に対応するために出たはずのOS「Windows ME」には、職場PCなどで何かと悩まされた。拙速(苦し紛れ?)の産物だった、ということか。

1999/11/1

第52話 集中

 

 未だに集中現象にはよく遭遇する。筆者の前後に客が集中してしまうのは、客を呼んでしまう何かがあるのか、はたまた単に自分自身の行動パターンが典型というだけなのか。(-_-)

1999/12/1

第54話 イルミネーション

 

第196話に続く。

1999/12/15

第55話 1999年10大ニュース

 

*1999年のふりかえり

2000/1/1

第56話 東京ミレナリオ

 

 きちんと通り抜けしたのは、この時ばかり。何だかんだで2006年1月1日を以って、一旦終了になってしまった。

2000/1/15

第57話 散乱ごみ…入口と出口からの解決案

 

 今度はプラスチックゴミに特化して、原稿を作成中。(「荒川クリーンエイド報告集2005」に掲載予定。)

2000/2/1

第58話 水曜クリーンキップ

地上を走る公共交通

第81話に続く。

2000/2/15

第59話 赤羽

 

 2005年4月2日、「アド街ック天国」で再び赤羽が登場することになり、ビックリ! 急なことだったので、コメント掲載号は書けずじまい。

2000/3/1

第60話 電車内でのマナー

 

 記念すべき「べからず集」Part1。電車内でのマナーは、変容してきているので、また続編を書いてもいいかも知れない。

2000/4/15

第63話 ポイントカード

 

第173話に続く。

2000/5/1

第64話 全国共通お食事券

 

 ジェフグルメカードは、利用価値が上がったためか、チケットショップでも高額化傾向。それでも筆者は相変わらずお世話になっている。

2000/5/15

第65話 同時プリント

 

 アナログカメラの出番はなくなり、同時プリントというのも古語になってきた。代わって最近はデジカメプリントがブーム。筆者も2度ほど試してみた。ネットでの発注(例:FUJICOLOR)もできるようになってきて、時代の変遷を感じる。

2000/6/1

第66話 キャラクターの公共性

 

 キャラクターはオリジナルに限る。インターネットの古本ショップで「企業キャラ」を集めた本を見つけ、取り寄せたところ。今度はオリジナルのキャラクターについて、考察してみようと思う。

2000/7/1

第68話 東京難読地名

 

 やはりインターネットの古本ショップで、日本の地名や都市名に関する興味深い本を購入。地名の由縁は心得ていたつもりだったが、まだまだ知らないことは多いもので。これも続編が書けそうだ。

2000/8/1

第70話 行列のできる店

 

 2004年10月、人形町の玉ひで(筆者は2回目)に行った時も並んだ。ここの行列は必然性があるので、どうのこうのというのはない。

2000/8/15

第71話 都心周遊

地下鉄乗りこなし術

 この乗り降り術は、程なく導入された「30分制限」によって、通用しなくなってしまった。(勿論、30分以内にクリアできれば問題ないが。)w(--)w 都バス編は、第142話の通り。

2000/9/1

第72話 散髪 12分間

 

 今では、予約制の1000円カット店も利用するようにしている。サービスの多様化はありがたいことである。

2000/9/15

第73話 間伐作業

大滝村レポート

 以後、何度か大滝村に足を運んだが、秩父市に併合された2005年4月以降は訪れていない。

2000/10/1

第74話 南北線、さらに南へ

 

第86話に続く。

2000/11/15

第77話 「やってみよう! グリーン購入」

 

 今でも、GPNホームページにて紹介中。

2000/12/1

第78話 中華まん

 

第178話に続く。

2000/12/15

第79話 2000年10大ニュース

 

*2000年のふりかえり

2001/1/1

第80話 21世紀 初日の出

 

 このように初日の出を見に出かける、というのはなかなか難しいもので。

2001/1/15

第81話 水曜クリーンキップ2001

大江戸線乗り降りレポート

おかげ様で全線開業5周年! 水曜クリーンキップは残念ながらなくなってしまった。大江戸線は先月で5周年。時の流れを感じる。

2001/2/15

第83話 街頭配布

 

第95話に続く。

2001/4/1

第86話 南北線、今度は北へ直通

 

 埼玉高速鉄道はまだ北に延びる計画がある模様。でもいつの話になることやら。

2001/4/15

第87話 タクシー地名考

 

第137話に続く。

2001/5/1

第88話 都市再編

市町村合併考察

第159話に続く。

2001/5/15

第89話 500日

 

 その後の500日刻みは、2002.9.27→2004.2.9→2005.6.23と続く。2000.1.1から起算して(21世紀になって)、すでに2000日以上が経過している訳だ。日々の重みを改めて感じる。

2001/6/10

第90話 ファミリーレストランでの「べからず集」

 

 最近のファミリーレストランは益々ワンダーランド化してきていて、落ち着いてランチ&リラックスどころではなくなっている。分煙の次のファミレスのテーマは、未就学児童同伴か否かでのエリア分けではないかと思っている。

2001/7/15

第93話 インターネットビジネス

 

 筆者も何か始めようかと思っているところではあるが、まずは独自ドメインを取得するところから、である。

2001/8/1

第94話 新宿区若松町

東京百景 予告編

 当時はアナログカメラで撮影したものをハンディスキャナで処理していたものだから、画像が何とも歪な感じ。フィルムをスキャンできる平置きのスキャナを導入して、鮮明な画像を再掲載できるようにしたいものだと思っている。

2001/8/15

第95話 街頭配布・夏

マンガ喫茶が変わった

 マンガ喫茶はさらに進化を遂げているようだが、最近はご無沙汰状態。

2001/9/1

第96話 ハンズメッセ2001

100円ショップとの比較考察

 ハンズメッセは毎年恒例で足を運んでいるものの、本稿で紹介するには至っていない。東急ハンズに関しては、第182話で少し触れた。

2001/9/15

第97話 宝くじ

 

 富士と第一勧業が合併して、今はみずほ銀行が宝くじを仕切っている。

2001/10/1

第98話 ちょっと待てよ、と思うこと

環境運動と平和運動

第164話に続く。

2001/10/15

第99話 ビーチクリーンアップ

 

 第200話(4位)に書いた通り、今は少しずつビーチクリーンアップに関わるようになってきた。何事もご縁である。


 ここしばらく、まとめ的な話題が続きました。次回からはいつもの調子に戻そうと思います。ではまた。

 

第200話 2005年20大ニュース(後編)(2006.1.1)

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます!

 第199話に続き、いよいよ10大ニュースのご紹介です。東京モノローグ2005には載らなかった話題などを交えて、お届けします。


  • 10.中国語初級

 9月の万博出展時に、特に中国・韓国からのお客さんが来ることを想定して、中国語か韓国語の基礎を学ぼう、ということになった。韓国は、2004年11月のツアーで面食らってしまったこともあり、昔からの漢字好き、使用人口の多さ、を理由に、ここは中国語で、ということにした。

©白水社 白水社「中国語はじめの一歩」がテキスト。前期は、4月から週1回ペースで12回。ひとまず皆勤賞で、テキスト半分まで無事到達。字面には慣れたものの、発音とヒアリングが...

 まだまだの状態で、9月を迎えたが、特に出番なく閉幕。(中国からのお客さんとわかっても、なかなかねぇ。) 今はテキストの後半を履修中。1月には初級がひととおり修了することになるが、どこまでモノにできることやら。(^^; (英会話が上達しないのは、英語で話をしよう、という意欲がないのが一因。中国語はそうならないようにしたいものだが。)


  • 9.1300駅

 第197話の通り。2006年は、ゆりかもめ延伸がある。(豊洲まで、新たに4駅増える。) あとは2007年以降のお楽しみ。もちろん、新駅・新線だけでなく、郊外の既存駅にもできるだけ足を向けようと思う。


  • 8.地球市民村blog

 拙筆、東京モノローグも、日記&記録の性格からすれば、ズバリweb-logだが、月2回の定期(一応)発行、トラックバックとコメントの機能なし、という点においては、似て非なるもの。ブログ化するのも悪くないが、本編をブログに変えるには、まずは独自ドメインを取得して、自分なりにデザインして、という段取りが必要なので、今のところ予定はなし。だが、並行してブログを持っておくのは心強いことがわかった。

 筆者のblog参加は、地球市民村blogが最初。要領を得なかったので、4月に一度書いたきりで、基本的には万博会場に足を運んだ際に、そのちょっとした記録として綴ろうと決め、次の8月まで4カ月のブランクが生じてしまった。(万博入場日などは、ここに記載の通り。) 当時はさほど意義を見出していなかったのだが、9月の出展期間に入ってからは、当月団体のブロガーが何も発信しない訳にはいかないので、合間を縫って試行&投稿。出展中は、東京モノローグ本編の更新がままならなかったので、blogでカバーできたことは大きかった。


  • 7.東京モノローグ 第200話へ(2006年で10年目)

 おかげ様で、本稿を以て、200話を迎えることができた。掲載日はいささか不安定ながら、月2回のペースは保ち、一つの節目に至った訳で、感無量である。(読者の皆様には厚く御礼申し上げます。)

 2005年の年初の予想では、年内に何とか10000アクセスか、と踏んでいたが、早々に10000を超え、筆者もビックリ。一つは、地球市民村blogとの連携(プロフィール欄などに、東京モノローグへのリンクを設定)が奏功したこと、もう一つは、「RSSリーダー」(⇒参考効果で、東京モノローグ中のさまざまな単語を自動引用する各方面のブログが増えたこと、が考えられる。ブログの流行度(というか、パワー)を実感した次第。(ちなみに、地球市民村blogの方は、4月4日の投稿から9カ月弱で、5500件ほどのアクセス。実にハイペース!)

 あらゆる方面からアクセスしてもらえるよう、できるだけ多様なテーマや言葉を取り込むようにしているのが、ここに来て活きてきたようだ。引き続き、様々なRSSの情報源の一部になるよう、努めたいと思う。

「アド街ック天国」の放映履歴の方も、すでに本編モノローグに迫る11000アクセスに。「ここぞ」という情報源(テーマ特化型webサイト)の方が確実なアクセスが得られることがよくわかる。


  • 6.ボランティアコーディネーター研究集会(JVCC)2005

 2004年7月〜2005年3月の9カ月間、日本ボランティアコーディネーター協会のスタッフとして、常勤ベースでお手伝いさせていただいた。(現在は、主にweb担当として不定期勤務。) 同会での作業のピークは何と言っても2月。世間的には8月と2月は業務閑散期に当たるのだが、筆者はどうもその逆で、2005年も例外ではなかった。2月25〜27日の3日間は、年次大会とも言える「ボランティアコーディネーター研究集会(JVCC)」があって、最終日は協会の総会。その準備やら何やらで、2月は本当に密度が濃かった。終電帰宅は当たり前。深夜バスにもお世話になった。(第179話はそうした夜の一例。)

 これまでの事務ノウハウ(特にIT系)を総動員するような展開。今思えば、手に汗握る時間の連続だった。web上の参加申込フォームはちょっとした力作になり、総合案内のホームページも、正に総花的な仕上がりにできた。(JVCC2006のホームページは比較的楽に制作でき、あとは申込締切後〜開催当日の間の都度更新に備えるばかり。) 参加申込データは、MS-ACCESSで一元管理。申込受付確認通知の出力、参加票などの発送用宛名の印字、参加費の収受管理、当日の名札・受付簿・分科会別名簿の出力などなど、ブレなく処理できたのは一大成果。筆者一存ではあるが、大会事務にはACCESSは欠かせないと思う。

 JVCC3Daysは、準備期間と比較すると、一転して穏やかだった。とりあえずIT系担当として、事務方に待機。ボランティアを志す方々をコーディネートするコーディネーターの方々の研鑽の場である大会をコーディネートする現場のサポート、という感じで、何とも僭越な限り。オリンピックセンターを利用するのは何回目かだが、宿泊したのは今回が初めて。いい機会をいただいた。(心残りなのは、JVCC2005報告書にweb担当者の氏名が載らなかったこと。このあたりの冷徹さが同協会の本質か? 必ずしも温情的ではないのが、ボランティアコーディネーションと悟った筆者である。)


  • 5.「Let's!環境ボランティア」©環境goo&荒川クリーンエイド

 12年目となった荒川クリーンエイド。筆者としてのこれまでのふりかえりを兼ねて、環境goo「Let's!環境ボランティア」で実名入りで紹介していただけたのはありがたかった。

 2005年は万博モードだったので、現場作業の手伝いはあまりできなかったが、その分、こうした広報に注力できたのは良しとしたいところ。詰めが甘かったものの、ニュースレターはしっかり仕込めたし、Eメールニュースも9月定期分を10月にシフトしたのを除き、着々と作成&配信できた。

 参加できた行事としては、総会講座、報告会の他、現場作業的には、4月9日、7月24日11月12日の3つ程度。例年だと9月の説明会で登壇するが、万博出展中につき不参加。10月のクリーンエイド月間もお役に立てず、面目ない限り。11月9日のモニタリング調査に関われたのがせめてものお慰みである。


  • 4.海ゴミ関係

     荒川クリーンエイドの比重が下がった分を、海ゴミ関係でカバーしたような観あり。2004年の対馬以来、何となく海ゴミモードになっていた筆者は、3月22日「きれいな海辺アクトフォーラム」への参加(5月には同フォーラムのホームページを制作・納品)、4月は「クリーンアップレポート2004」のグラフ等編集作業のお手伝い、6月からは、省庁関係者を交えた「海ゴミ問題に関する関係者懇談会」に同席させてもらうようになり、7月31日〜8月5日は、クリーンアップ全国事務局のボランティアスタッフとして、地球市民村パビリオン「1,2,3,Sea,Go!!館」の共同出展をサポート。(解説可能なところで、漂着ゴミやプラスチックゴミなどを主に担当。) 10月は20大ニュース11位で紹介した、長崎でのモニタリング研修関係があって、という具合。

     11月9日に「上陸」した葛西東渚は、荒川と東京湾の接点に当たる。川と海の結節点でのクリーンアップとなり、筆者としては象徴的だった。2006年は、「川から海へ」そして「川と海と」がテーマになりそうである。両者の違いを加味しつつ、より普遍的なモニタリング(ゴミデータの収集と分析等)ができれば、とも考えている。(webベースの仕掛けが作れればいいのだが、財源が...)

     なお、漂流・漂着ゴミは、特に東アジア海域の共通課題でもある。(⇒参考情報 後述の東アジア環境情報発伝所での取り組みとも、当然のことながらオーバーラップしてくる。クリーンアップ全国事務局周辺で出た話題を、発伝所のニュースに載せて、中国・韓国に伝えるなど、まずは情報共有から、だろうか。


  • 3.クイズプログラム

 第193194話に詳述した通り。(前編・後編にわたって書く、というのはそれだけインパクトが大きかった、ということで。) 現在、企画試案を作り、2006年の取り組みを展望中。(発伝所の一プロジェクトとして試行予定。)

 12月10日の荒川クリーンエイド報告会では、万博とは異なるバージョンを作ってもらって、秋のクリーンエイドの結果から、「散乱ゴミワースト9」「水質調査での川の色」の2つをクイズ形式で出題。特に小学生ゲストには好評だった。この手のクイズは、街頭での意識調査の結果だけでなく、実際の測定値・集計値などを発表する際にも有効ではないかと、相応の感触をつかむことができた。


  • 2.結婚10周年(錫婚式)

 世間では、戦後60年、日航機墜落事故から20年、阪神淡路大震災から10年など、節目を伝える報道が多かった2005年。私的にも結婚10年を迎え、「錫婚式」(詳細)の年となった。早いものである。特にお祝いの会や席は設けなかったが、記念旅行(?)として、3月最初の週末に四国に出かけた。JALのクラスJのご招待券が当たったこともあり、往路(羽田〜松山)はゆったりと飛ぶ。国内をあちこち旅した二人だが、四国入りは今回が初。(筆者は学生時代以来、3度目の四国。) 道後温泉、松山市内の路面電車、吉野川などがテーマだったが、時間的余裕があれば、琴平に寄りながら徳島に行く予定を立てていた。青春18きっぷを使っての移動だと、うまく乗り継いでも、どうしても時間がかかってしまう。結局、琴平は駅と遠景を眺めただけだったが、松山から徳島への道中、筆者念願のJR予讃線に初めて乗車でき、四国側から瀬戸内海を眺めることができたのは大きかった。鈍行列車の車窓を流れる島々。この沿線はやはり絵になる。

松坂屋の看板のような松山空港の「MATSUYAMA」

宵の道後温泉本館(振鷺閣のシラサギがいい角度)

予讃線 津島ノ宮駅付近からの眺望(詫間湾と塩飽諸島(しわくしょとう))⇒地図

徳島空港に向かう途中で眺めた吉野川と夕日

 二人旅の未踏地、残るは九州7県と北海道、和歌山県、広島県、山口県、そして、高知県の12道県となった。北海道は別として、11県についてはまとめて行けそうな気がしなくもないが、まぁ、ゆっくり周遊するとしよう。

 余談だが、この旅で、新たに松山空港と徳島空港を利用。11位の長崎出張では、往路:長崎空港着、復路:佐賀空港発、としたが、この2空港も初めて。2005年は初空港が4つあった、というのもちょっとした話題である。

 6月には、披露宴会場による、その後5年毎のサービスで記念写真(六ッ切りポートレート)を撮影。このご時世、ありがたい限りである。

 ともあれ、相変わらずのNPO掛け持ち生活が続く筆者としては、妻君に負荷がかからないよう、思案中。2006年は、より確たる収入基盤を確保したいところである。(^^;


  • 1.「愛・地球博」YEAR ©モリゾー&キッコロ

 掛け持ち中は、関係する団体の作業量(比重)を適宜調整できるのが強み。もともと万博出展の話ありきで、こういうワークスタイルにシフトしてきた訳だが、ご不便ご迷惑をおかけしてしまうのも確か。ご厚情に支えられ、8月31日〜9月25日は、万博出展にフルで入ることができた。(改めて深謝申し上げます。)

 詳細は、第194話の付録の通り。おかげ様で、自分なりの万博YEARを堪能できた2005年であった。

 なお、パビリオンの展開状況については、試作&仮掲載中。早く発伝所ホームページに載せ替えたいところだが、閉幕後3カ月以上が経ってしまっているので、遅きに失した観は否めない。ともあれ、部分的にでも公開していければ、と思う。

 万博出展に伴い、東アジア環境情報発伝所に関係する作業も増加。特に、環境ニュースは、

 の7本を自筆寄稿。(自筆以外では、17本のニュースを補筆させていただいた。)

 「地球と生きる方法」は「ウォームビズ」ネタで何とか1本を掲載。原文は、東京モノローグ本編に載せてあるものもあるが、そうでないものも。より長文(いや駄文?)の別バージョン記事は、何らかの形でご紹介できれば、と思っている。

 JANJANにも時々転載していただいている。Googleで筆者名を検索した際のヒット件数が増えたのは、これが主因であることがわかった。ありがたい限りである。


 皆さんにとっての2005年はいかがでしたか? 引き続き、東京モノローグ、ご高覧・ご笑覧の程、よろしくお願い致します。

  • こちらもどうぞ ⇒ 50音別索引(過去の10〜15大ニュースは、数字見出し部を参照)

 

 


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