随筆「東京モノローグ2007」(11−12月期)
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第247話 生態河川は遠く / 第246話 246号線(青山通り)〜(付記)帰宅困難者対応訓練 ドタバタ記録 / 第245話 レジ袋削減協力ポイント / 第244話 祝・中日ドラゴンズ日本一!

第247話 生態河川は遠く(2007.12.16)

 10月10日から3泊4日で韓国へ。ENVIROASIAのミーティングが主目的だが、会議も宿もソウルだったので、エコツアーも手軽に市内で、となる。ソウルから南へ約40km、安山市や始華湖を巡る半日ツアーもあり、多くの見るべき・学ぶべきものを得たが、筆者的にはやはりこっち。今やソウルのトレンディスポットと言っていいだろう。その名は「清渓川」(Cheong Gye Cheon)である。

 3年前に来た時は、老朽化した高速道路を解体している最中だったので、復元後を見るのは今回が初めて。初日の夜、翌日の午前中に見学したが、率直な感想としては拍子抜け。都市河川という制約上、仕方ないのだろうけど、昔々の自然河川が再生された、という訳では全くない。PR的には「生態河川」と謳われていたりもするが、かつてそこにあった植生(在来種)とは無関係な草木を突貫工事で持ってきた程度。現市長の人気取り政策の一環という見方もあり、次期大統領選に向けた布石となるべく工事を急がせた面もあったんだと言う。憩いの場としては悪くないのだが、どこか無機質な印象を受けるのはそうした背景もあるようだ。

 光化門駅と市庁駅の間、清渓広場地図参照)が今は起点になっている。つまり源流は都心にある。と言っても、地下水や湧水がその源であろう筈はなく、電力を使ってポンプで以って、下流側(漢江)からわざわざ水を引っ張ってきている(地下鉄駅に溜まる水も一部流用)というから涙ぐましい。川底に深い・浅いの変化はなく、流速も人工的にコントロールされる。「生態〜」と呼ぶにはやはり無理がある。「人工水路」(またはオープン式下水)と言い切った方がいいだろう、と他のメンバーとも話をしつつ、500m程を歩いた。

夜の清渓川(1)夜はこのようにライトアップもされる。この滝から清渓川の流れは始まる。

夜の清渓川(2)自然景観らしい造りにはなっているが...(残念ながら、この付近にもともとあった植生ではないものばかり)

京城市街図(清渓川文化館にて)中央を横に走る青い線が今の清渓川。だが、かつての地図には、左上に斜めに伸びる青線も見える。ずっと北の仁王山や北岳山に端を発する流れとつながっていたのである。(分け目となっている道路が太平路。太平路の上方が景福宮。その左を川は流れる。)

1960年頃の清渓川1960年頃の清渓川。道路整備のための解体工事、ということかも知れないが、家屋の荒れ方も凄絶なれば、川の方も凄まじい状態。これをそのまま埋めてしまった、ということか。

 あえて巨費を投じるように仕向け、仰々しく人工的な水路を作る。清渓川も公共工事の産物という訳である。生態河川をめざすなら、いい意味での手抜きをした方がマシ。カチカチな水路を造るよりも、適当に土砂が露出していたり、あえて人の通行を寸断するような自然地形むき出しのエリアがあったり、の方がコストもかからないし、本来の自然も戻ってきやすいだろう。蛇行や干潟が見られない川は不自然だと思った。(復元区間は約5.84km(清渓川文化館資料より)、今のところ、その区間中に土砂の自然堆積はなし。)

 そんな不自然さ以上に問題がある。韓国の他の都市がこの清渓川(パフォーマンススタイル)を模倣した事業を始めようとしていること、清渓川の余勢を駆って現市長(次期大統領候補)が京釜運河の建設を公約に掲げていることの二つ。前者については、どうせなら本来あるべき生態河川を、と強く思う。(後者、大運河等については、こちらをご一読ください。)

 人間都合で再生された河川(水路)だが、それでも、ボラなんかが遡上してきているのには驚いた。清渓川は漢江に注いでいるので、上ってくる魚がいてもおかしくはないもののこれは快挙。人が放流した可能性も否定できないとは言うが、魚が全くいないよりはいいか。望むべきは当地での生態系ピラミッドが構成されることだろう。下水も流入することから、ネズミにとっては居心地がいいようで、繁殖傾向があるそうな。ネズミを捕食する生き物がいれば少しはバランスが保たれるであろうところ、そうなっていない。再生工事が安直だったことを示す一つの例と言えそうだ。

清渓川文化館のリーフレット見開き。日本語版がちゃんと用意してあるあたり、力の入れようがわかる。入館料は無料。

復元事業や流域環境についての紹介もなかなか念入り。復元にあたっては、在来種を意識したのかどうかなど質問したところ、そうではないことがわかった。

 なぜ復元が必要なのか。案内書によると、

  1. ソウルを人間中心の環境都市へと変貌させる

  2. ソウル600年の歴史性の回復と文化スペースの創出が必要

  3. 市民の安全が脅かされていた

  4. 立ち遅れた都心の開発を活性化させ、地域の均衡発展を図る...

 との説明が記されてある。

 市民の安全の脅威とは即ち、川にフタをした際に造られた道路と高速道路が老朽化し、とにかく危なかった、ということである。フタをしたのは汚染や悪臭が酷く、正にフタをしてしのいでいただけの話。当然のことながら、重金属類や各種有害物質はそのままになっていた訳で、それが一酸化炭素やメタンガスを生み、道路や橋脚などの構造物の腐食を進めていたんだとか。フタをした当時の対症療法が後々大きなツケになった好例だが、これを補修などの小手先で済まさずに全面撤去という形でクリアした、という点は確かに凄い。だが、その凄さばかりがもてはやされ、生態河川としての是非についてはあまり目が向けられていない。日本における採り上げられ方を見ているとどうもそんな気がする。日本橋上空の高速道路云々の話は、清渓川の成功例で以って議論が加速したようだが、単に撤去するだけでなく、元々の日本橋川のあり方や江戸の在来植物・在来魚などが戻ってくるような配慮も含めた議論を、と願って止まない。

 かくして、東京の都市河川はどうか、という話になる。フタをしたのもあれば、高速道路が被さっているのもある。「臭いものにフタ」方式で埋めた上に何かが建っているということであれば、その構造物の腐食の方も大いに気になる。上に高速、というのが定番だが、フタをしていないのがまだ救いだろうか。それでも、とてもとても憩えるような状態ではなく、「生き物として川」というのを感じさせないものばかり。どんなに人工的でも、川に接近できて、安らげる空間になっている分、清渓川の方がまだいい、とも思う。

万世橋から見た神田川秋葉原から程近く。万世橋から御茶ノ水方面を望む。神田川にはとても近寄れない。

御茶の水橋から見た神田川その神田川、御茶ノ水駅に来るとこのように絶景に包まれる。人はやっぱり近づけない。(2004年5月初旬に撮影)

外堀通りから見た神田川飯田橋近くになると、忽ち無粋な神田川。

南堀留橋から見た日本橋川九段下の近くを流れる日本橋川。奥を下っていくと、日本橋に通じる。

竹橋から見た清水濠河川ではなく外濠の一つ。竹橋から見た清水濠だが、ここも人が入り込む余地はなし。

上之橋から見た芝川蛇行もあって理想的な感じもするが、人が入れないという点では同じ。(番外編:川口元郷駅の近く、上之橋から見た芝川)

*上掲の写真は、御茶ノ水を除き、ここ2カ月の間に撮影したものです。

  • こちらもどうぞ...⇒ 都区内の河川が出てくる話題(荒川を除く)

第102話 東京百景(V)(061067070) / 第132話 立会川、ボラちゃんレポート / 第163話 水質調査と人力車 at 大崎 / 第237話 07年07月07日〜川の日の過ごし方 / 第243話 ドラマティックステーション

 

第246話 246号線(青山通り)(2007.12.1)

 11月17日、「首都圏統一帰宅困難者対応訓練」なる仰々しい行事に参加し、日比谷〜竹橋〜九段下〜飯田橋〜江戸川橋〜護国寺〜東池袋〜中池袋をひたすら歩いてみた。(この訓練に関しては、後段「付記」の通り。) 約8kmを歩いて、感覚がつかめたところで、今度は青山一丁目から渋谷まで、約3kmを歩くことにした。11月19日、17時過ぎのことである。8kmに比べれば至って楽なもの。足取りも軽い。だが、何故、この通称「青山通り」を歩くことにしたか。言わずもがな、今回は第246話。国道246号ネタで行こう、と思いついたからである。

 1999〜2002年は、職場所在地の都合で、自転車で通ることが多かった青山通り。自転車のスピードだとわからないこともある。久々なのに加え、徒歩ということもあり、この自主的歩行訓練中、幾許かの発見があった。以下、画像とともに、道中の記録を綴る。

外苑東通りと交差17:10 青山一丁目駅1番出口を出たところ。日没後なのですでに暗いが、ここから訓練(?)開始。外苑東通りが、都道319号(環状三号線)と称するなんてのは、こういう機会でもないとわからない。246号線の道路標示上は「渋谷 3km」の地点。

北青山1-3晩秋の散策に青山通りは打ってつけ。この日、最低気温は7.6℃だったそうだが、多少の寒さも何の其の。と、揚々としていた矢先、北青山1−3付近(→地図)の街路樹に、こんな貼り紙を発見。街路樹を植え替えるんだそうだが、「何でわざわざ?」という印象もなくはない。少なくとも青山一丁目から南青山五丁目まで(約2km?)は実施するようだ。この貼り紙を見て、急に寒さを覚えた筆者であった。

四谷角筈線と直交17:15 青山二丁目T字路にて。昨年の11月30日、伊藤忠商事での「設立記念展示会」に出展協力した帰りにここを通った。(ちょうどロケか何かをやっていて、遠方だったが藤原紀香を見た。あれから一年...) この辺の都道414号は、かの有名ないちょう並木に当たるが、正式名は四谷角筈線だそうな。

外苑前17:21 外苑前三叉路。青山一丁目からここまでは暗めだが、その先は明るさを感じた。クルマの通行量が増えるためだろう。

北青山2-12その三叉路の一角にはこんな大看板が。「青山通り景観整備工事」である。街路樹を植え替えるのもこの工事の一環。

北品川四谷線と交差17:24 青山三丁目交差点に到着。外苑西通りは、都道418号、北品川四谷線が正式名称。品川と四ツ谷を結ぶ一大道路にして外苑西とはまた随分と限定的な気もするが。

北青山3-317:28 avexの社屋前に来たら、こんな立派なツリーが。人目を引くも、こうして見ると薄青が寒々しい。

北青山3-117:32 紀ノ国屋を通過。かつて、青山五丁目T字路近くにあったが、そこから移転して、こんなところに。移転先は知らなかったので、ちょっとビックリ。隣の隙間からヒルズが見えるのは、青山霊園効果。南青山三丁目から六本木まで視界を遮るものがないことを示している。

赤坂杉並線と交差17:37 表参道交差点。明治神宮方面はしっかり「表参道」と記されてあるが、反対側は名無し。裏参道とか先参道とか付けても良さそうだが、名前が変わる以上、標示板が増えるのは同じ。もったいない気もする。(ちなみに、都道413号=赤坂杉並線。どこをどう通ると杉並区につながるのかが不思議ではある。井ノ頭通りとは別らしいし。) 某英会話学校の灯りが点いているのは、さすが国際色豊かな表参道だけのことはある?

*ここから、クレヨンハウスに寄り道し、表参道交差点に再度戻って来たのは18:20。246号はまだまだ続く。

南青山5-918:25 青山五丁目のT字路にて。左側が骨董通りになるが、都道とかではないので道路標示なし。

南青山5-10骨董通りを渡ると、こんな看板が。青山通り歩道はもともと広めにできてるし、さほど緊急性も感じないのだが、バリアフリー対応は不十分だったようだ。漫然と歩いているだけでは、歩道の凹凸感まではわからない。その看板奥、クレーンが立っている辺りが、以前紀ノ国屋があったところ。AO(あお)という商業施設ができるんだとか。(→参考情報

渋谷4丁目 青山学院大学から国連大学方向18:27 国連大学前。一階の一角には「地球環境パートナーシッププラザ」があり、来る12月8日(18:30〜)には、その名もズバリ「エコ246交流会」が開催される予定。この辺りは徒歩でもよく通るが、こんな道程標示があったとは。(246号の起点は、三宅坂。ここまで4kmである。)

渋谷2-1018:31 宮益坂上の五差路。246号は道なり。左に折れると六本木通りに通じるが、クルマは左折NGにつき、標示がない。(→地図

渋谷2-14246号は、宮益坂ではなく、金王坂になる。ここまで来るとほとんど渋谷なのだが、何故か標示は1km。

霞ヶ関渋谷線(六本木通り)と合流18:34 クロスタワーの二階オープンスペースから、マークシティ方面を望む。「青山通り」と呼ばれるのはこの右向きのカーブが終わった辺りまで。明治通りを越えると、「玉川通り」と呼び名が変わる。

 国道246号線は、面白いことにその距離は約123km(つまり番号の半分)。今回は、そのほんの41分の1を歩いただけ。まだまだ先が長い246である。(調べてみたら、何と静岡県沼津市まで続いていた!) 国道ということもあるだろうが、帰宅困難者対応訓練時の変則ルート(埼玉コース)に比べ、ゆったり歩けるのを実感した。震災時に現実的に徒歩で帰らざるを得ない場合、ゆったりだなんだと悠長なことを言ってられないのは承知だが、どんな時でも歩道は広い方がいいことに違いはない。千代田区在勤、世田谷区在住の方は、この青山通り〜玉川通りのルートを実際に歩いてみることをお勧めしたい。散策方々訓練、そんな感覚で楽しめるのは、青山通りならでは、である。

  • 付記:首都圏統一帰宅困難者対応訓練(埼玉コース) ドタバタ記録

日比谷公園地図を使ったこうした情報提供は、さすがと思ったのだが... ともかく定刻10時、日比谷公園を出発する。

馬場先門10:14 馬場先門交差点にて。ゼッケン、ヘルメット、マスク... そんな一行がそぞろ歩く様は何かのデモ行進のようにも見える。この左手は皇居になる。そして、皇居に向かって左に日比谷駅B6出口、右に二重橋前駅2番出口がある。千代田線の両駅どちらにも通じる馬場先門である。

その先、和田倉門交差点を左折し、200mほど行幸通りを歩くと、案の定、皇居外周ランナーと遭遇。隊列を組んで歩いていた筈だが、内堀通りでは徐々に崩れ始める。

気象庁前10:34 気象庁前。左手には平川濠と平川橋。ランナーに撹乱され、かつ走る速さにペースを釣られたか、皆、速い速い。この調子で歩けば、体も温まりそうなものだが、そうでもなかった。(この日の東京の最高気温は12℃)

 信号待ちの度に小休憩できるのが救い。ペースを維持したまま歩くのは、帰宅困難以前に単に「困難」である。竹橋から清水濠を見ながら九段下へ。内堀通りから目白通りに入る。飯田橋までは、歴史のプロムナードとも呼ばれ、途中、飯田町駅跡、徽章業発祥の地といった標石なんかがあったりするのだが、まちあるきイベントではないので、パス。

11時過ぎ、「予定通り」飯田橋(最初のエイドステーション)に着き、11:21には出る。スケジュールによると、12:30以降、昼食地点である中池袋公園に着けばいいことになっている。一時間もあれば着くはずなので、ゆったりめでいいと思っていたら...

大曲11:31 大曲(おおまがり)を通過。写真の通り、目白通りが大きくカーブしている。飯田橋から江戸川橋までの距離感は、地下鉄(有楽町線)乗車時にわかっていることだが、歩いてみると、よりリアルに距離を感じる。

石切橋11:38 石切橋のガソリンスタンドにはこのような幟が立っていて、帰宅困難者を支えてくれることになっている。だが、ペースの速い皆さんがここに立ち寄ることは考えにくく、せっかくの設定も空振りな印象。この後、11:45に江戸川橋を通った際、スタッフの無線交信でわかったことだが、この時点で先頭集団は中池袋に着いてしまっていた。恐るべきスピードである。12:30が設定時刻ということを考えると、現場もさぞあわてたことだろう。で、もっと驚いたのは、こっちは標準ペースで動いていたつもりが、何と最後尾グループになっていた、ということ。スタッフのおじさん連中が、こっちの動きに合わせて止まったり、監視しているような感じだったのは、つまりはぐれないように見張っていたということだった。後続がいないとなれば、もっともではあるが、時間配分的におかしいことに気付かなかったのだろうか。

鳩山会館11:53 鳩山御殿の前。「こんなところに!」と思わぬ発見に感嘆するも、それどころではない。本来、音羽界隈は散策にはピッタリの地なのだが...

護国寺前12:03 やっとこさ護国寺前へ。境内にエイドステーションが設けられ、給茶給水などのサービスを受けられるが、また最後尾になるのは御免なので、そそくさと移動開始。

小篠坂12:11 ここから小篠坂。この坂を含む、護国寺〜東池袋は筆者的には未知の道。この界隈は、雑司が谷に当たるため、レトロ感があるも、どことなく雑然としている。地震発生時も危なっかしい感じ。

文京区大塚5-40危険エリアというのはこういうものか。小篠坂の途中には、こんな場所もある。地震が起きたらどうなるか... 一目瞭然である。

12:33 「スケジュール通り」、中池袋公園に到着。しかし、何のアナウンスもなく、ただ非常食弁当などが配られるばかり。(食事を出していただけるのはありがたい限りだが) この後、どう動いてとか、ここでリタイアする場合はどう、とかの案内があっても良かろうと思うのは筆者くらいか。これまでのペース配分のいい加減さもあるし、先が思いやられると感じ、自主的にリタイアすることにした。まぁ、そうした局面も自分自身で打開することも訓練のうち、ということらしい。

中池袋公園13:07 すでに片付け終了前の状態に。スケジュールでは、13:30までは撤収しないことになっていたような?!

 要するに今回の行事は、「帰宅困難者対応」とは名ばかりで、急かすばかりの「特訓」だった、ということである。そもそも、実際に震災に遭った時は、一刻も早く自宅へ!となるにしても、障害物も多いだろうし、早足では歩けないはず。タイムレースでもなく、歩け歩け大会でもない。徒歩帰宅時に通る街路の状況や危険物の有無等を検証しながら、じっくり歩くことに重きが置かれるべきだった、と思われる。(他のの各コース(千葉、神奈川、西東京)はいかに?)

 この日の約8kmは、千代田(日比谷)〜東西(大手町)〜有楽町(飯田橋)〜と、東京メトロ各線の上を辿って歩く設定。とにかく歩けることがわかったのが何よりの成果である。

  • 参考情報

帰宅困難者対応訓練 埼玉コース震災時帰宅支援マップ」での埼玉方面おすすめは、春日通り。都営三田線に沿って歩くシンプルなルート。護国寺〜東池袋の危険エリアは避けられる。今回の訓練ルートは、そうではなかった。(危険度を体感してもらうため?)

帰宅困難者対応訓練 タイムスケジュールこのスケジュールに沿って、動いていたつもりだったが...

 

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第26話 「地球環境パートナーシッププラザ」PRレポート / 第39話 通勤ルートのどんぶり屋 / 第43話 水無月 / 第46話 メンテナンス / 第54話 イルミネーション / 第58話 水曜クリーンキップ / 第71話 都心周遊 / 第100話 東京百景(T) / 第103話 頭上注意 / 第116話 8時出発、8時帰宅 / 第124話 看板類の誤記・誤用など / 第125話 丼 / 第131話 街で見かけた芸能人 / 第134話 半蔵門線 / 第138話 止めてもいいけど... / 第142話 都心周遊(都バス編) / 第146話 同潤会アパート / 第168話 青山ブックセンター / 第205話 無料スポットと無料サービス(23区内編) / 第215話 自転車で23区を走る

 

第245話 レジ袋削減協力ポイント(2007.11.15)

 石油の値上がりと足並みを揃えるように、スーパー各店でのマイバッグ持参の呼びかけが、ここ半年ほどは特に活発になってきたように思う。マイバッグ協力客への見返りとしてのスタンプサービス(一般的にはスタンプ20コで、100円引き)は前々からあったので、同時にこのサービスもテコ入れすれば、よりマイバッグ持参に弾みがつくはず。だが、「レジ袋の需要が減るのはありがたい、しかし、それに伴ってスタンプを押す回数が増えるのはちょっと...」という事情があったらしく、一部スーパーでスタンプカード見直しの動きが見られるようになった。たかが紙切れと思う勿れ、このカード・台紙は、スーパーと客とが環境配慮のために共に協力していくことを示す証書のような側面を有するのである。それが廃止... 考えさせられることは多い。

 スタンプ20で100円の場合、一回あたり5円分のサービスに相当する訳だが、レジ袋の単価が5円を下回るとすると、スタンプを押せば押すほど、店としては割に合わなくなる。店によって(勿論大きさによっても)異なるだろうが、おそらくレジ袋の単価は原料の高騰を受けて上がっているだろう。とすると、例えば「レジ袋値上がりにつき、今ならスタンプ20コで150円還元」とか、思い切った削減策を打つチャンスではないか、と筆者のような一消費者は考える。ところが実際は、スタンプカード廃止の代わりに、「その場で2円引き」とか「ポイントカードに2ポイント付加」とか、還元額は下がり、削減策としては逆行している観が否めない。これまでの取り組みは単なるポーズだったのか? 本気でレジ袋削減を考えていないのではないか? と訝らざるを得ないのである。

 今回はそんなスタンプカードの実態・実例を紹介しつつ、スーパー各社の違いを見ていこうと思う。

  • イオン

 筆者地元にはイオン系列店はないため、このスタンプカードの出番はまずない。ここまで貯まったのは、2005年の「愛・地球博」出展時第194話参照)、投宿していた旅館の近所にショッピングセンターがあったため、である。今思うと、本当に心強い存在だった。15番目まではしっかり木が立っている状態だが、16番目はあえなく「倒木」。これが良くなかったか、「EXPOエコマネー」のスタンプを押してもらったのと引き換えにスタンプは打ち止め。2005年9月以降、同店には行くことはあっても買い物はしていないことの証しである。(^^;

 ちなみに、そのショッピングセンターには、こんな「エコ ステーション」もあって、感心しきり。(分別ルールが徹底している名古屋市内だから、かも知れないが。) イオンでは、今も20スタンプ100円を継続中。(同社 環境・社会貢献部のリーダー職の方も胸を張って仰ってました。)


  • イトーヨーカドー

イトーヨーカドー スタンプカード(表紙)

イトーヨーカドー スタンプカード(スタンプ欄)

 イトーヨーカドーではあまり買い物をしない(というより細君のスタンプカードに集約)ため、こんな程度。変わっていなければ、ここも20スタンプ100円。


  • いなげや

いなげや スタンプカード(表紙)

いなげや スタンプカード(スタンプ欄)

 滅多に行かないので、1スタンプどまり。イオンは木だが、いなげやは海藻のようなマーク。いきなりこけて(流れに負けて?)しまっているのはご愛嬌。


  • 西友

西友 スタンプシート(表紙)

西友 スタンプシート(スタンプ欄)

 かつてはエコ・ニコで頑張っていたが、今年6月から方法が切り替わり、レジ袋辞退の旨申し出ると、レジにて即刻2円引き、になった。これまでの5円から2円... とスタンプシート派としては、面白くない面もあるが、同社報告(9/14付)によると、この一大転換で辞退率が上がったんだとか。スタンプシートの出し入れが、レジ袋削減の阻害要因だった、ということか。

 余談だが、画像にあるように、押してもらったスタンプは専ら地元店ばかりだが、6・7番目は旅の記録のようになっている。(諫早&佐賀→第199話 11.の項参照) スタンプというからにはこういう使い方があってもいいだろう。

NFスタンプ さらに以前は、ご丁寧にこのようなスタンプを配っていた。これを専用のシートに貼る(20スタンプで100円)というものだったが、こういうのが好きな人でないと長続きしないだろうと思われる。(それが狙いだったか?)


  • ダイエー

ダイエー スタンプカード(表紙)

ダイエー スタンプカード(スタンプ欄)

 ダイエーとマルエツは、同系列だったので、かつてはマークも似ていた。90年代半ば頃は共通で押してもらえたこともあったが、今は全く別々。「お買物袋」という言い回しはなお共有している。


  • マルエツ

マルエツ スタンプカード(表紙)

マルエツ スタンプカード(スタンプ欄)

 

「お買物袋いりません」→「マイバッグ持って来ました」の方がいいような

 マルエツに限らず、どのスーパーでも、「お買物袋いりません」札がこのように常備してあるが、スタンプカードがあれば、それを現金の受け皿に置けば済んでしまう。それはそれで円滑でいいと思うのだが、どうだろう。(西友の場合、今は口頭申告ベース。口下手な人は気の毒な気もする。)


  • ライフ

ライフ スタンプカード(スタンプ欄)

スタンプカードがポイントカードに変身?

 10月まではスタンプカード式だったが、案内の通り、11月からシステム変更。筆者が最後に貯めたスタンプカードは、12どまりだったが、12×5円=60円計算で、ちゃんと値引きしてもらえた。

 今は、下の画像の通り。POINT CARDに「エコポイント」を充当する仕掛けになっている。100円台の買い物では通常1ポイントのみのところ、レジ袋辞退でさらに2ポイント。おトクな気もするが、1回につき5円、というのに比べるとやはり見劣りするような... ちなみに、1000円台の買い物で10ポイントが付く場合でも、エコポイントは一律。2ポイントどまりである。(袋の枚数や大きさには比例しないのが良くも悪くも、である。)

無料ですぐに作れるPOINT CARD。何かもったいない気も...

ポイントの付き方の一例

ライフ 初期スタンプカード(スタンプ欄)ピンクのカードの前は、こんな感じ。取っておいたら、引き換え損なってしまった。まだ換金してもらえるだろうか。(レアものなので、100円以上の価値あり?) このスタンプカードの頃は、フルスタンプですぐ100円引き、ではなく100円分の商品券にわざわざ引き換えていた、というのが当時の状況を物語っている。(レジ袋辞退客は珍重されていた、と言えなくもない。)

 

 

  • その他

赤羽駅西口にあるアピレの地下食品館専用のポイントカード。ここは昔からレジ袋辞退で「1ポイント」である。

 サミットとオリンピックは自転車で10〜15分のところにある。あとはコモディイイダとか。いずれもまず行くことはないので、スタンプカードの有無等もわからないが、機会を作って調べてみようとは思う。

 そもそも、原料高騰→レジ袋コストアップというのは各社共通の悩みどころなんだから、バラバラに対応するよりは手を組んだ方が得策なのは明白。EXPOエコマネー然り、横断的な取り組みこそ!である。レジ袋削減協力ポイントについては、ポイントの付け方を差別化することで、一定の囲い込み策にはつながるだろうが、元来は環境対応策として別次元で考えるべきもの。いっそのこと、汎用性の高いカード(Suica、PASMO、その他の電子マネー)にポイントをチャージするなど、どの店に行ってもレジ袋無用(マイバッグ使用)の恩恵に与れるようにはできないものだろうか。

 ポイントカードそのものやポイントチェッカー(読み取り機等)にかける費用負担を考えれば、なおのことである。有料化以前に考え得ることは多い。

  • こちらもどうぞ...⇒ レジ袋、ポイントカード等に関する話題

第63話 ポイントカード / 第173話 カードの付加価値 / 第181話 手荷物への配慮 / 第198話 198円は特価か否か / 第225話 スーパーマーケットにおける「べからず集」 / 第230話 JR発足20周年(前編)

 

第244話 祝・中日ドラゴンズ日本一!(2007.11.2)

*今回は予定を急遽変更してお届けします。

 次は第3戦という日の前夜、つまり10月29日の夜に見た夢は悪夢だった。ピッチャーは何故か山本昌。途中で山井に交代したような混沌とした感じだったが、山が付く投手で惜敗、というのはハッキリしていた。夢の中で「あぁまた...」と嘆く筆者。しかし、もうこんな夢を見ることもない。見たとしても、「日本一」になるというのがどういうものかがわかった以上、悠然としていられる。ありがたいことである。昨夜は野球の夢は見なかったが、おかげでよく眠れ、調子もまぁまぁといったところ。

 第1戦で敗れた時は、不思議と開き直るような気持ちになれた。2年続けて同じ顔合せの場合、2年続けて勝つ(または負ける)のが大勢なんだとか。つまり勝って負けてが入れ替わることは稀、という話を聞いていたので、「所詮、そんなもの」とむしろサッパリできた。選手も同じ思いだったか、どうなのか... 結果的にはこの初戦黒星が妙薬になったと言えなくもない。

 第2戦で何かが変わった。「どういうところでスイッチが入ったのか...」と落合監督も首を傾げたそうな。伸び伸びやっている感じが伝わってくる。筆者的にはこれまで5度、ドラゴンズが出場する日本シリーズを少なからず観戦してきたが、こういう伸び伸び感てのはあまり記憶がない。第2戦に続き、第3戦も余裕の試合運び。選手の皆さん一様にイイ顔をしているので、「こりゃ行ける」と思う。日本シリーズを2試合以上戦って、白星が先行したのは、2004年の対西武の時ぐらい。こういう心理状態にむしろ違和感を覚える一小市民ファンなのであった。(とりあえず、悪夢が正夢にならなくてホッとしたのは言うまでもない。)

 10月31日の試合開始時刻は、国分寺を出たところだった。中央線車内ではよく聞き取れないので、新宿で下車した筆者は、値上げ前日のパスタ店で食事を済ませると、小田急百貨店脇のカリヨン橋へと急ぐ。第4戦は、ヒヤヒヤものである。20時過ぎ、AMラジオを再び取り出して、せかせかと選局して耳に飛び込んできたのは、「ランナー、ホームイン!」 次のバッターが日ハムらしいことがわかったところで、聞こえなくなってしまった。使い回し電池だったので、バッテリ不足だったんだろう。こうなるともう気が気ではない。電池をこすって少しばかりバッテリ出力をキープさせつつ、埼京線車内で断続的な中継に耳を研ぎ澄ませてみるのであった。3−2で辛うじてリード? どうもよくわからない。

 こんな執念が良かったのかどうなのか。帰宅してから観戦すると、折りよくも追加点。4−2。試合はこのまま無事終わり、対戦成績「3勝1敗」という、かつてない優位な展開を目にすることになる。(ちなみに、ホームイン!てのは、5回表の押し出し四球によるもの。ちゃんと聞こえていたら、居ても立ってもいられなかっただろう。)

 前夜に続き、第5戦もヒヤヒヤ。だが、まさか走者ゼロ「完全リレー」になるとは。何が起こるかわからないのが日本シリーズだなぁ、というのを再認識するばかりで、感動とか感激とかは後からついてくる感じだった。夢の中では報われなかった山井投手がやってくれた。2004年の西武戦でも意外性(?)で勝ち投手になっているが、その再現を、それ以上の快挙&大舞台で果たした。結果は1−0。決して相手投手を打ち崩した訳ではない。緊迫していたからこそできたあの投球、ではなかったか。今年の沢村賞投手に投げ勝つにはこれしかない、というピッチング。要するに走者を出さなければいい、「押さえ込む」というよりは「抑え込む」、それを見事やってのけた。(11三振はとられたものの、9番打者の山井は三振していない、というのがまたスゴイ。腕が振れているから、バットも振れていたんだろう。) 蛇足ながら、いいピッチングをしていても終盤に突如崩れる、というのが彼にはあって、2005年4月30日、横浜スタジアムでの試合で筆者は目の当たりにしている。9回表もそのまま投げていたら、どうなっていたか。筆者としては正攻法だったと思う。

 という訳で、昨年の雪辱どころか、全くの逆パターンでの日本一。雪辱以上のインパクトを感じる。「同じ顔合せジンクス」を破ったばかりでなく、数々のシリーズ新記録やら、支配下選手から日本シリーズMVPという昇竜を絵に描いたような中村選手の活躍やら、そして何より53年ぶりという「日本一見放され最長記録」の確立。記録としても記憶としても、球史に残ることは間違いない。

 さて、これまでの流れはどうだったのか。今はカリカリすることなく、おさらいできる。これもかつてなかったことである。(^^)

  • 1954年 中日 (4勝) - 西鉄 (3勝)

 最終戦までもつれ込む。第7戦は今回同様、1−0での勝利だったとか。


  • 1974年 ロッテ (4勝) - 中日 (2勝)

 当時は未就学児童だった。興味も何もないので、知らぬ存ぜぬの世界。


  • 1982年 西武 (4勝) - 中日 (2勝)

 第50話(後段)で書いた通り、周りは阪神ファンだらけ。露骨に中日を応援するのが憚られた、という事情もあるが、西武も何となく応援してたので実はどっちでも良かった。(それほど、思い入れはなかった、と言える。) →参考情報


  • 1988年 西武 (4勝) - 中日 (1勝)

 大学のロビーにある大型テレビでラストを見届けたのを憶えている。郭源治が伊東にサヨナラヒットを打たれて幕切れ。この時は「あーぁ」と思った。(山本昌投手で負けると流れが...)


  • 1999年 ダイエー (4勝) - 中日 (1勝)

 リーグ優勝したのがとにかく嬉しかったので、第50話を書いた。(日本一になったら、続きを書こうと思ったが、果たせず...)
 11年前と同様、1勝止まり。中日有利と言われていたのが、逆に負い目になってしまったようだ。この時も山本昌で負けて以降3タテを喰う。シーズン中は勝負強かった関川が日本シリーズはサッパリ。逆シリーズ男と云われてしまったが、彼だけのせいではない。流れの怖さをチームがまともに受けてしまった結果だろう。 →参考情報


  • 2004年 西武 (4勝) - 中日 (3勝)

 「もしかして」という予感はあったが、またしても山本昌が... 彼で負けると流れが変わるのがこれでよくわかった。 →参考情報


  • 2006年 日本ハム (4勝) - 中日 (1勝)

 2004年の時も根負けして逆転を許した。この年の第2戦も同じように根負けして同点、逆転... 山本昌効果と言うのも何だが、流れを手繰り寄せられない(手放してしまう)のはいただけない。この日の夜はなかなか寝付けなかった。流れが行ってしまった... その予感通り、4タテを喰うことになる。

 そして、

  • 2007年 中日 (4勝) - 日本ハム (1勝)

 つまり、山本昌投手を起用しなかったのが、今回の勝因の一つ、という気がしなくもない。軽くポンと打たれるよりも、根負けした上での同点や逆転のダメージは大きく、チーム全体に重くのしかかってしまう、そんなことが言えそうだ。「今回は勝たせたい」という思いが縛りになっていた観もある。その縛りがなかったことが、伸び伸び&普段着野球につながったのかも知れない。

 ドラマ性というのも大きい。残念ながら昨年のドラゴンズにはそういう要素が見当たらなかった。今回は逆シリーズ男が出なかったことと引き換えに、武勇伝になりそうなヒーローばかり。その層の厚さが日本一を導いたと言えるだろう。

 1974年以降続いていた日本シリーズ連続敗退は6で止まった。呪縛が解けた、という言い方を聞くが、「呪縛を解いた」が正しいだろう。昨年第2戦の根負けを引きずったことで、今季は不調だった山本昌。チームが縛りを解いた以上、彼にも本来の調子が戻るものと思われる。(そうすると、今回のシリーズで登板した5人の投手に、もう一人加わる(戻る)訳で、まずはリーグ制覇が磐石になることが予想される。)

 2003年以来、パ・リーグに日本一をさらわれ続けていたが、クライマックスシリーズを経るとセ・リーグも強い、つまり、日本シリーズは条件を整えて行わないと本来の勝負にならない、ということがこれで実証された。リーグ優勝をせずに日本一というのがドラゴンズらしいと言えばらしいが、これが地力というものだろう。流れに乗るとレギュラーシーズン以上の力が出る。短期決戦でのこの強さは揺るぎない。来年も日本一、これは決して夢ではない気がする。

 以上、東京モノローグ的には異色の野球ネタにて失礼しました。(何せ、筆者としては5度目の正直であり、第50話の続編はぜひ日本一になったら、と決めていたので、それなりに積年の思いがあり...) 他球団のファンの方には、面目ありません。どうか一つ鷹揚に。

ちょうどスポーツ紙を整理しているところだった 11月2日、11時頃の駅売店にて。スポーツ各紙は売れてるんだか、どうでないんだか?
 ちなみに筆者は地元新聞店で、ドラゴンズ記事量が多い一紙(売り切れ直前)を購入。気が急っていたので、駅売店でSuicaを使って買うなんてことは考えもつかず。(^^;

 


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