随筆「東京モノローグ2015」(9−10月期)
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今見るとやはり違和感が...「短命広告」の例 第435話 看板広告「べからず」七選〜「べからず集」part21

車体側面に記念シールを取り付けた車両の一つ。30周年にちなんでか、「クハE233-7030」だった。 第434話 埼京線開業30周年

9月9日19時過ぎ、神保町某所での大雨の様子... 第433話 本日の一枚(9月前半レビュー)

記念すべき(乗降駅数)通算3000駅目は、この駅 第432話 通算3000駅

第435話 看板広告「べからず」七選(2015.10.15)

 今回の「べからず集」は、広告。と言っても、広く一般的なものではなく、@公共の場所における固定的なタイプ、A一定期間、一定人数の目に付くと思われるもの、Bディスプレイ式ではなく、主に看板など、という条件の中での話。街や駅などで、何かと目にする広告や看板の類のうち、「これはちょっと...」というのは決して少なくない。それらを7つの類型でまとめてみた。何かの参考にしていただければ幸いである。


7.短命=もったいない

 お騒がせのエンブレム。今となってはすっかり過去の話になってしまった。この手の企業は、オフィシャル某とすぐに出したがる訳だが、「いつオフィシャルに?」というのが正直なところ。その決定プロセスは、エンブレム同様、不透明な感じがしなくもない。どっちみち、不透明感のあるものは、長続きしない。この広告は、その好例と言える。

 それにしても、もったいない話である。


6.間違い

 ディスプレイ式の広告媒体は、良くも悪くも一過性。手直しが利くという点では優れている。固定的な媒体は、一度作ればそれがしばらく持続するという点ではいいものの、間違いがあると、それも続いてしまうというデメリットがある。左下の写真は、秋葉原駅でたまたま見つけたものだが、地図や表記の酷いこと。

 ダイビルのところ、なぜか「タイピル」。万世橋署は、中央通りの上(方角では西)ではなく、下(東)が正しい。複数の誤りがあると、信頼感はかなり下がる。こうなると、お店の位置も怪しい?

地図の不正確さも“リバティ”のうち?

↑ こちらのカラオケ店の地図は、概ね正確


5.誇張・誇大

 地図は正確かも知れないが、店に掲げる看板類には苦言を呈したくなるカラオケ大型店舗。曲数、「世界一」「世界最強」と謳うのは、果たしてどうなのか...

←「超クリーミーコック」&「超絶うまい」、これもある意味、誇張表現だが、まだいい方?


4.配色難

 神田駅の中央快速線ホームから西側を見遣ると、某パチンコ店の広告看板が目に入る(左下)。最近はこんな感じで、不快感を覚えるような設定になっていないのでいいのだが、かつては明らかに「目に毒」なタイプが多かった。目立たせることを前提に、過激な絵柄や配色を使うためだろう。

 秋葉原界隈は、その場所柄ゆえ、アニメ関係の看板が随所で見られるが、それらが集中すると、さまざまな色が乱舞する態となり、やはり目が向かなくなる。何らかのガイドラインが必要な気もする。


3.意味不明(演出過剰)

 いわゆる広告ジャックというものが、電車の車内で展開されるケースがあり、たまたま乗り合わせてギョッとなることがある。昨年11月に山手線で走っていたこの車両は、何の広告かがよくわからない上に、演出が過剰。とにかく「ブサイク」なネコを集めてきて、車内外のあちこちに掲出し、中吊りに至っては紙ではなくシャツを使うという凝り様である。相当な費用をかけていることが予想されるが、得るべき成果はあったのか・・・大いに疑問である。

(おまけ)

 山手線の新型車両E235系(試運転シーン)。中吊りを出さないのがウリだったが、方針が変わり、多少は出ることになった。くれぐれも珍妙な広告は扱わないでほしいと思う。(→参考情報参考記事

 意味不明ではあるが、明確な意図が隠されているのがこちらの広告。ブレがないという点でも評価できる。(→参考情報


2.見苦しい

 お世辞にもビジュアル的に良好とは言えないお笑い芸人の大写しを春頃から車内や駅で見かけるようになった。大写しだけならまだしも、奇抜さが加わると、見るに堪えない代物になる。その意図も全く以って不明。何事も目立たないことには...というか、転職情報サイトの競争が激しさゆえ、と思われるが、過ぎたるは猶及ばざるが如しである。そろそろ引っ込めてもらえないだろうか...(車内の扉に貼るサイズから、中吊り、ホーム上の看板、線路際の巨大看板に至るまで、バリエーションも多様。そのなりふり構わない感じが煩わしさを増幅させるのだと思う。)

この薄青の人物、奇々怪々この上なし

 同じ転職情報サイトのディスプレイ広告。この「縁ゆかり」さんは好感が持てるだけに、左の広告が余計に残念。

 美的センス皆無なものとしては、口臭ケア関係の小広告があった。ドア際でその不気味な一物に遭遇すると、とにかく気分を害されていたのだが、いつしか女性を起用したこのタイプに切り替わり、「車内扉の恐怖」から解放された。おそらく強い苦情等があったのだと思う。

 


1.公共性なし

 春の花粉シーズンになると登場するこちらの広告(車内では撮らなかったので、別テイク)。車内ディスプレイでもよく流れていたので、憶えている方も多いはず。冒頭からお見苦しい点はあるものの、途中まではまぁいいとして、問題はラスト数秒間。ティッシュの大量ポイ捨てシーンが出てくる訳だが、これは許されるものなのか...(昨シーズンも設定は同じ)

 クリーンアップ関係団体はじめ、全国の美化活動に取り組む方々への挑発とも受け取れてしまう。来年もまた同じパターンだったら、何らかの申し入れをしようと思う。


 こうした広告類、探せばまだまだ見つかりそう・・・行楽の秋、広告の秋ということで、引き続き探ってみようと思う。

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第434話 埼京線開業30周年(2015.10.2)

 埼京線・川越線の車両基地、川越車両センターというのが南古谷駅の近くにある。筆者はかつて、その車両基地の用地となった水田のほど近くに暮らしていたことがあったため、埼京線というのが走り始め、かつての気動車区間が電化され、かの水田一帯が車両基地に変わったというのを知って、大いに驚いたものである。そこに車両基地ができることになったのは、当初予定していた戸田市某所での用地買収がうまく行かなかったのが一因。仮に戸田に車両基地ができていたら、埼京線の初期の計画に従い、宮原〜大宮〜武蔵浦和〜赤羽〜池袋といったルート、つまり、高崎線と直通する通勤路線になっていたことになる。結果的に、川越〜大宮〜武蔵浦和〜赤羽〜・・・になった訳だが、今となってはこれ以外の選択肢もないように思う。もっとも、通勤新線としての埼京線が開業するきっかけとなったのは、京浜東北線の混雑緩和策として、大宮〜赤羽を結ぶ新線の検討が始まったことと、東北・上越新幹線の東京乗り入れの計画とが重なったことがまずある。具体的検討は1972年頃に始まり、運輸大臣(当時)の認可が下りたのが1980年12月。新線の建設がスタートした。大宮以南での新幹線区間を地下化する計画が見直され、高架にすることになったのと引き換えに、通勤新線を抱き合わせで建設することになったのがはじまりという話も聞かれるが、「鉄道ピクトリアル」の1985年10月号に掲載された「埼京線 まもなく開業」の記事(当時の国鉄運輸局の方が執筆)には、そうしたことは書かれていない。国鉄側の視点では書きにくい話ということだったのかも知れないが、何とも言えない。沿線の市史などを含め、きちんと調べてみる必要がありそうだ。

 「埼京線 まもなく開業」・・・この記事が出た「鉄道ピクトリアル」(No.454)は、大田区産業プラザPiOで開催された鉄道古書即売会で購入。タイムリーだった。

 こちらは、国鉄監修の時刻表「1985年秋号」。埼京線ダイヤ掲載号でもある。

↓ 時刻表には、トピックスの一つとして、以下のような記述が出ていた。さすが正確な印象。
「9月30日(月)、赤羽〜大宮間に新線が開業し、川越線の全線電化が完成します。これにより、赤羽線〜新線〜川越線は一本のルートになり、池袋〜赤羽〜(新線経由)〜大宮間は新たに埼京線(さいきょうせん)と呼ばれます。埼京線・川越線には快速電車も運転されます。」

 ともあれ、東北本線の大宮〜武蔵浦和〜赤羽、赤羽線の赤羽〜池袋の2つの区間を一つの路線とする「埼京線」が誕生した。東北・上越新幹線の大宮〜上野開業から遅れること半年、今から30年前の1985年9月30日がその開業日である。今でこそ、赤羽台トンネルから大宮駅の手前までは、新幹線と埼京線の車両が並走するのが当たり前になっているが、1985年3月14日から9月29日までの間、その区間では新幹線車両だけが走っていたことになる。開業が遅れた理由については、用地云々と言われているが詳細は不明。開業日が半年もずれ込んだといった辺りに、埼京線の「遅れ体質」のようなものはすでに刷り込まれていた?・・・そんな気がしなくもない。

 列車種別は、開業当初から「各駅停車」、「快速」、「通勤快速」の3つ。「通勤快速」の設定は、国鉄では初だったそうだ。列車の種別によって、線路を分けるのではなく、各停も快速も同じ線路を走り、優等列車が追い抜く形にしたのも、国電区間では埼京線が初。初づくし、つまり先進的な路線だったのである。

 池袋から先、山手貨物線を活用して新宿まで延びたのは、それから5か月余り後のこと。1986年3月3日が新宿開業日である。筆者が「埼京線」を初めて利用したのは、1987年春に一人東京に戻ってきてからなので、新宿開業から1年ほど後の話ということになる。最初に乗った埼京線区間は、新宿と池袋の間、一区間だった。山手線のおさがり、ウグイス色の103系が結構な速さで、しかも大きな唸りを上げて走るものだから、その衝撃は絶大。以後、新宿と池袋とを移動する場合は、何はさておき埼京線に乗ることにし、その「山手線快速」的な走りを楽しんだものである。この頃の埼京線は、他線の影響を受けることが少なかったためか、いつ乗っても遅れたり止まったりというのはなかったように記憶している。「埼京」=「最強」というのは、当時は当てはまっていた。今や昔話である。

 池袋から北の区間は、それからしばらく経ってからで、1988年8月、9月...と筆者の記録帳には記してある。黄色い電車が往復していた頃の赤羽線は、この目で見たのは確かだが、乗車した記憶は曖昧。板橋、十条、赤羽、それぞれの駅の改札を通った時は、特に感慨深いものがあった。

 昭和55年頃の赤羽線車両。このカラータイプは記憶にない。

 JRでの女性専用車の導入も、埼京線が元祖(2001年7月〜)

 103系を置き換えるべく導入されたのが205系。営業運転開始は1989年7月なので、それなりの年数が経っている。現存する205系はこの「28」のみ。今年4月にお色直しし、引き続き活躍中。

 夕焼けをバックに入線する205系。なかなか絵になる。

 埼京線=新宿〜大宮という時期がしばらく続いたが、1996年3月16日、つまり新宿開業の10年後に、遂に恵比寿まで延伸。北区の住民になったのは、その10日ほど後だった。最寄駅が埼京線にある以上、埼京線は生活の一部。通勤の関係もあって、都内区間での利用は頻繁で、恵比寿延伸の恩恵も大いに享受させてもらった。その後の延伸については、第126話に記した通り。以降、新木場〜大崎〜新宿〜池袋〜赤羽〜武蔵浦和〜大宮〜川越という運転区間(64.3km)は変わっていない(大宮〜川越は、川越線への直通運転という扱い)。2002年12月からなので、かれこれ13年近くになる。その新木場〜川越について、キーワードを並べるとするなら、臨海部、副都心、旧山の手、高架新線、近郊ローカルといった感じになる。この多様さは、もともと歴史の異なる区間が一つになったことがやはり大きい。駅の歴史も区間によって異なるため、駅舎などに統一感がないのがまた埼京線らしいところ。さらに、りんかい線に入れば地下区間があり、川越線に入れば単線区間がある。通しで乗っていると、いろいろな沿線要素が楽しめること請け合いである。

 そんな魅力ある埼京線だが、一般的な評価はなかなか厳しい。某総研が今年5月に行ったネット上の調査(「路線」に関するイメージ調査→PDFによれば、「イメージの悪い路線」、「通勤で使いたくない路線」で、埼京線がいずれもトップ。感覚的な調査なので、真に受けるものでもないと思うが、一沿線住民として「あぁ、やはり」と納得せざるを得ないのも事実。悩ましい限りである。イメージの悪さは、痴漢が多いこと、通勤で使いたくないと思わせるのは、混雑のひどさがそれぞれの主たる理由だそうだが、筆者に言わせれば、日常的な遅延をまず何とかするのが先決と考える。埼京線由来の遅れもさることながら、他の路線でのトラブルに影響を受ける確率がかなり高いというのが日々の実感。山手線、京浜東北線、宇都宮線、高崎線をはじめ、東海道・横須賀線系統で何かあっても埼京線に跳ね返る。池袋〜大崎の間は、湘南新宿ラインと同じ線路を使うことによるためだが、それにしても、と思う。他からの影響を最小限にするには、その路線のみで完結する区間が確保できるかどうかが大きい。埼京線の場合、川越線、りんかい線の直通運転をまず取りやめた上で、大宮〜池袋を往復する形にすれば何とかなりそうな気がするが、実際はうまく行かない。大宮駅は2面4線(19〜22番線)なので、折り返しも可能だが、池袋駅が新宿方面(1番線)と大宮方面(4番線)で一つずつしかなく、折り返し不能だからである。そこで目を付けるべきは、池袋の隣、板橋。今は島式ホームの1面2線だが、用地は十分にあるので、ここを大宮駅と同じ2面4線に変えれば、大宮〜板橋の往復が成立し、他線区の影響を絶つことができる。池袋〜大崎は、湘南新宿ライン専用にシフトすれば、その方面の回復も早めることができるだろう。遅延を起こさないことを前提にするのではなく、遅延は起きて当たり前くらいの気持ちで発想を転換すれば、板橋駅折り返し計画は自ずと出てくるものと思う。埼京線のイメージアップのため、JR東日本大宮支社と埼玉大学との間で、包括連携協定(→参考というのが8/25に締結されたそうだが、そこで展開されるのはおそらくソフト面。現実的な対応策も並行して進めてほしいものである。

*板橋駅の「改良計画」はある。→PDF

お得意の発車時刻逆転現象

 埼京線由来の遅延例。この時は「車両点検」だった。

 「車両に人接触」ということもあった。この時はかなり混乱が長引いた。

 その接触による遅延の状況。回復途中で15分遅れ。

 第366話で、予告レポートとして紹介したE233系7000番台は、2013年6月30日に運転を開始。その後も着々と増備され、直近では28編成が走っている。205系と比べ、1編成(10両)あたり140人ほど定員が増えているので、多少なりとも混雑緩和策として奏功していると思われるが、意識調査ではその辺がリンクしていないようで、何とも残念。異常発生時の対策も進められていて、列車の運行を細かく調整できる無線式の列車制御システム「ATACS(アタックス)」(→PDFなるものが現在、試験運用段階にあることも見逃せない。信号機で区切られた閉塞区間を使い、1区間内に1列車とする従来の制御方法から、列車自らが在線位置を検知・通信するシステムに変えることで、ダイヤの乱れを最小化。列車同士の間隔を自律的に調整できるため、何かあった際に、中途半端な位置で停車を余儀なくされることもおそらく減ると思われる。運用を始めるのは、2017年秋の予定。2年後である。イメージアップに直結するかどうかはわからないが、首都圏で最初の導入事例となることから、先進性という点での評価はされていいだろう。

 埼京線E233系のデビュー予告ポスター。デビューしてすでに2年以上が経った。

 2013年6月30日、E233系運転初日の赤羽駅での様子。日曜日だったが、この人だかり。(大宮駅での出発式も凄い人出だった)

 「ATACS」搭載済みの編成は、先頭部に「ID-○○」と付されている。この編成は「ID-35」。

 何はともあれ、祝!30周年である。残念ながら、「埼京線開業30周年記念Suica」というのは出なかったが、様々な記念グッズ(→参考は出ているし、キャンペーンの類も目白押し。

 概ね、

スタンプラリーでプレゼント
食事をすればプレゼント
買い物すればプレゼント(もれなく、または抽選)
提示すればプレゼント
提示すれば割引サービス

 といったパターンになる。その力の入れようにはただただ感心するばかりだが、肝心の記念イベントの方は、子ども向けの「駅長なりきり撮影会」と「駅員さん体験」(いずれも9/26)程度。あとは、パネル展示、子どもイラスト展などである。節目を祝う催しは特に行われなかったようだ。

 鉄道ファン注目ネタと言えば、4種類の記念ヘッドマークを掲げた列車だろう。各種類1編成ずつなので、そうそうお目にかかるものでもないが、筆者は遠くから撮った分も含めれば、4つのパターン全てに遭遇。1号車・10号車では、側面にもヘッドマークと同じデザインのシールが貼られているので、ヘッドマークとシールで計8つを押さえられれば言うことなし。集めてみると、一応こんな具合になる。

 

 

 

↑「クハE233-7030」で30周年

 

 

 ヘッドマーク列車は、10月いっぱい運行予定。それが終わると、祝賀ムードも収まって、いつもの埼京線の日々に戻ることになるだろう。遅れや運転見合せの方は、あまり戻ってほしくないものだが、それも日常と考えれば、気を揉まずに済むのかも知れない。

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第9話 雪が降る / 第39話 通勤ルートのどんぶり屋 / 第47話 豪雨と増水 / 第74話 南北線、さらに南へ / 第82話 雪かき / 第87話 タクシー地名考 / 第121話 フライングとビハインド / 第126話 埼京線、南へ / 第153話 北区踏切事情 / 第160話 新宿駅から各地へ / 第163話 水質調査と人力車 at 大崎 / 第167話 自動改札破り / 第179話 天然ガス引火騒動 / 第182話 3月31日で終了、あれこれ / 第190話 震度4後の新宿通り&タクシー地名考(新宿西口編) / 第208話 変化あっての新宿駅 / 第223話 2006年15大ニュース(前編) / 第263話 新線の延伸(F線レポート 後編) / 第278話 花冷えの十日間 / 第287話 緑被な建造物 / 第360話 鉄道事業者におけるべからず集 / 第366話 205系→E233系 / 第369話 初詣1988〜2013 / 第395話 最深積雪27cm×2 / 第418話 2015年3月ダイヤ改正概説(後編) ...

 

第433話 本日の一枚(9月前半レビュー)(2015.9.15)

 時間的余裕がない訳ではないのだが、ここ3週間ばかり、Facebookでの投稿はお休み中。1週間ほど休むと、ネタ的に面白いものがあっても、積極的に載せようという気分にならないもので、そんな状態が続くといよいよ休止モードに。Facebookにおいては、継続は何とやらというのはあまり意味を為さないので、しばらくこのままお休み(または、気まぐれ投稿)しようと思っている。

 Facebook上ではごくたまに、【本日の一枚】といったお題で、「友達」各位に近況等を知らせることがあった。9月前半は、これ!といった話題が決してない訳ではなかったので、今回はそのパターンで15日分を振り返ってみる。(その日にFacebookに投稿していたら、こんな感じ?というイメージ)


9/1:尾久駅の夜汽車

 上野から普通列車に乗るも、変な混み方をしていたので、隣の尾久で降り、次の列車を待つことにした。少し時間があったため、構内を見回していたら、旧型客車(3両)を発見! 近くまで行き、いろいろな角度から撮らせてもらった。夜の客車は実に絵になる。尾久で降りたのは、ちょっとした勘が働いたからかも知れない。

 この客車、翌朝も見ることができたが、その日のうちに山形方面に向かったそうだ。(後日、「SL山形日和。左沢線号」として運転)


9/2:エキュート上野のお楽しみ

 上野駅構内で、8/31から始まった「Suica de タッチキャンペーン」。9/1に試して、要領を得たので、この日は本腰を入れて、クーポン集めに興じる。3台回ってタッチすれば、もれなく100円分(または500円分)の「お買い物券」が出てくるという設定がまず素晴らしく、しかもその券、エキュート上野の各店舗100円以上の買い物で使えてしまうというから凄い。(某コンビニの新規開店時のチラシには、200円以上の買い物で100円引きというクーポンが付いているが、それを上回るサービス)

 時間がある時は、せっせと「お買い物券」集めに励もうと思う。(^^)


9/3:書泉ブックマート閉店へ

 神保町には、株式会社書泉が展開する二つの書店(書泉グランデと書泉ブックマート)がある。このうち、女性向けコミック・ライトノベル専門書店という位置付けの書泉ブックマートが、9月末で閉店になるとのこと。筆者はあまりご縁はないが、愛好家にとってはショックな話に違いない。

 会社帰り、そのブックマートに立ち寄る。「閉店のお知らせ」が小さく掲示されていた。(→リリース


9/4:東十条で撮る夜行列車

 583系の団体臨時列車「あおもり号」が、横浜から青森へ向けて出発。途中、新宿を21:03に出るというので、間に合うように東十条の陸橋で待機。ほぼ予想通り、21:17に通過していった。もともと夜行列車仕様の車両なので、夜は映える。その鈍く光る車体を見送りつつ、動画に収めた。(画像は、動画のキャプチャーによる)


9/5:初めての香取神宮

 18きっぷ残り2回分の活用策として、この日は二人で成田線方面へ。細君のご所望で、香取神宮、鹿島神宮に参じることにした。鹿島は今回で三度目(細君は初めて)だが、香取の方は、香取駅での乗り降りはあっても、神宮参りは初。名だたる神宮にお参りすることができ、気分は晴れ晴れ、天気の方も久々の晴れである。天候がよかった分、日射厳しく、往復約4kmの道程は少々堪えた。


9/6:マクドナルド招待券

 前日の小旅行でお疲れ気味だったため、夜は近場で、お手軽マックということに。地元商店街の福引イベントで当てた「招待券」があったので、ハンバーガーとフライドポテトを引き換える。ポテトはもちろん、塩ヌキ。


9/7:9月のアサヒドライゼロ

 ランチパスポート「神保町・水道橋・御茶ノ水」編は、Vol.1に続き、Vol.2も手に入れて、日々活用中。Vol.2では、「アサヒドライゼロ」が特典としてついてくる店がいくつかあり、この日は居酒屋系の「トンちゃん」に行き、この手の定食をいただきつつ、ドライゼロをいただく。こうしたメニューだと、やはりビールが合うようで、ノンアルコールとは云え、すっかりいい気分に。午後はバッチリ?!だった。


9/8:宝町駅にて

 東京駅に用事があり、ついでに八重洲地下街へ。そこから足を延ばし、宝町から帰ることにした。次の列車は通勤特急「芝山千代田」行き。19:38発のところ、5分遅れで着き、遅れのせいで混雑していたのでそれには乗らず、次を待つことにした。芝山千代田行きというのはまずお目にかからないので、その発車シーンを動画で撮っていたところ、程なく緊急停止。傘や鞄の一部が挟まった状態のドアが近くに来たところで停まり、それが原因とわかった。

 駅員が駆けつけ、それらを中に押し込み、発車の合図が出るも、これがなかなか発車しない。緊急停止がかかると、そう易々とは動かない実情を目の当たりにすることになった。発車したのは、結局19:46頃。遅れが遅れを招き、8分のビハインドである。おかげで次の印旛日本医大行き普通列車(19:43発→48発)は、ガランとしていた。


↑↓ 動画(MP4)がご覧になれます。

9月9日19時過ぎ、神保町某所での大雨の様子。線状降水帯によるこの雨、東京でも脅威だったが、栃木、茨城はその比に非ず。雨、水の怖さを思い知った。


9/10:「青」

 ランチパスポートVol.2で、新たに登場したラーメン店「青」に行く。店主が女性ということもあり、店の仕様から何から、実に細やか。「青」のグラスがまた実にイイ色だったので、記念に撮らせてもらった。パスポート対象メニューは、「九条ネギラーメン」(830円→540円)で、これまた上品な感じで佳かった。

 


9/11:青空

 「青」つながりで、この日は「青空」がテーマ。荒川河川敷、群馬方面の山々、そして空...雨の後は、大気が澄み、遠方の山並みがよく見える。荒川は増水はしたものの、幸い氾濫には至らなかった。河川敷の大きな水溜りは、大雨が降り続いた証し。


9/12:日暮里駅110周年

 JR日暮里駅構内で、同駅の開業110周年記念イベントが開かれるというので、開始時間にあわせて出かけた。至って小規模な催しだが、手作り感があり、企画としては上々。入鋏体験では、日暮里駅と鶯谷駅のハサミが用意され、イベント参加証(名刺大の厚紙)に入鋏。今となっては懐かしい切れ込みを入れさせてもらった。


9/13:老舗ボウリング場にて

 ランチパスポートは、北区版もしっかり持っていて、週末を中心にあちこち開拓中。そろそろパスポートの期限ということもあり、9月はより満足度の高い店に足を運ぶようにし、この日は赤羽南にある某カフェへ。その近所には、「三恵ボウル赤羽」という老舗ボウリング場がある。前々から気になっていたので、少しばかり見学させてもらった。ここではスコアを自分で書くことになっていて、それを目の当たりにして、感嘆符状態。スコアが書ける=ボウリング通ということのようで、上手な人が多い印象を受けた。


9/14:前面大破

 遅めのランチの帰り、職場近くの交差点で、車どうしの衝突事故現場に遭遇。怪我人はいないようだったが、ぶつけたと思われる方の高級そうな乗用車は、前面が大破状態だった。それなりに丈夫に見える車でも、案外脆いということがわかった。通りがかったのは14:25頃。後で知ったが、事故発生時間は14時だったそうだ。


9/15:彼岸花

 朝は最寄駅ではなく、赤羽駅まで歩いて出るようにしている。その道中でこの時期見かけるのが、ヒガンバナ(彼岸花)の群生。全面的に開花すると、より華々しい感じになることだろう。通勤時のちょっとしたお楽しみである。

 といった感じで、半月ほど振り返ってみた訳だが、こうして見てみると、やはりFacebookに載せるほどの話でもないように思えてくる。日常というのはそういうものである。

  • こちらもどうぞ...⇒ 日付レビュー系

第122話 掲載遅延 / 第228話 2月28日レビュー / 第267話 水と公園と海と / 第278話 花冷えの十日間 / 第339話 キーワードは"衝撃" / 第340話 乗り物の秋 /  第372話 2月第4週、平日の朝 / 第401話 4・3・4・3〜黄金週間2014 / 第411話 その月のツキ

 

第432話 通算3000駅(2015.9.2)

 鉄道の駅数は、いろいろな数え方があるが、筆者流での総数は今のところ9,597。この数の3分の1にも及ばないが、とりあえず節目となる3,000駅(での乗降)というのを先だって達成することができた。何事も積み重ねだと改めて思う。

 数え方は、@鉄道に乗って下車(駅の外へ)、A徒歩やバスなどで駅に来て、鉄道に乗車、B鉄道で来て、降りて乗って(改札などを出入り)・・・これら@〜Bのいずれかによる。駅数を数え始めた経緯や経過については、第294話第348話で紹介してきた通りだが、自作データベースを整えたことで、まがりなりにも記録をつけやすくなってからは、いよいよ弾みがつき、気が付けば大台...そんな具合である。

 3,000という数が見えてきてからは、その数と駅名とをリンクさせるべく、「千」または「三」がつく駅で、といったことも考えたが、そうそううまく行くものでもない。結果的に、初めて乗車する鉄道の駅がその節目となり、3001番目、3002番目もその鉄道の駅になった。この3駅、行った順に並べると、「○△」「本○△」「○△本町」になる。狙っていた訳ではないが、同じ表記が出てくる駅で固めることになったという次第。記憶に残るという点で、なかなかのチョイスだったと思う。

 と、クイズのような感じになってしまったが、節目で乗った鉄道、それは岳南電車である。3000番目は、東海道本線との接続駅「吉原」で、そこから「本吉原」まで乗り、徒歩で一つ戻って「吉原本町」から乗り、再び岳南電車の「吉原」に戻ったというのがその時の行程。短距離ではあったが、前々から乗ってみたかった電車に乗り、ほどよい探訪・散策ができ、有意義だった。その気になれば、岳南電車初乗車にして、その日のうちに全駅制覇というのもできなくはなかったが、そこは抑えて帰路に着く。18きっぷを使っての旅というのは、そんなものである。(その帰路では、伊東線に寄り道して、宇佐美へ。同駅が3003番目となった。)

 出かけたのは8月23日(日)。その日は、午前中が相鉄(#2993#2995)、午後から相模線(#2996#2999)、そして茅ヶ崎(13:41発)〜熱海(14:34着−37発)〜吉原(15:12着)と来て、岳南電車だった。吉原を出たのは15:24。本吉原には15:31に着き、そこから営業キロで300mしか離れていない吉原本町まであちこち寄りながら歩いて戻り、16:04発で吉原へ。吉原には16:09に着いた。岳南電車とその沿線、45分間の旅ということになる。

 JRの吉原駅改札を出ると、目の前が岳南電車の吉原駅。券売機はなく、窓口で切符(硬券)を買う。もちろん自動改札ではないので、しっかり「入鋏」してもらった。節目のいい記念になった。

 東海道本線のホームから見た岳南電車の吉原駅。この光景は何度か目にしていたが、実際に乗車したのはこの日が初めて。

 3001番目、本吉原駅。乗ってきた電車を見送るの図。

 本吉原駅の入口はこんな感じ。後方に建つ大きな建物は、大日製紙の工場。岳南電車の本社も同駅のすぐそばにある。

 3002番目、吉原本町駅。市街地の中にある駅だが、日曜ということもあって、人通りは少なかった。

 時間があったので、ホームでしばらく過ごす。この下り列車(16時発)が行った後で、16:04発の上り列車が到着。

 沿線マップ(抜粋)。今回はここに載っている範囲で3駅のみ。

 こちらは宇佐美駅(3003番目)。17:24着−49発で、そこそこ時間があったので、海水浴場まで行ってみた。海は荒れ気味だった。


 その後も初めての降り乗りは続き、8月30日時点で通算3013まで来た。駅ごとのレポートは、拙筆ブログ「駅ログ」に、追い追い掲載していくことになるが、せっかくなので、そのダイジェストを以下に紹介する。

  • 8月29日(土):山田線往復など

 駅をめぐるための臨時列車というのがある。その一つ、快速「もくぞう驛舎号」(北上〜宮古)がこの日に運転するというので、あれこれ手配して盛岡へ。ジョイフルトレイン「Kenji」に乗るのも初めてなら、山田線の盛岡〜宮古の乗車も初めて。途中停車駅で降り乗りすれば、どこも初になる。ありがたい列車ではあったが、乗車時間が...(盛岡〜宮古は、片道約3時間)

 盛岡駅停車中の「もくぞう驛舎号」。盛岡発は9:21。(盛岡に戻ってきたのはその7時間後)

 車内では、スタンプ台紙、ポストカード、クイズの解答用紙が配られた。「ちょっぴりプレゼント」もあった。企画としては上々。

 スタンプ対象駅は8つ。すべて下車できればいいのだが、途中駅で停車時間を長くとっているのは3駅のみ。ホームで押せない駅があるため、スタンプを押すためのセットが回ってくる。ちょっとした車内サービスである。

 通算3004番目は「大志田」(往路9:44着−10:01発、復路15:30着−51発)。いわゆる秘境駅にあたる。ふだんは利用者がいない駅がこの日だけは大賑わい。

 3005番目「浅岸」(往路10:11着−29発、復路14:58着−15:19発)。

 大志田、浅岸のような隔絶された感じはないが、東北で最も標高が高い位置にあるのが「区界」(3006番目)。駅前に国道106号線が通っているため、秘境感はない。(往路10:39着−54発、復路14:29着−48発)

 8駅のスタンプはこんな感じ。どの駅も一応、駅舎は「木造」ということになっている。

 盛岡に戻った後は、暗くなるまでにまだ時間があったので、田沢湖線の 「雫石」(3007番目)まで行って帰ってきた。秋田新幹線の停車駅なので、駅舎はなかなか立派。東北の駅百選にも選ばれている。

  • 8月30日(日):釜石線(SL銀河)など

 かれこれ25年前、1990年8月に、三陸鉄道北リアス線〜山田線〜三陸鉄道南リアス線の経路で旅をした。釜石には山田線で入り、そのまま海沿いに南下したため、釜石線は未乗。今回が初・釜石線となった。盛岡から快速「はまゆり」に乗り、まずは新花巻(3008番目)へ。その後、普通列車で上有住(3009番目)まで行き、初めての釜石線の旅は折り返し。残る区間(上有住〜釜石)はまたの機会に、ということにした。12時発の「SL銀河」に乗り、終点の花巻まで。途中、遠野、宮守、土沢で下車し、それぞれ3010、3011、3012番目の駅となった。(3013番目は、東北本線のとある駅)

 新花巻駅前の公園には、銀河鉄道をイメージしたアーチがある。構図をいろいろ試し、上出来だったのがこの一枚。

 山深い中にある上有住駅。着いたのは11:27だったので、SLに乗るまで30分ほどあった。駅のほど近くにある「滝観洞」には入口までは行ったが、入洞する時間はさすがになかった。

 2014年4月に走り始めた「SL銀河」。トンネルを出て、上有住駅に着く際、実にいい音で汽笛が鳴り、山間に吸収される感じでフェードアウトしていった。その時の音を録れればよかったのだが...

 遠野では機関車が切り離され、給水などの作業が行われた。再び客車と連結するところを、駅西側の踏切から望遠で撮影。(遠野では、12:41着−13:54発と1時間以上停車時間があった。)

 宮守駅近くの鉄道名所「めがね橋」を渡るところを撮影。煙が来ていたら、こうは撮れない。

 遠野の次の停車駅「宮守」。14:27着−34発だったので、余裕で駅の外へ。列車も様々な構図で撮ることができた。

 「土沢」では、列車の交換のために停車。14:54着−57発と限られていたが、何とか改札を出て戻ることができた。

 SL下車後、花巻駅では多少時間があったので、駅西口の材木町公園で保存されている花巻電鉄の「デハ3」を見学に。車幅が狭く、「馬面電車」と称される。実物を見て、大いに納得した。

 3000番目に向け、また、大台に乗ってから後と、8月は充実した鉄旅ができた。18きっぷはまだ2回分あるので、9月5日に二人旅で消化する予定。新たに降り乗りする駅が加われば、「駅ログ」に載せていくことになるが、掲載はしばらく先になりそうである。

 今年はまだまだ上積みできそうな予感。果たして、何駅まで行くだろうか...

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