随筆「東京モノローグ2018」(9−10月期)

 

随筆「東京モノローグ2018」(9−10月期)
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 第507話 50周年

 第506話 只見線

 第505話 時間がかかる話など 

 第504話 甲子園、8月20日〜100回記念大会(準決勝第一試合)レポート

 

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    第507話 50周年(2018.10.15)

     

     思うところあって、50年前にできたもの、開業したものなどをまとめてみることにした(注:身近なネタ中心)。50年=半世紀。重さを感じる歳月だと思う。

     以下、写真メインでご紹介する。

     


    コメダ珈琲店

     

     創業年月は1968年1月。近所にないので、あまりご縁はないが、ついでがあれば行きたい店ではある。つい最近、田端のアスカタワーにある店の前に来たところ、「50周年記念コーヒーチケット」というのが出たことを貼り紙で知る。ただ、どの程度おトクなのかはよくわからなかった。

     

     


    カレーショップC&C

     

     かつてほど行かなくなったが、出かけた際に遭遇すれば利用する。新宿に来れば新宿本店はお決まりコース。1968年2月オープンだそうな。当店での50周年記念サービスは「らっきょう」。以前は当たり前のようにらっきょうが好きなだけいただけたが、それがなくなって久しい。期間限定でのサービス復活というのが正直なところだ。

     


    新宿本店


    50周年ポスター(新木場メトロピア店

     50周年の節目に合わせるように、枚数に応じてトッピングなどと交換できるサービス券が9月末で廃止。代わりに記念サービス券をいただいた。ありがたく使わせてもらおうと思う。

     


    岩波ホール

     

     出勤等で神保町に通っていた割にはうっかりだったのが岩波ホール。開館したのは、1968年2月9日で、その記念日(→参考を起点に、記念上映が行われていたことをあとで知る。この「女の一生」は、その記念シリーズ前の一作。ホールは、岩波神保町ビルの10階にあるが、地階には飲食店がいくつかあるため、上映作品の看板の下にその店のキャッチコピーが並ぶことも。「女の一生」と「旨い酒と魚と肴」。うまい?組み合わせだと思う。

     

     


    営団地下鉄6000系(東京メトロ千代田線6000系)

     

     初代6000系は、1968年4月デビュー。車両形式としては半世紀現役だった6000系だが、最後に残った2つの編成がいよいよ引退を迎えることになった。引退=形式の消滅。小学校中学年の頃を中心に兎角お世話になった車両ゆえ、その姿が見られなくなると思うと、一抹の寂しさも。最終運転日は、11月11日(→参考

     

     10月14日(鉄道の日)に、綾瀬駅で撮影。特別運転(ラストラン企画)として、土日に1日1往復走る。

     


    神戸高速鉄道(西代〜三宮、高速神戸〜元町など)

     

     神戸高速鉄道は、神戸市内外の東西軸形成を主な目的として創立。1968年4月7日に開通した。現在の直通運転は、阪神⇔山陽電気鉄道にとどまるが、高速神戸駅では、阪急との乗り換えが可能。広域で捉えると京都・大阪・奈良⇔神戸・姫路のネットワークを支えている。写真はその記念グッズの例。(日比谷公園での恒例イベント「鉄道フェスティバル」にて)

     

     


    桜木町「ぴおシティ」

     

     1968年5月11日にオープンしたそうな。桜木町駅の西側では、ランドマーク的存在。改めて見ると、多少レトロな観がある。(桜木町駅周辺の取材時の様子は、こちら

     

     


    西武拝島線全線開通

     

     1968年5月15日に、玉川上水〜拝島が開通し、拝島線が全面的に開業。第493話に記した玉川上水車両基地の公開イベントでは、拝島線50周年にまつわる展示もあった。50年ひと昔... *50周年記念イベントは、このリリースPDFの通り

     

     


    京浜急行と都営浅草線の直通化

     

     神戸高速鉄道開通の2か月余り後、6月21日に京成・都営・京急の相互直通運転が始まる(→参考。京急の品川〜泉岳寺、都営地下鉄線(当時名称)の泉岳寺〜大門がそれぞれ延びてつながったことで実現。今では当たり前のように各社局の車両が行き交っているが、当時は快挙だったはず。都営地下鉄側からは、三浦海岸まで直通していたというから驚きだ。

     

     京急本線の起点・終点は、品川ではなく泉岳寺。泉岳寺行き、泉岳寺始発の列車もチラホラ。

     


    ニベアクリーム 日本発売50周年

     

     9月8日に、限定デザイン版が発売されたので、この日が記念日に当たるということだろうか。その日付はさておき、実に微笑ましいデザインのニベアクリームが登場した。チェーン系のドラッグストア店頭などでまだ見かけるものの、数はそう多くない印象。価格もバラつきがあるようなので、もう少し見極めてから買おうと思う。

     

     


    都営浅草線全線開通

     

     都営地下鉄線(当時)は、泉岳寺〜西馬込の開通を以って完成となる。その(延伸)開業日が、1968年11月15日。記念イベントとしては、今のところスタンプラリー企画があるが、日が近づけば記念きっぷ、記念グッズも出てくることだろう。

     

     都営浅草線用の新型車両5050系。6月30日にデビューした。50周年記念モデルと言っていいかも知れない。(泉岳寺にて、西馬込行きを撮影)

     


    都営三田線(巣鴨〜高島平)開通

     

     1968年12月27日、都営6号線(当時)の巣鴨〜高島平(当時は志村)が開業。2番目の都営地下鉄誕生である。これを受け、都営地下鉄線は都営1号線に改称したのだとか。1号線(浅草線)、6号線(三田線)ともに、アニバーサリーである。

     


     拙宅から最も近い三田線の駅、志村坂上。出入口の佇まいに歳月を感じる。


     志村坂上を北に進むと、高架区間になる。写真は、環八通りを越える三田線区間(志村三丁目〜蓮根)。

     


    (蛇足)

     筆者もかれこれ半世紀 (゚o゚)

     

    (おまけ1) こちらもアニバーサリー


     インテル・・・創業したのは50年前の7月だそうな。


     歴史的なダイヤ改正「ヨンサントオ」から50年

     

    (おまけ2) 開業50年となる駅のうち「駅ログ」の記録があるもの

     

    丸森駅 新取手駅 西武立川駅 蒲郡競艇場前駅 西元町駅 城戸南蔵院前駅 
    崇福寺停留場(旧正覚寺下)

     

    (おまけ3) さらに上を行くあれこれ

     

     50年に100年を足すと、こういうのが出てくる。今年は歴史的にも意義深い節目に当たる年であることがわかる。

    明治150年 京都のキセキ

    東京150年


     「北海道」の命名150周年(→参考


     会津若松駅前には「戊辰150周年」の幟が設置

     


     

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    第506話 只見線(2018.10.1)

     

     初めて乗った路線で、その日のうちに起点から終点まで一気にというのは、決して稀少な話ではないが、ちょくちょくあるものでもない。そして、ここ10年の間で、初乗車にしてその日のうちに全線を完乗したJRの路線を挙げると、

     

    七尾線2010.2.11、津山線2012.11.4、武豊線2015.1.3、境線2015.4.9、弥彦線2015.10.31、和田岬線2016.3.12、札沼線2016.9.5、留萌本線2016.9.5、後藤寺線2017.5.19、篠栗線2017.5.19

     

     の10線あるが、その距離が100kmを超える長大路線はこの中にはない。過去に一部区間でも乗っていたり、初乗車でも全線ではなく途中までだったりするので、意外と例がないのである。

     逆に、どの区間も乗ったことのない白紙状態のJR路線(起点・終点のみの短距離路線を除く)を挙げると、

     

    北海道新幹線、宗谷本線、日高本線、北上線、陸羽東線、左沢線、米坂線、只見線、越美北線、桜島線、加古川線、播但線、赤穂線、木次線、可部線、岩徳線、美祢線、小野田線、鳴門線、牟岐線、予土線、内子線、九州新幹線、大村線、三角線、肥薩線、吉都線、日南線、指宿枕崎線

     

     とまだまだある。このうち、100kmを超えるのは、北海道新幹線、宗谷本線、日高本線(廃止見込区間を含む)、只見線、九州新幹線、肥薩線の六つ(9/15時点)。これらを目当てに旅に出れば、初乗車にして長距離クリアという例が増えることになるが、まぁそこは気長にと思う。

     長い路線をこなすには、その前後を含め、しっかり行程を組む必要があるため、一朝一夕には行かない。が、ちょっとしたきっかけがあれば、思いがけず達成できてしまうのもまた事実。9/16は、その六つのうちの一つを完乗できた。只見線(135.2km、全36駅)である。

     9/15は、水上駅でのイベントというきっかけに加え、臨時列車で水上〜越後湯沢〜小出の移動が可能といった条件が揃った。小出からは、ちょっとした温泉郷にアクセスできるので、そこで一泊。只見線の旅は、温泉などでゆっくりしてからという具合で、組み立てとしてはいい線行ったと思う。青春18きっぷが使えれば御の字だったが、新幹線を併用する必要が大きければ、18きっぷに頼らずとも済む。9/15は、大宮→高崎を「えきねっとトクだ値35」(2,380円)で、9/16は、郡山→大宮を「えきねっとトクだ値30」(4,510円)で移動し、その他の区間はひたすら在来線という行程。9/15は、途中駅で分割する買い方で多少安くし、高崎〜小出が計2,310円、9/16は、小出の一つ隣の越後堀之内に足を延ばした後に、只見線、磐越西線の経由を通しで買って、3,670円(越後堀之内〜郡山)となった。これに地元駅〜大宮の往復、臨時列車の指定席料金などを足し、交通費相当は14,000円台。これもまずまずだと思う。

     

     高崎で新幹線から上越線に乗り換え。待機中の「SLレトロみなかみ」(9:56発)もしっかり見物。🚂(この列車で水上に行く手もあったが、水上駅イベントに立ち寄る時間がなくなってしまうので断念...)

     「鉄道わくわくフェスティバル in みなかみ」(→PDF)では、発車標の「LED案内文」をお好みで表示してもらえる催しも。上段は固定で、任意の案内文は下段(12文字分、色指定も可)。両毛線の富田駅にひっかけて、筆者の苗字「冨田」を表示してもらった。

     水上→越後湯沢は、快速「やまどりもぐら」(12:25〜13:42)で移動。新清水トンネルを経由するので"もぐら"。トンネル内にある土合駅には、20分ほど停車。乗客もモグラ気分を味わえる。

     越後湯沢では、これから乗る列車(左)と乗って来た列車(右)の横並びも。越後湯沢→小出は、左の快速「ゆざわShu*Kura」(14:45〜15:29)で。お酒を買い込んで、車内で小宴。🍶

     

     いつもなら、こうした“鉄旅”の記録は専ら「駅ログ」に載せるところ、(1)道中での駅の降り乗りが少ない、(2)一部区間は代行バスという特例乗車を含む、(3)乗車距離・時間とも長い、といったことから「駅ログ」ではカバーできない面があり、当モノローグでと思い至った次第。

     以下、只見線レポートをお届けする。

     

    只見線路線図(概略)…七日町の次が会津若松

     


    小出〜只見

     

     小出発の只見線列車は、曜日によらず1日4本。列車の不通区間があるため、全区間を直通する列車はなく、4本のうち3本が只見行き(7:58、13:11、17:10)で、1本はその一つ前の大白川行き(19:57)。本数がもともと少ないため、難度が高い路線な訳だが、照準を合わせれば何とかなる。今回乗ったのは、13:11発。前泊しているので余裕である。

     列車は2両編成。二人旅だったが、クロスシートを悠々確保でき、席に困ることはなかった。18きっぷシーズン(7/20〜9/10)だとまた違ったかも知れない。乗客は、クロスシート1〜2区画につき1人といった割合。越後須原(13:33着)、入広瀬(13:45着)では、降車する客が一定数あった。入広瀬までは破間(あぶるま)川に沿った平野部で、宅地も多く、ローカル色は薄め。小出〜入広瀬に限って、列車を増やしてもいいのでは?と思う。

     その先は、破間川の源流にあたる末沢川に沿うように走り、車窓も一変。山岳路線の趣になる。只見線が最後に開通した区間の一端、大白川(13:56着)は入広瀬から営業キロで6.4km。客の乗降はここでもある程度あった。只見線の絶境区間(ハイライト)とも言えるのは、いよいよここから。新潟⇔福島の県境を越えるにあたり、長いトンネル区間に入る。トンネルの名は六十里越(ろくじゅうりごえ)トンネル。峠の名称によるが、実際には六十里(約240km)もないので、それくらい長く感じた故の呼称?とされている(諸説あり)。鉄道トンネルの長さは約6.4km。正確な長さで名付けるなら「1.6里越トンネル」といったところか。

     

     小出駅から只見線に乗車。只見まで70分揺られる。

     入広瀬駅。かつては入広瀬村の中心駅だったが、市町村合併で今は魚沼市最北の駅に。駅名標の後方の建物は、駅舎を兼ねた観光会館。右に見える車両は、除雪車。

     入広瀬〜大白川で、破間川を越える。破間川に沿うのはこの付近までで、次は末沢川沿いに。朱色の構造物は、只見線に沿う国道252号の覆道(スノーシェッド)。

     大白川駅の駅名標。かつては、西隣が柿ノ木、東隣が田子倉だったが、両隣とも廃駅になってしまったため、上から駅名を貼って、入広瀬−大白川−只見に。

     

     トンネルを抜けたのは、大白川を発って20分後。進行方向右には、只見川のダム湖「田子倉湖」が広がる。かつてはこの湖岸に田子倉駅があったが、2013年3月に廃止。只見線全通時(1971年8月)に開業したので、駅の歴史としては42年に満たなかったことになる。その駅跡地らしき場所を通過すると、次は田子倉トンネル(約3.7km)に入る。それを出てしばらくするといよいよ只見。14:28着が定刻のところ、少し早めに着いたが、前の停車駅からの所要時間が長いことには変わらない。大白川から実に30分。営業キロでは20.8kmという長さだ。ちなみに、六十里越+田子倉で、トンネル区間は10km余り。大白川〜只見の開通を以って只見線全通となった訳だが、その最後に残った区間の半分はトンネルだったことになる。当時の労苦が偲ばれる。

     

     六十里越トンネルを出ると、田子倉湖が現われる。只見線の車窓絶景の一つと言えそう。

     田子倉トンネルに入る前に撮った田子倉湖。対岸に見える桁状のものは、国道252号線の覆道。

     只見駅に到着。2両編成のうち後方1両は、「只見縁結び」と称するラッピング車両。

     只見から先は不通につき、小出からの列車は当駅終点。只見から先、会津蒲生〜会津川口の各駅へは代行バスで。

     


    只見〜会津川口(代行バス)

     

     只見からは、代行バスに乗り換え。この時の片道きっぷだと只見ではまだ100kmに満たないので、列車が普通に走っていれば改札の外に出られないところ、このバスのおかげで外へ。ただし、バスの発車時刻が14:32ということで、駅周りを見たり撮ったりという余裕はなかった。列車にはそれほど乗っていないと思われたが、バスへの乗り換えを見ていると、あれよあれよで満席に。細君に先に席を確保してもらっていたのでよかったが、油断していたら補助イスになっていた可能性もある。18きっぷシーズンは、果たしてどういう状況だったのか...これと同型のバスだったら、乗車できない利用者も出たものと思われる。

     バスは、列車不通区間に対応し、只見〜会津川口(27.6km)を50分で結ぶ。2009年当時の時刻表によると、只見線全区間を走る列車として、小出(13:17発)〜只見(14:36着−38発)〜会津川口(15:18着−29発)〜会津若松(17:18着)というのがあり、列車だと40分だったことがわかる。バスは、主に国道252号線を通るため、道路にカーブが多ければその分時間はかかる。列車の代行ということで、駅の前、または駅付近で停まる必要もあるため、その停車時間も加わる。+10分で済むというのは、快挙なのかも知れない。会津川口には(ほぼ定刻通り)、15:22に着いた。

     

     「只見驛」と代行バス。インフォメーションセンターなどを見物する時間はなかった。

     只見川の支流、叶津川に架かる只見線の橋梁。橋脚や橋桁などの様子からして、大きな被害はなかったように見える。

     バスからの只見川の眺め。国道は、鉄道よりも川に沿う区間が多く、より近くに川が望める。写真の場所は、只見町と金山町の境界付近。駅では会津塩沢と会津大塩の間にあたる。

     会津大塩駅をズームで撮影。バスが駅の前に停まるケースは少なく、駅に近い国道の途中で停車というのが主だった。列車同様、定時運行を基本とするため、時間の調整が入る。会津大塩では2分ほど停まった。(一つ前の会津塩沢でも数分停車。)

     会津横田〜会津越川〜本名の3駅分は、国道と只見線は概ね並行。時折、線路と思しき場所が出てくるが、草や木に覆われて廃線の如し。左に見えるのは、只見線のトンネル入口(会津越川〜本名)

     只見川に架かる国道252号の本名橋から本名発電所付近を撮影。中央に小さく工事車両が見える辺りから只見線の「第六只見川橋梁」が架かっていた。(鉄道橋としての「只見川橋梁」は全部で八つ。2011年7月の新潟・福島豪雨で被害を受けたのは、そのうち第五〜第八の四つ。今年6月から橋梁などの復旧工事が始まった。)

     会津川口駅到着。乗換時間5分につき、またしても駅舎の見物等はあまり...

     駅構内から不通区間側を撮影。運転再開は2021年度中を予定。

     発車を待つ会津若松行き。こちらも2両編成だった。

     

     

     会津川口駅ホームは、只見川に寄り添うような立地。只見線の駅で、只見川に接する位置にあるのは当駅と早戸駅が挙げられる。

     


    会津川口〜会津若松

     

     会津川口からは再び列車。15:27発で、終点の会津若松には17:19に着く。不通になる前の列車と、ほぼ同タイム。代行バスを挟んでも、全線で約4時間というのはキープしている訳だ。ただ、トータルで4時間というのはやはり長い。今回は、途中でバスという変則があったため、気分転換ができたが、ひたすら列車だと体に堪える面が出てくるだろう。初乗車&長距離に臨む場合、今後は体力を考慮しつつにしようと思う。(会津川口〜会津若松のダイジェストは、以下の写真で)

     

     会津川口駅を出てしばらくは、只見川がよく見える。対岸の木々などが川面に映り、鏡のよう。右のアーチ橋は、上井草橋。

     上井草橋を越えると、只見川の蛇行に沿うように、カーブ区間が続く。その最初のカーブ途中の様子。只見線の列車を被写体に撮る撮影地情報やその作例については多々見るが、列車からの絶景スポットや車窓情報というのは相対的に少ない気がする。筆者としては、この景観を車窓絶景の一つとして推したい。

     川沿いのカーブが落ち着いた辺りにある会津宮下駅(15:53着)。金山町の隣、三島町の中心駅で、只見線では数少ない交換可能駅(2面2線)でもある。写真のホームは、会津川口方面。列車の行き違いがあれば入線すると思われるが、そういう場面があるかどうかは不明。

     第二只見川橋梁と会津西方駅の間では、こうした光景も。まだ山間部だが、平地や田圃が下流に進むに従い増えてくる。

     第一只見川橋梁からの只見川の眺望(上流側)。当地は、只見線を撮る側の有名撮影地だが、車窓の方もなかなかの絶景。第一は、会津西方と会津桧原の間にある。

     会津坂本駅(16:22着)。三島町、柳津町を経て、会津坂下(あいづばんげ)町に入って最初に着く駅。会津坂下町の会津坂本駅と紛らわしい感じだが、会津坂下駅もちゃんとある。右に見える建物は、貨車を活用した待合室。只見川は、この駅辺りから北に外れる。

     会津高田駅(16:53着)。会津坂下町の隣、会津美里町の中心駅。岩代国の一之宮「伊佐須美神社」の最寄駅でもある。この写真の向きで奥(南)に約1.6km進むと伊佐須美神社に出る。

     会津本郷〜西若松で、阿賀川を越える。会津若松は間もなく。

     会津川口を出て2時間弱。終点の会津若松に無事到着。一大テーマをこなし、この後の磐越西線の車内では、一気に疲れが出ることに。郡山では新幹線に乗るまでフラフラだった。(*_*)

     9/16のメイン乗車券。経由に「只見線」と入っているのがポイント。この区間の距離は202.3kmで、会津若松駅は越後堀之内から137.7km。100km超につき下車できた。

     

     なお、不通区間の復旧工事が竣工し、再び只見線全線で運転再開となった暁には、列車運行はJR東日本で変わらないものの、只見〜会津川口の線路や設備などは、福島県が所有する形になる見込み(→参考。運賃が上乗せされる可能性もあるし、18きっぷなどの企画乗車券の扱いがどうなるかもわからない。現行の運賃で只見線を楽しむのであれば、代行バスが走っている間の方がいい?という見方もあるだろう。ともあれ、只見線の完全乗車(全区間を列車で)という点では、未達。運賃などの話はさておき、再開後にはまた乗りに行こうと思う。

     


     

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    第505話 時間がかかる話など(2018.9.15)

     

     それほど時間はかからないだろうと思っていたら、意外と時間を要し、「そんなことなら...」となる事態がままある。今回はそんな例をいくつか。

     


    2時間健診

     

     区の特定健康診査の案内が来たので、かかりつけの医療センターで受けることにした。

     健診日は、8月15日で予約。この時期なら手隙だろうと思い、15日にしたのだが、まず受付で待ち、着替えてからもそれなりに待ち、何だかんだでトータルで2時間を超過。受けた順は、胸部レントゲン、心電図、眼底、腹囲、採血、身長+体重、問診といった感じだが、それほど盛り沢山な訳ではないので、フロー的に欠陥があるように思える。

     民間の健保組合の指定機関で指定のドックを受けていた際は、区の健診項目に加え、聴力、胃レントゲン、腹部エコーなどもあったが、1時間かからなかった。そこでは、受診者のカルテ(ボード状)を各検査室の出入口にストック→巡回スタッフがたまっているカルテをチェック→アイドリング状態の検査室があれば、カルテを持って、声かけ&誘導といった流れになっていて、全室挙げて待機中の受診者(または待ち時間のトータル)を減らす工夫がとられていた。今回の医療センターでは、検査の順番のようなものがあって、順々に案内していくパターン。どこかの工程で、時間を要する受診者がいると、それがボトルネックとなり、その間アイドリング状態の検査も生じる…2時間かかる訳である。

     予約日時の都合上、受けたのは午後。早々に軽めの朝食を摂ってから臨む必要があるため、待ち時間が長くなると、空腹感が高まり、具合も悪くなってくる。採血を先にしてもらえればまだ何とかなったと思うが、なぜか後ろの方の工程。ヘロヘロの状態での採血となった。一部項目で数値がよろしくなかったのは、空腹に伴うストレスもあるのではないかと訝ってしまう。

     


    タイムセールのタイムロス

     

     夜分にスーパーに行くと、値引きがかかる時間帯というのがあって、何回となく通っていると、客としても心得のようなものができてくる。で、決まった時間に出かける訳だが、日によって捌き方が異なり、その値引きの処理にえらく時間がかかることがある。特定の品を買いたい場合にその処理が渦中にあったりすると、近寄りがたいものがあり、終わるまで待つケースも。値段が下がるのはいいが、その待ち時間をコスト換算すると果たして...

     解決策としては、(1)値下げ対象品を別のコーナーにまとめてシフト、(2)スタッフを一時的に集中させ、一気にスキャン&シール貼付、(3)貼った分から元の場所に戻す、または、(1)の後は、シール貼り要員と並べ直し要員との分業体制を敷いて作業時間を短縮、といったところか。

     値引きシールの例・・・スーパー周辺で行楽客が大挙する催しがあると、こうした品が多く用意される。が、アテが外れて大量に残ることも。

     


    サンド目の正直ならず

     

     フルーツサンドが名物のパーラー的な店が赤羽某所にある。テレビ番組でも出てくる店なので、名は通っているのだが、昔から入りにくいのが難点。9月1日は、赤羽西口エリアでのイベントついでに、その店に足を延ばすも、お昼時だったこともあり、満席に近かった。何とか席は確保できたので、お目当てのフルーツサンドについて尋ねると、1時間待ちとの答え。フロアに店員さんは二人いるものの、サンドイッチなどの作り手がお一人ということで、順番にこなしているとそうなるんだとか。

     という訳でまたしてもお流れに。入店したのは今回が三度目かそこらだが、過去に一度も飲食したことはない。いつになったら...である。

     作り手を増やす、席数を減らす、予約制を導入。いろいろ考えられそうだが、待ち時間あっての名店という見方もある。時々様子を見に行って、ここぞという時に入ってみようと思う。

     


    確定前の審査期間

     

     遅れ馳せながら、「個人型確定拠出年金」を始めようと思い至り、8月23日にネット上で申し込む。28日に書類一式が届き、30日には提出書類を郵送。その後、Eメールで連絡が来て、商品選択&積立開始と思いきや...
    ===
    確定拠出年金の申込書類を受領いたしました。
    国民年金基金連合会に送付後、加入資格の審査(審査期間:1〜2ヵ月)がおこなわれます。
    ===
     とのこと。このご時世に何と悠長な…と思う。

     

     時間がかかる事例がいろいろある一方、思いがけず短時間、短期間だったという件もある。

     


    (その1)
     第455話に記したノートPCが、何となく重い感じになってきたので、メモリを増設することに。購入後2年も経てば、そんなものかも知れないが、増やして軽くなるならと、9月9日の夜に楽天経由で購入した。

     気長に待つつもりだったが、この手の品は手配が速い。翌10日の午後には届き、大いに驚かされる。(写真は増設時のワンカット)

     これでPCの動きが速くなれば、さらなら驚きとなるところだが、あまりそうなった実感はない。(ブラウザが多少円滑になった程度?) 東京モノローグの入稿速度もアップすればいいのだが...

     


    (その2)
     区の健診には、歯周病に関するものもある。案内が届いたのは8月24日。しばらく検討し、近所の歯科で診てもらうことにした。

     30日に予約を入れに行く。健診の実施期間は、9月1日から来年の1月末までと長めだが、人気の歯科の場合、早々の受診は難しい。初めて訪ねる歯科だったので、どう出るかわからなかったが、何と初日からOKと云う。人気の程は不明だが、このスピード感は絶賛モノだと思う。

     1日、実際に診てもらった時も速かった。本来は、専用の針状の道具で歯と歯茎の間(または溝)を突いてポケットの深さを調べるのが筋(プロービング検査と云う)のところ、それがなかったのだから、速くて当たり前である。いま一つ信用ならなかったので、その先の処置(歯石除去等)の予約はパスした。

     

    ・・・

     使うべき時間は使い、短縮できる時間は短く、というのが本道か。何はともあれ、時間は大事にしたいものである。

     


     

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    第504話 甲子園、8月20日(2018.9.2)

     

     相変わらず“暑ッキング”な夏が続いているが、何はともあれ平成最後の夏である。この際、夏をしっかり実感できる催しに繰り出すのも悪くないと思い、8月19日(日)、20日(月)、一人旅に出た。目玉は、高校野球である。

     第502話は、5と2で「交通」ということで、交通信号の話題にした。となれば、504は「こうし」と読み替えればいい。少々無理はあるが、今回は「甲子園」ということで、そこでの熱戦の一つについて、振り返ってみようと思う。

     甲子園での夏の大会を観に行ったのは、1980年代半ば(1985年?)に一度だけ。当時高校生だった筆者は、通っていた高校が予選でそれなりに進んだ年があって、俄かに盛り上がった憶えがある。大会予選で5回戦進出が決まれば、応援団に吹奏楽部(当時所属)も加勢!という話が出るも、残念ながら4回戦で敗退となり、お流れに。甲子園で観戦したのは、その前年の夏だったと思われるが、もしかすると、盛り上がった勢い(または穴埋め)で行った可能性もある。(1986年の記録帳には、甲子園の記述は見当たらなかった訳だが...)

     定かならずも、第67回の大会だったとすれば、今回の「第100回全国高校野球選手権記念大会」から見て、3分の2くらいの時に行ったことになる。それから30数年が経ち、記念すべき回が来たという話。平成ラストの夏の大会=100回というのは、節目としてピッタリな気がする。

     そんな記念大会で観戦すべき試合は何か?と自分なりに考えて浮上したのが、準決勝だった。日程を見ると、19日はお休みで、20日がその日。台風が多く発生した割には、順延になることもなかったので、狙い通り。1泊2日のパッケージを申し込んだのは8月5日だった。旅行日までの2週間、番狂わせはなかったことになる。

     19日は試合がないので、こちらはいつもの乗り降り旅(例→三室戸六地蔵・JR藤森)。体力を温存しつつも、精力的にこなした。20日は、甲子園に行くことは行くが、「満員通知」が出れば入れないので、あわよくばといった感じで臨む。メインテーマに据える以上は、早朝でも何でも出向くのが筋だとは思うが、無理はしない。「第100回」なり「記念大会」なりの表示や案内等を目にできれば可といった程度である。故に、外野自由席券を難なく購入できた時は拍子抜けだった。(18日の準々決勝は、4試合ということもあってか、朝の5時40分に満員通知(→記事)が出たのだとか。準決勝も似たようなものと思ったら...)

     その日は、「阪急阪神1dayパス」を使って移動。乗り降りしたことのない駅の探訪など、多分に寄り道しているので、甲子園駅に着いたのは9時半頃だった。第一試合の開始は10時・・・時間はある。もともと出たとこ勝負のつもりだったので、ホームで「記念大会」の掲示物を撮ったり、改札前で記念スタンプを押したり、とにかく悠長に過ごし、ダメもとで入場券売場へ。晴れて、記念大会の券を手にすることができた次第。この時点で感無量である。金足農(秋田)×日大三(西東京)の試合だった訳だが、一応東京から来ているので、日大三サイドのレフト側外野席にした。どっちかと言えば...という程度である。

     


     ホーム階段での一幕…「ありがとう 夏100回 これからも」

     阪神電車の記念入場券(→参考は、記念大会ver.のスタンプを押せる仕様。しっかり押してから球場へ。

     甲子園駅構内の試合速報ディスプレイ。開会前だが、自ずと気分は高まる。

     駅前の大型ボードもこの通り。100回というのはやはりインパクト大。

     球場の垂れ幕は、「100回」や「記念大会」の文字がないタイプだった

     入場前の記念に撮影。背景は甲子園名物のツタ(一応)。レフト側の18号から入場した。

     

     通知は出ていなかったが、外野席はほぼ満員の様相。上段に向かい、席を見つけたのは9時55分だった。グランドの整備がちょうど終わった頃合いで、選手が姿を見せたのはその後。上々のタイミングだったと思う。

     


    ほぼ満員の外野席

    10時まであと5分。売り子さんが手にしているのは、名物「かちわり氷」。

     「第100回全国高校野球選手権記念大会」・・・ズームで撮影。これを撮りたいが為に来たというのはある。

     ほぼ10時。両校の選手が並ぶ。(左:金足農、右:日大三)

     第一試合なので、始球式が行われる。この時の投手は、桑田真澄氏。1984年の準決勝の一つ(PL学園×金足農)で、PLは8回に逆転。その立役者が桑田選手だったという。始球式でホームランを打ってリベンジという演出があってもよかった?

     準決勝第一試合、記念すべき第一球(投:日大三、打:金足農)

     1回表、金足農攻撃中。同校の応援は、初回から熱かった。金管楽器などの演奏力も高く、つい聞き入ってしまうという...

     1回裏、吉田投手の第一球(と思われる)。この試合も完投だった。

     外野席センター部分に並ぶ中継カメラ。いずれもゴザ状のものを巻きつけていて、はじめは目を疑う。暑さを示す例ということで。

     

     いろいろな意味でアツイのが甲子園。この時の気温、軽く30℃は越えていただろう。(参考:20日の最高気温…大阪34.5℃、神戸34.1℃) じっとしていてもジリジリする暑さで、日射を受けると余計に厳しい。夏を体感するのに恰好の場であるのは間違いないが、やはり限度はある。看板の影で、日が当たらない一帯があったので、そこに席を移し何とか凌いだ。

     思えば、この日に備えて髪も切ってサッパリしておいたし、双眼鏡の手入れもしておいた。ホテルに荷物を預けるというのをこの時はしなかったので、手元にいろいろあって重宝した。団扇にタオル、クッション代わりのブランケット。飲み物も複数調達したし、使用済みのペットボトルには、飲用に入れておいたが時間が経った水が適量。腕や顔を拭くのに役立った。マスクをすれば、顔の日焼けを多少は防げる。あればよかったと思ったのは、日焼け止めと携帯ラジオといったところ。もっとも、中継を聞かずとも試合の流れはわかったし、球音や応援(演奏)を楽しむ上ではむしろ無用。(スクイズ外し、ワイルドピッチなども含め)見せ場は多々あれど、総じて引き締まった好試合で、感動モノだった。デジカメの撮影時刻(電波時計を見て調整済み)によれば、第一球が投じられたのは10:04。両校の選手が集まって来ての一礼(終了時)は、12:17だった。試合時間、2時間10分余りということになるだろうか。時間的には一定の長さだが、長く感じさせない凝縮した試合だったと思う。

     


     5回まで終わって、金足農が2点リード。牽制捕球ミスなど、エラーが2つあったが無失点。要所は締める、そんな印象を受けた。

     8回裏、日大三が1点を返す(ランナー生還後の様子)。1アウト後に連打→2アウト後にタイムリーという流れ。この回で3安打ということで、日大三の応援、大いに盛況だった。

     9回表までで2−1。9回裏の日大三は、1アウト後に連打(いずれも内野安打…セーフティ気味+ヘッドスライディング)と、8回裏と同じような流れを作り、粘りを見せる。

     1、2塁にランナー。一打出れば同点、長打が出ればサヨナラという場面だったが...

     2−1で、金足農が決勝進出。金足農はヒット10本で2点、日大三は8本で1点…結果的には投手戦だった。(長打は二塁打どまり。ホームランはなかった。)

     金足農の名物、校歌斉唱シーン。これもまたいい記念になった。

     

     レフト側にいれば、日大三を応援する向きが強そうだが、金足農を激しく応援するファンが少なからずいて、驚かされた。「金農旋風」なる一大フィーバーがあったことは試合後に知った。その旋風の只中にいた、そう思えば納得である。筆者としても大いに魅了されるものがあったのは確か。外野席からでもそのチームに接することができたというのは、今にして思えば貴重な体験だ。

     準決勝の第2試合(済美×大阪桐蔭)は、当初12:30〜のところ、12:50〜にシフト。引き続き観戦する手もあったが、1dayパスをより有効に使いたいというのもあったので、第一試合で引き上げた。その後は、グッズショップに寄り、記念大会ならではのグッズを物色。手軽なところでクリアファイル(→参考を購入。歴代優勝校の名前が入った記念の品だが、第100回の優勝校の名前が...ない。(後日、大阪桐蔭と入ったversionが出たかどうかは知らない。)

     


     これもある意味、記念版。売切れ御免の品が多く、これ!というのはなかなか見つからなかった。

    大会記念クッキー「栄冠」は、山積み?だった

     歩いていると、後ろから金足農の生徒さんの一団が... 勝ち進んだことで学校関係者や応援団等の滞在予算が足りなくなり、寄付を募ったところ、それがまた莫大な額になったとか。さすが「金足」(足りない? or 足りている?)だと思った。

     意外と人出が少なかった昼時の甲子園駅前。電車も空いていた。

     

     甲子園駅から再び電車に乗ったのは12:55。阪神、阪急の駅を中心に、よく降り、よく歩き、よく乗った午後だった。2時間半ほど球場で過ごし、暑さへの耐性が高まったか、乗り降り旅で外にいる間、バテる感じはなかった。パワーをもらったことも大きいと思う。

     甲子園では、パワーのほかに、日射も存分に受けた。顔も然りだが、腕の日焼けがより著しい。皮が剥けるには至らなかったが、今もなお黒々していて小気味いいくらい。記念すべき夏の証しである。

     


    おまけ)記念大会の記念画像いろいろ


    阪神梅田駅での横断幕

     同じく梅田駅の記念スタンプコーナー。せっかくなので、3枚分押させてもらう。

     阪神本線などを走る列車の一部(写真右)には、「高校野球」の副標が掲出。ヘッドマークつきの編成もあったようだが、見かけなかった。

     阪神沿線のイベントガイド的な掲示物では、こんな具合。

     


     

     

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