随筆「東京モノローグ2005」(5−6月期)
index 次へ 随筆「東京モノローグ2005」(3−4月期)



第187話 23区内のカーブ駅 / 第186話 拾得物預り書 / 第185話 隣接区図書館の遠近 / 第184話 アースデイ東京2005〜90年代アースデイイベントとの相違

第187話 23区内のカーブ駅(2005.6.15⇒17)

 JR福知山線の脱線事故以来、鉄道路線の急カーブに注目が集まっている。事故については、思うところが多々あるので、文末にコメントを別記するとして、まずは標題通り、カーブについて言及したいと思う。ただ、筆者としては線路のカーブよりも、前々から気になっていたプラットフォームのカーブの方が調査もしやすいし、考察もしやすいので、今回は特に「カーブ駅」を取り上げることにした。

 気になっていた、というのも、筆者宅の最寄駅がカーブ駅であること、そしてそのカーブ駅を結構なスピードで快速列車が通過して行くのを常々見ていること、があっての話。4月25日の事故から想起されたのは、もしカーブ駅を通過中に同じように速度超過などで脱線することがあったら、どうなるのだろう?ということも一つ。駅がない場所でのカーブは多々あるので、それはそれで気を揉むことになるが、カーブに駅がある場合は限定的とは言え、また違った憂慮が生じる。カーブ駅を列車が通過する時、どれだけ身の危険を感じるか、これは実際に調べてみないとわからないものである。

 乗車している側から調べてもよかったが、先頭車両から観察しないといけないため、万一のことがあるとイヤなのと、乗降時の足元の状況も合わせて調査したかったので、あくまでホームに立つ側から記録することにした。思いつく駅はいくつかあったので、それらを中心にしつつ、あとは地図を眺めながら、カーブ駅と思しき駅を推測して出かけてみた。(線路の曲がり具合などから、段々と見方がわかってくるから不思議なものである。)


[東武伊勢崎線]

 何と言っても、浅草だろう。かつて起点・終点となっていた浅草は、今の業平橋駅(明治35年4月開業)だが、そこから隅田川を越えるところに新たに設けた駅が、現在の浅草駅(昭和6年5月開業)。無理に伸ばしたためか、川を越えるといきなり急カーブになり、そのカーブを保ったままホームになってしまうという特異な構造。筆者が曳舟から乗った上り普通列車は、奥が深い1番線に入ったため、車両全体が直線になってから扉が開いたが、カーブにかからないのは1番線だけ。2番線以降は、いずれも車両の一部がカーブ部分に差し掛かり、乗降時の足元が大変覚束ないことになっている。おそらくこの駅ほど、極端な例はそうそうないだろう。起点・終点となる駅だから当たり前ではあるが、ここを通過する列車はない。入線時も限りなく徐行(15km/hに制限)することになっているので、カーブによって、かえって安全が保たれていると言えなくもないが...

浅草駅へ入る手前(制限速度「15」を示す黄色い標識が見える)

準急・特急・急行いずれも先頭車両はカーブにかかる

2番線に停車中の準急列車は大きくカーブ

2番線で最も間隙が大きいのはこの辺り(30cmはある!)

同じく準急列車のカーブ(上にも下にも足もと注意の表示)

特急や急行には、ドアとホームの間にブリッジが渡される

業平橋 下りホームの隙間 扉が開いて気付いたが、次の業平橋も一部がカーブ。曳舟もよくよく見たら、足元注意と出ていた。3駅続けてカーブを有するケースも珍しい。ちなみに、曳舟から一つ挟んだ次の鐘ヶ淵もかなりのカーブ駅だし、北千住の次の小菅も(目測だが)カーブに当たる。鐘ヶ淵、小菅は通過列車も多いから、通過待ちの際は気を付けたいところだ。


[小田急線]

 代々木八幡が代表格。代々木上原に千代田線が入る前までは、準急が停まったが、今は各駅しか停まらないので、通過列車がやたらと多い。ロマンスカーでも何でもかなり徐行して通り過ぎていくので、恐怖感はないが、車両がホームを擦りそうで、緊張感を覚える。通過時でもホームのカーブと車両の直線が形づくる細長い半円状の空間(下りホームの場合)が見て取れる。弧の中央と直線の中央の付近にドアが来ると、20cmは空く。各駅停車の乗降時は、車両の中央は避け、とにかく足元には注意せよ、ということか。

 ドアとホームの間はかなり広めになるが、ホーム上に注意書きは特になく、黄色の斜線が描かれているのみ。車内のアナウンスも「一部広く空いている」という言い回しで、あまり強く喚起していない印象。実際は一部というよりは、どこから乗り降りしても注意が必要なカーブだと思うのだが。

新宿方面のカーブはこんな感じ

特急がゆっくり通り過ぎる(下りホームの黄色の斜線が目立つ)

車両の直線とホームの弧でちょっとした図形ができる


[JR]

 飯田橋が真っ先に思い浮かぶ。じっくり調べてみて気付いたが、上りホーム(秋葉原・千葉方面)の方が円弧が緩やかなので、ドアとホームの空隙はそれほどではなく、下りホーム(新宿・三鷹方面)がより厳しいカーブなため、空隙も広めになる、ということ。同じ足元注意でもちょっとした差が出るものである。(地図参照)

 幸い、各駅専用のホームなので、ここを通過する列車はなく、安心。ただ、並行する中央線快速の線路も同じようにカーブしているので、仮に東京方面の列車が曲がりきれなかったりすると、尼崎の事故と同じような状況になる可能性はある。その時は、飯田橋のホームに... いや、物騒なので、あまり想定しないようにしよう。

秋葉原・千葉方面のカーブ

新宿・三鷹方面のカーブ(やや広め)

中央線快速もこのカーブを走る(制限速度は75→55km/h)

市ヶ谷駅 秋葉原・千葉方面ホームにて 山手線の内側の総武線区間は、地図を見て明らかなようにグネグネだが、カーブ駅は飯田橋くらいだろうとタカを括っていた。ところがお隣の市ヶ谷も、一部カーブになっていて、ビックリ。地図からカーブ駅か否かを目利きするには、それなりの熟度が必要なようだ。

 山手線では、渋谷が筆頭だろう。乗降時の注意を促す車内外のアナウンスに聞き覚えのある人も多いはず。だが、アナウンスに反して、足元注意の表記は不備だったりする。乗降客が多いと足元の文字には目が行かないだろう、ということか。渋谷も通過列車はないので、大丈夫なのだが、乗り降りの際には本当に気を付けたい。ドアとホームの間に落っこちかけた女性を目撃したのは、確かここ渋谷駅だった。乗降が多いとふとしたスキにこうした事故も起きるが、人が多い分、救出される確率も高い。この女性も両腕を抱えられ、すぐに助け出されていたのを思い出す。

新宿・池袋方面のホーム(こっちは「足もと注意」と出ている)

品川・東京方面のホーム(結構なカーブだが、「足もと注意」の表示が見当たらない)

注意書きはないが、新宿駅も空隙がある

 渋谷ほどではないが、山手線 新宿駅ホームも一部カーブになっていた。いつも混雑しているので気に留めようがないのだが、じっくり見てみると思いがけず発見があるものである。


[京王]

 近場では下高井戸が挙げられる。かつて同駅の近くに住んでいて、時折、利用していたが、あまり意識していなかった。よくよく見れば確かにちょっとしたカーブ駅である。乗り降りが多いので、注意の仕方も見事。何とホームにランプが埋設してあって、せわしく点滅している。いやはや。下高井戸は、通勤快速・急行・準特急・特急は停まらないから、カーブ通過時のリスクは高め。徐行はしているものの、安定したスピードを誇る京王線だけに少々心配である。

下りホームのランプ

注意書きが上にも(列車がいない時は、ランプはOFF)

 ちなみに、本線新宿駅もカーブ部分があるようだが、機会を改めて調べてみることにする。(東武浅草ほどではないと思うが。)


[都営地下鉄]

 新宿線は急行運転があるので、カーブ駅の通過状況が気になるところ。東大島を通過する際は、荒川鉄橋に差し掛かる(下り線)ために徐行するのだろう程度にしか思っていなかったが、カーブ駅であることも大きいようだ。ホームに降りてみて、曲がり具合がわかった。(ただし、足元注意は特になし。) 調査時は、あいにく急行運転時間ではなかったので、通過インパクトは体感できなかったが、猛スピードで通過する訳ではなさそうだ。

東大島駅 上りホーム

下りホームを発車した時の様子(緩やかにカーブしているのがわかる)

通過電車にも注意が必要だが、ホームの隙間にもご用心 浜町もカーブ駅だが、急行に乗っていても、カーブの具合はわからない。急行が停まる馬喰横山と森下の両駅に挟まれた一駅なので、速度を上げる必要がないための徐行運転なんだなぁとしか考えていなかった。カーブを実感させない走り、というのは安全な証拠。カーブ駅かどうかは、降りて確かめてみないとわからないものである。

 浅草線も地下駅を通過する空港快速特急が走っているが、浅草は全列車が停まることになっているため、間違えて通過してしまう、ということがない限り、心配無用。ただ、カーブ駅であることは事実なので、ドアとホームの間隔が広くなっている箇所での乗降は要注意。特に、重いスーツケースを持った空港利用客が当駅で乗降する際は、支障のない車両に誘導してほしいものだと思う。

浅草駅 下りホーム(この付近は直線なので注意書きはない)

最後尾の方に来ると、「足下注意」の貼り紙が現れる

 ちなみにカーブが多い大江戸線では、カーブ駅と思われる駅(例:春日、飯田橋)でのカーブがなく、拍子抜けした。同線がコンパクト設計であることを再認識した次第。ただ、ホームを出る直後(またはホームに入る手前)では、いきなりカーブになってたりする。


 今回は23区内で、とにかく目ぼしい駅を当たってみたが、他にも候補(推定)はいくつもある。私鉄では、

[西武] : 新井薬師前/沼袋/大泉学園

[東武] : 大山/下板橋/亀戸水神 (*伊勢崎線以外)

[東急] : 代官山/多摩川/三軒茶屋/用賀/五反田/荏原町/荏原中延/雪が谷大塚/千鳥町/池上

[京成] : 青砥/柴又

 など、23区内に限ってもまだまだありそう。(カーブ駅を走る車両は絵になるようで、その筋の本などを見ると、どの駅が曲がっているか、調べもつくし。)

 東京メトロは路線そのものが曲がりくねっているものが多いため、カーブ駅も相当数あると思われる。ただ、東京メトロで地下部分を通過する列車は、臨時行楽用だったり、まだ先だが千代田線をロマンスカーが走る程度なので、足元注意駅に留意すれば済む。私鉄駅と合わせ、「足元注意」に特化して再度調べてみようと思う。

  • JR福知山線事故に寄せて

 スピード感や快走感は、鉄道の醍醐味であることは確かで、筆者もこれまで第41話第109話などで、綴ってきた。速度志向だった点、まず反省しなければなるまい。ビハインド(遅れ)に厳しい第121話というのも度が過ぎると事故のもとであることも認識した。安全を加味したサービスを求めるのが客の本分。サービスする側が決めた時間に忠実であるかどうかを問うのではなく、無理のない時間設定をサービスを提供する側・受ける側でともに考えていく必要があると思い至った。

 大阪出張時に飛行機を使っていた筆者第174話は、伊丹から尼崎まで、または東西線直通で大阪の中心部まで、といった乗り方を何度かしてきた。脱線してしまったのと同じ車両の快速列車に乗って、快速らしいスピードを実感していたのを思い出す。塚口を過ぎたあたりからグッと減速し、カーブに入り、程なく尼崎に着いた、というのも実体験があるので、何とも複雑な気持ちで事故報道を眺めていた。

 ただ、問題の所在はどこにあるのか、筆者なりに考えてみると、マスコミがあまり報じない部分がまだまだあって、真相や背景をもっと明らかにする必要があるように思えてならないのである。特に気になるのは以下の2点。

1.事故当日に事態を重く受け止められなかったJR社員の心境

 想像力や当事者意識の欠如、という側面は否めない。だが、追い詰められて、逃げたくなる心理が働いただけの社員もいるのでは、と思う。自覚がどうの、という以上に、無意識に怖れが高じたのだと仮定すると、責め立てられては、逆効果になり得る。怖れを自覚し、逃げない姿勢を持たせるためにも、もっと本心を語りやすくする報道姿勢があってもよいと思う。

 そのためには、責任よりも原因の追究に力点を置く発想を社会的コンセンサスにしないと難しいかも知れない。加えて、加害者と被害者を直に相対させないための仲裁機関の介在も、今後の再発防止という観点からは欠かせないものと思われる。

2.過密ダイヤの根源

 列車を急がせたのは、直接的には鉄道事業者だが、間接的には乗客・利用者、というのは一理ある。JR西日本が誇る「アーバンネットワーク」をよしとしていたのはお客。ニーズに応えようとする余りの惨事だったとすると、原因は複雑化する。

 スピード社会を是とする風潮は、駆け込み乗車の元になる。今後、同じような事故を起こさないようにするには、スピードを優先しない社会的精神性の涵養も必須だろう。駆け込み乗車が全国的になくならない限り、亡くなった方々やご遺族は報われないと思う。

 それにしても、アーバンネットワーク構想は、JRが独自で考案したものなのだろうか。スピード優先経営を促した何者かが存在するのでは、と察する。いわゆるコンサル、シンクタンク、総研の類である。

...書中にて恐縮だが、ここにご冥福をお祈りしつつ。

 

第186話 拾得物預り書(2005.6.1)

 職場の近所の三井住友銀行となると、いくつか支店もあるのだが、ATMが4台並ぶ無人店舗が至便。ゆったりしていて静かなのもポイント。

店舗は異なるが、ATMの外観はこんな感じ。 とある5月の火曜日、いつもの如く自転車で乗りつけ、さて残高照会でも、と思った筆者の目の前に、厚めの財布が置いてあるからビックリ! それはATMの画面周りではなく、機械の上のちょっとした棚状の部分にあったから、なお奇怪。(ATMの体裁については、第181話(後段)をご参照ください。)

 無人店舗なので、行員がいないのが泣き所。早速インターホンで問い合わせたら、実に素っ気無く、最寄の交番へ、とのこと。財布の特徴程度は聞き取ってもらえたが、拾得場所関係者としてはできるだけ拾得者の方にリスクを負わせたい、というのを受話器越しに感じた次第。(--)

 ATM付近でしばらく待ってみることにしたが、それらしき人物は現れなかった。というよりも、下手に財布を物色できないから、手がかりが得られず、落とし主を識別しようがなかったのである。財布を開いてすぐのところに本人確認ができる情報が見つかればいいのだが、それもなし。ただ、それなりの紙幣が入っていることはわかってしまった。

 「きっとお困りだろう」という思いがいよいよ強まり、さっさと交番を届け出ることにした。概ね付近の地図は頭に入っているが、最寄の交番となると少々怪しい。街頭の地図を見たら、水道橋駅前が近そうだったので、とにかく自転車で向かうことにした。これで徒歩だったら、気が萎えてしまうところ。自転車は心強い。

 交番に届け出るとなると、何かと聴取されることは自明だから、いろいろと頭に入れておく。拾った時の状態、時刻、店舗の所在地、そしてATMの番号... 交番に到着したのは早かったが、居合わせたお巡りさんは日本語が不十分な人への道案内で時間をとられている。案内を終えてようやく拾得物を届け出ることができたのは、拾ってから10分後の11:25だった。

 その後、何だかんだで1時間ほどはかかってしまっただろうか。交番を出たのは実に12:20過ぎだった。

 真面目で明朗な感じの巡査さんだったが、ちょっと不慣れな様子。時間を要したのは、その不慣れさ加減もあるだろうが、やはりプロセスの煩雑さに原因があるようだ。順を追って、レビューしてみよう。

  1. 拾得状況の記録

     拾得時の状況は、ざっとメモをとる程度。拾得者本人(=筆者)の情報は、同じメモ用紙に筆者自らが書いた。


  2. 中味の確認

     大事なのはやはり中味の確認。落とした直後の状態を保全する意味もあるのだろうが、とにかく洗いざらい調べる。この時点で、拾得者に許される権利がどの程度かは不明だが、落とし主本人の公的証拠(確認書類というべきか)が拾得者の目に瞭然と明かされてしまうのはどうかと思ってしまう。立ち会う権利はあるのだろうけど、これは個人情報保護の観点からは疑問。財布には身分を証明するものが次々と出て来て、恐縮してしまった。(なるべく目を逸らすようにはしていたが。) 当然のことながら、硬貨・紙幣も全て露わになる。案の定、ちょっとした金額が財布には入っていた。巡査さんはメモを走らせながら、時々数え間違えながら、何とかチェックし、それを3枚複写の拾得物預り書に書き写していく。本人確認系のカード類や定期券についても細々と書き留めていった。調べながらの記録作業なので、所要時間は推して知るべし、である。


  3. 権利関係の確認

     メモを基に、改めて拾得場所や拾得者情報を預り書に書き込んでいく。場所を特定するのに住宅地図は欠かさないが、見ているとどうも不思議な調べ方をなさる。筆者が指し示して、番地の割り出しに成功。番地の他に、建物名、店舗名と、やはり細かく書いていく。

     ここまでは予想の範囲内。しかし、次に異変が生じた。その書式の先頭には4種類の権利パターンが記されている。筆者は確実な処理を望み、「有権」に○を付けてもらったのだが、これが事の発端。他のパターン、例えば「棄権」を選べば、聴取に応じることもなく、一定期間内に落とし主が現れれば、単純に返品されておしまい、という選択肢もあったのだが、なまじ有権にしたために、権利関係の確認というプロセスに立ち会うことになったのである。

     こちらも時間を使って、動いていることでもあるので、「有権」にしておきたい、つまり、万一落とし主が現れなかった場合の権利は担保しておきたい、と思うのが正直なところ。だが、その分、プロセス上の制約を受け容れる必要がある、ということになる。有権は「拾得者になる」ことを示す。そのため、書式に従い、拾得者情報を明記したのだが、その下にもう一つ欄がある。拾得者の他にも権利を有する者がいた。銀行である。

     「銀行から権利関係について聞きましたか?」「はて?」... 公共の場所で拾得したなら話も違うのだろうが、銀行内だったので、そこは非公共。拾得者の他に、場屋の権利者(=占有者)との権利関係が生ずるとのことを聞き、納得。だが同時に居たたまれない気分になった。

     占有者である三井住友銀行にもTELすることに。地図の調べ方で、巡査さんの要領は承知していたが、電話帳の見方もやはり不思議。三井住友カードにかけようとなさるので、銀行は「ぎ」だから「か」の次のページですよ、と助言して、何とか番号を探し出す状態。だが、無人店舗なので、本部とはまた違う会社が実は運営しているのである。そのカラクリがわかるのに時間を要したようで、ATMサービスの統括と思しき会社にかけて、さらに支店の電話番号を教えてもらって、ようやく占有者に到達。何と「株式会社三井住友銀行ATMサービス 東日本支店」とな。確かにその店舗の自動扉にも書いてあったが、その情報が大事だとわかっていれば、ちゃんと番号を控えておくんだった。拾得時記録の不備を嘆く筆者だった。

     結局、支店の所長(?)と話がつき、占有者側は権利放棄。その旨、預り書の欄外に書いて、巡査さんが押印。これで落とし主が現れるまでの権利関係は確定した。


  4. 落とし主の本人確認

     交番の電話が鳴る。財布の遺失物届が出たとの報。どうやらこの財布に間違いなさそう。そして程なく、落とし主の方が現れた。ここ水道橋駅前よりも、そのATM店舗に多少近在の神保町駅前交番に届け出て、電話で確認がとれたので、即刻駆けつけて来られた。形相ですぐにご本人とわかる。確認作業は警察の仕事かも知れないが、つい「○○さん?」と声をかけてしまった。(*_*; 都営三田線で1駅分だが、心理的にもこの距離は堪えただろう。拾得者が遠くの交番に届けてしまったばかりに...ご足労を労いたい余りの咄嗟の一言だったのである。(交番を出る時に気付いたが、落とし主の方も自転車だった。取り越し苦労か?)

     公的なものは概ね落とした財布に入っていたようなので、ご本人を証明するものが乏しかったところ、何とか他の証憑で確認照合OK。何とも複雑な気持ちで、その受け答えを傍観する筆者だった。

     不意に「人定事項を開示していいか」と巡査さん。「ジンテイ? 人程ですか?」「人定です。」「はぁ...」 要するに筆者の個人情報のことなのだが、警察用語で人定と称するらしい。落とし主の方に一応確認してもらうとのことで、こちらは別に疚しいことは何もないので応じ、落とし主の方も特に意に介さないご様子。ここでひと段落。


  5. 交番の本来機能?

     それにしても交番というのは、いろいろな方がいらっしゃる。お尋ね系として、

    • 「この辺に100円ショップは?」「ありませんねぇ」 確かに。

    • 「三井住友のATMは?」「この通り沿い...」 別のお巡りさんが、筆者が財布を拾った出張所を案内しかけていたので、「駅前にありますよ。」とつい口を挟んでしまった。駅改札から交番に来るよりは、同じ距離だけ街路を歩けばすぐに着いたのに... 自助努力がちょっと足りない方があわてて来るケースが多い感じ。

     そんな交番としての日常的な応対をしつつ、筆記を続けるお巡りさん。だが、落とし主が現れてからは、交番に立ち寄る人もなく、静かに時は流れた。そして今度は、財布の引き渡しに向けて、やりとりが続く。ATMで払い戻した後、財布に入れたまではよかったが、急いでいたため、その財布を置き忘れてしまった、といったことのようだ。


  6. 受理番号

     受理番号というのを書く欄があって、これは所轄署に照会して記入することになっている模様。神田警察署に電話で聞きながら番号を入れていかれる。キリのよい数字だったので、思わず覗き込んでしまった。そして電話は続く。今度は引き渡し方法についての確認に手間取っているようだった。通常1,000円以下であれば交番での引き渡しが可能なのだが、今回は...


  7. 金額の大小によって、引渡し方法が変わる?

     確かに額が額だけに、易々とは引き渡せないのはもっともな話。でも所轄署の警部補(係長?)級の立会が必要というのも何だか大げさなような。巡査さんの方も初めての事例だったらしく、これまで以上にあたふたモード。

     拾得者は飄々としていられるが、落とし主の方は財布を忘れてしまうくらい元々あわてていた訳だから、ただならぬ感じ。筆者が神保町駅前交番に届けていれば、少しは緩和できたか。いや、見つからないよりはマシなのだから、やはり、気の持ち方としては、「焦燥 < 謝意」でお願いしたいところである。

     それにしても、神田警察署からの上官はなかなかお見えにならない。待つ間、拾得者と落とし主の間には、何とも微妙な空気が流れる。言わずもがな、財布返還後の御礼をどう渡すか、受けるか、の話がまだだからである。

     水道橋西通りを北上するパトカーがようやく近づいてきた。電話では、10分程度と聞いていたが、それどころではない遅れよう。だが、上官殿は何の会釈も敬礼もなく、いきなり巡査さんに「何だ」とか仰る。(何も聞いてなかった訳ではないだろうに。) 「待たせて済まない」という情が少しでも感じられればよかったのだが。

     若い巡査さんには、お気の毒としか言いようがない。(何か筆者も悪いことをしてしまったような...)


  8. 拾得物預り書、完成!

     金額が大きいためにどうのこうの、という割には、立会は特に定まった様式がある訳でもなさそうで、至って簡素に済んでしまい、無事、落とし主の手元に財布が戻る。巡査さんが漏れなく埋めた預り書は、落とし主の方の受領確認署名を残すのみとなった。最後の余白の記入・署名が終わり、有権拾得者である筆者に預り書(複写式の用紙の1枚目)が手渡され、ようやく一件落着となった。これが延々と小一時間を要した顛末である。(御礼の一件については、読者の皆さんのご想像にお任せします。)

     拾得物預り書はそんな訳で大層な書面なので、受け取った時は少々面食らったが、「拾得者の方へ」の欄や裏面の注記を読むと確かに拾得者が持っていていいことにはなっている。(「預り書は必ずお受け取りください」と朱書してあるほど。) だが、個人情報を含む公文書を一個人が所持していていいのだろうか? (裏面には、御礼と引換に、落とし主から預り書の引き渡しを求められたら、応ずるようにとなっている。逆に求められなかった場合は自分で処分となっている。処分については、特にシュレッダ云々とは書いてないので、何とも無防備だなぁというのが正直な印象。)


  9. その後

     上述のような疑問を持ちつつも、ひとまず保管しておくことにした筆者だが、帰宅直後、件の巡査さんから電話が来た。22時過ぎのことである。(夜遅くまで、ご苦労様である。) 何でも高額な拾得物だけに今回の預り書は、所轄署で回収するとのこと。(裏面にはそのような文言は特にないのだが...) 郵送代は負担するので、神田署に送ってもらえないか、と続く。「職場は署の近在なので、明日にでも持参します」と応じ、「出頭」することにした。巡査さんは丁重に礼を述べられ、「では受付を入ってすぐの会計係へ」とご指示をくださった。とりあえず、下手に「処分」しなくて良かった、ということになる。

    神田警察署入口。この日は交通安全日。 翌日、時に厳しい陽射しの中、職場から自転車でいそいそと神田署に向かう。会計係の女性に尋ねたら、その隣の遺失物の窓口へ通された。最初は怪訝に預り書を眺めていたが、事情を説明すると、御礼を受け取った時点で、交番にお返ししないといけない、といった趣旨であることがわかった。(やはり、そのようなことはどこにも書いていないのだが。)


 高額のお財布をもし拾われたら、皆さんも時間と手間について重々ご留意の程を。

 

  • こちらもどうぞ...⇒ 警察に関係する話題

第49話 事故連鎖 / 第138話 止めてもいいけど...

 

第185話 隣接区図書館の遠近(2005.5.15⇒18)

*ここのところ、予告テーマの進捗が思わしくなく、またしても思いつきネタです。あしからず。(「アンケートハガキ」は予告に載せてから半年近くになりますね。)(^^;

 第183話の通り、本を買うことは少なくなっても、借りることはしばしば。在住の北区の図書館だけでは飽き足らず、在勤の図書館も利用するようになってから5年は経つだろうか。

 在住時に作った図書館カードは、住所遍歴に従って、世田谷区、品川区、北区の3つ。つまり、利用するカードの所有枚数はずっと一つだった訳である。よく使うカードを複数持つようになったのは、実に2000年に入ってから。グリーン購入ネットワーク(GPN)在職時に、どうしても借りて調べないといけない資料があったので、通勤用自転車を駆って、表参道から青山一丁目へ向かい、赤坂図書館へ。この時、港区の図書館利用カードを作ったのが、複数所持の始まりだった。GPNの所在地は渋谷区だから、本来、在勤の図書館を利用する場合は、渋谷区内の図書館、当時、近隣で言うと渋谷図書館に当たったのだが、自転車でウロウロ探し廻っても、とうとう見つからなかったので、仕方なく半蔵門線で1駅分(銀座線だと2駅分)を移動して、隣区の図書館へ参じたのである。(昨春、青山界隈を散策する機会があったので、徒歩で六本木通り近くの脇道などを歩いていたら、渋谷図書館がひっそりと佇んでいた。こんな目立たない所にあったとは!)

 港区の図書館は、懐が深いというか、昼間人口が多いためか、在住・在学・在勤の要件は港区に限らず、23区内であればいいことになっている。筆者は急を要する貸出利用者だった訳だが、利用者登録も貸出もすんなりできたのはその緩やかさあってのこと。本当に助かった。かくして、その後は、何か調べ物があると、フラフラと赤坂図書館へ通うことになる。今となっては懐かしい日々である。

 「都内図書館横断検索」を時々使って、本やCDを探す。北区に所蔵がない場合は、利用できそうな図書館に当たりを付けて、とにかく行ってみる。

 2003年の6〜9月は、仕事の変わり目で期間的なゆとりがあったため、これでいろいろ探しては所用ついでに各区の図書館に出かけていた。だが、この検索ページには「□**区」と各区の表記はされていても、横断型検索にまだ対応できていない区については、ハイパーリンクが付されていない。当時は非リンクの区が多かった。港区図書館はカード所有歴は長い組だったが、このシステムが使えなかったばかりに、北区と隣接区の図書館で見つからない場合などは、わざわざ「みなと図書館」などに赴き、館内の検索サービスを利用した程である。今では港区も仲間入りし、随分と楽になったものだ。

 23区内の図書館へのリンク(=webを使った資料検索)が2003年はまだ不完全だったために、資料検索可能だった川口市の図書館に引きずられ、久々にカード(3枚目)を作ることになったのが7月。荒川を渡り、県境を越えての自転車往復は、なかなか労を要するものだったが、今では夏の佳い思い出である。特に、お目当てのCDが何枚か置いてあった横曽根図書館は、自転車でも片道30分は下手するとかかってしまう距離。何とか辿り着いてカードを作るも、隣接市区住民はOKと言いながら、東京都北区を登録するコードがなく、手続きが難航。さすがは(?!)川口と思ったものである。

 この頃、荒川クリーンエイドの事務局に「在勤」することもあったので、江戸川区のカード(4枚目)を作ることもできた。お目当てのCDを借りることができたのは幸いだった。今まで作るのを控えていた図書館カードが、ここで一気に増えたのである。(北区区民の筆者だが、川口市は隣接市区なのでOK。江戸川区は在勤でOK、という要件クリアだった。)

 港区、豊島区、杉並区、渋谷区、世田谷区、目黒区、品川区、北区、荒川区、台東区、文京区、新宿区、千代田区、中央区の14区については利用案内を見る限り緩やかだが、それ以外の9区については当の区民か、基本的には隣接する市区の在住・在学・在勤住民である必要があるようだ。(改めて調べてみて、港区だけが緩やかなのではないことを知り、ちょっとビックリ。同じ23区内でも西高東低のような観はあるが。) 北区は、不思議と隣接する区が多いため、本来なら隣接区アドバンテージを活かしたいところだが、前述のように豊島、荒川文京は、隣接関係者でなくてもOKだからちょっと損した気がしてしまう。(ちなみに文京区と北区が隣り合っているというのをきちんと認識したのは、今回の調べがきっかけ。もっと早くに気付いていれば...)

 しかし、いくら隣接区だからと言っても、そうそう使えるものではない。川口の例は極端かも知れないが、えてして図書館は、鉄道駅から離れた場所にあるもの。地域密着を志向する図書館は、遠来客の交通アクセスは二の次だったりするので、結構利用しにくいのだ。もともと利用カードの枚数は控えておきたいという心理もあったが、物理的な要因によって、あまり利用者登録してこなかった訳である。

  • 港区は都心だけに、概ねアクセスはいい地図参照)のだが、逆にちょっとした距離差が利用頻度に影響する。都営交通の一日乗車券で移動する機会の多い筆者としては、赤坂図書館もアリなのだが、大江戸線で青山一丁目まで行って、というのがひと苦労。やはり、三田線・浅草線で三田図書館、または、御成門駅直近の「みなと図書館」がご贔屓になる。みなと図書館が秀逸なのは、良質なVHSやDVDも借りられる、ということ。最近はご無沙汰だが、2003年はよく出没したものである。

  • 文京区の千石図書館にフラと行った時、さながらレンタルビデオ店のような品揃えになっていたのには驚いた。だが、千石駅から近いと言っても、三田線に自在に乗る機会がなければなかなか足が向かないもの。そもそも隣接区だったことや、隣接区でなくても利用者登録できることを知ったのが遅かったのがいけない。

  • 豊島区の図書館はどうとでも行けそうだが、どこも駅から遠いものだから...(一度だけ訪れた中央図書館は、都電荒川線 向原が最寄駅である。)

  • 荒川区も隣接区。しかし、どこの図書館を利用したらよいものやら、といった感じ。用事ついでに日暮里から歩いて、日暮里図書館へ行き、利用申込書に記入したまではよかったが、よく考えると、それほど来ることもなさそうだったので、中断。お目当てのCDは、他区の図書館で事足りてしまった。(何だかCDばかり借りているような)(^^)

 さて、隣接区住民の利点を活かすなら、板橋足立の2区ということになるが、果たして...

 板橋区の図書館も駅からのアクセスで言うと、高島平が順当だが、一日乗車券を使ったとしても、そもそも高島平までの距離が...。これも一度行っただけ。

 「愛・地球博」出展時のプログラムのネタとして、某テレビ番組の本を探していたら、何と足立区の中央図書館にあることがわかった。荒川クリーンエイドの行事でよくお世話になっている、学びピア21の1〜3Fに当たるので、ちょくちょく足を踏み入れていたのだが、なぜかこれまで図書館にはご縁がなく、貸出利用云々など思いも寄らなかった。

 やはり都営交通の利用利便性を考えると、北千住はどうしても敬遠せざるを得ないエリア。都営交通(できれば三田線)でアクセスしやすいかどうか、が筆者的な基準になるのである。今回、基準を考慮せず、衝動的に足立区図書館のカードを作って借りてしまったばかりに、返す際の苦労と言ったらなかった。

 この中央図書館、北区と違って月曜日も開館している週がある。連休の谷間の5/2、都バスを乗り継いで、その学びピアの近くの停留所まで行こうとしたら、さぁ大変。マイ箸を新調すべく、表参道にいた筆者だが、そこから都営交通だけを使って、北千住に行こうとしたのがそもそもの間違いだったようで。(^^;

 本数がそれほど多くないので、[渋88]の時間は調べておいた。だが、箸を買うのについつい話し込んでしまったのが誤算。(いや、実に有意義だったが。) 数分だが、通過予定時刻を過ぎてしまっていたのである。まさか、定刻運行だったとは!

正寶院・飛不動 時間はゆったりあったので、次のバスで、南青山五〜西新橋一、そして、三田線で内幸町〜白山、その後は[草63]で、白山上〜三ノ輪駅へ。と、ここまではまだよかった。お次[草43]で、三ノ輪駅〜千住四でよかったはずが、南青山五でのズレが尾を引いたようで、次の乗換バスが来るまで20分は空くことが判明。付近は前々から気になっていた地域でもあったので、一停留所分戻り、竜泉でバスを待つことにした。停留所を確認し、残り10分間。界隈は、樋口一葉ゆかりの地だが、地図で目に付いたのは、飛不動(とぶふどう)。名前の由来や八方除けにまつわる案内などに見入り、お参りしていたら、程よい時間に。しかし、バス通りに出ると、左車線では目的のバスがすでに発車態勢。(+_+) お不動さんのご利益か、バスが「飛んで」しまった。泣く泣く見送り、次のバスの時刻を見ると、またまた間隔が空いて、20数分後。ここは系統を変え、遅れを取り戻すべく、「急がば廻れ」を実践することに。折りよく入ってきた[草63]に再び乗って、竜泉〜大関横丁、そして都電荒川線で、三ノ輪橋〜町屋、さらに[草41]で町屋一〜千住桜木と乗り継ぐ。ここまでは極めて順調。だが、[端44]が超ビハインドだった。千住桜木で待つこと約15分。(時刻表では、草63の行った1分後に端44が来ることになっていたのだ。) 結局、千住二の停留所に着いた時に、待っていればよかった次の[草43]バスに遭遇。してやられた!である。これが5/2の顛末記。

 *この付近の参考路線図⇒「白山・日暮里」「三ノ輪・北千住

 その5/2に借りた本とCDを返す期限が過ぎてしまったのが、また新たな苦労談の始まり始まり。(ちなみに、本は2週間、CDは1週間)(+_+) 面目ない。)

足立区立中央図書館 5/16、一日乗車券で動く日だったので、何とかバス乗り継ぎで北千住に向かおうとしたが、時間不足で断念。月曜日開館のアドバンテージを活かすことができなかった。そして、翌5/17、早めに職場を出て、ごく普通にJRで北千住へ。都バス乗り継ぎの苦労がウソのようにすんなり着いてしまった。20時まで開館しているので、余裕なのだが、この日は19時に半蔵門に行く必要があったので、18時には図書館を出るような動き方をしていた。往路で油断したのがいけなかったか、北千住を出たのは何だかんだで18時半過ぎ。都バスだろうとなかろうと、やはり足立区の図書館へ出向くのは大変、ということなのである。そんな2daysの影響で、本稿掲載もすっかり遅くなってしまった次第。m(--)m

 利用可能な図書館は大いに利用したいものだが、アクセスを考え、程ほどに、ということだろうか。

 

  • こちらもどうぞ...⇒ 関係する過去の話題

第43話 水無月 / 第58話 水曜クリーンキップ / 第81話 水曜クリーンキップ2001 / 第121話 フライングとビハインド / 第142話 都心周遊(都バス編)

 

第184話 アースデイ東京2005(2005.5.1)

アースデイ・フェスティバル1990 パンフレット 1990年(4月22日)に夢の島で始まった日本におけるアースデイ・フェスティバル。当時、学生だった筆者は、大変な感銘を受け、大げさかも知れないが、これからは市民一人一人がしっかりせねば、と意を強くしたものである。その夢の島からまる15年が経過したが、主会場を東京に置くアースデイイベントについては、1990年当時とはずいぶんと様相が変わってきた。これも時代の流れなのだろうか。(正確には、「アースデイ日本」主催のアースデイ・フェスティバルは、当初予定通り、2000年でいったん終止符を打っているため、15年の流れで一つの系譜とは言い切れないのだが。) 筆者が専ら関わっていたアースデイ・フェスティバルについては、第15話に記した通り。それ以降は、機会がなかったこともあるが、本稿「東京モノローグ」ではアースデイについて、あえて触れていなかった。今回、実に5年ぶりに会場を訪れる機会を得、例の環境ニュース(東アジア環境情報発伝所)にも記事こちらを参照を載せることにしたので、レポートとしてまとめ、ここに改めて綴ることにした。主催者スタッフには、夢の島以来の方々もいらっしゃるので、底流には確乎たるものがあるはず。だからこそ、こうした印象を持つ来場者もいることをお伝えすることで、より良いものになれば、と願う訳である。(ちなみに2000年のアースデイイベントには、出展者(当時勤務先の「グリーン購入ネットワーク」)として参加した。筆者的には一つの区切りを付けていた訳である。)

ちょっとした大作...「ありがとう」地球儀 2001年以降の東京におけるアースデイイベントは、「アースデイ東京」が大々的に展開している。一般市民による手作り感を重視していた90年代アースデイイベントからは模様替えし、イベントプロモーションに長けたスタッフのテコ入れによって、パフォーマンス主体、そしてスタイリッシュな都市型イベントに変化したように見受けられる。多種多様な要素の共存、一人一人の価値観や多様性の尊重などを唱えるアースデイの趣旨は脈々と引き継がれているはずだが、世代人口が多い50〜60代の方々、ごく平均的な家族や一般の参加者を迎え入れるようなアットホームな感じがしないのは、90年代のアースデイイベントとの比較が強すぎるためだろうか。

 アースデイ当日は4月22日だが、東京・代々木公園を主会場とする「アースデイ東京2005」は、4月23・24日に行われた。
(筆者が出かけたのは、初日) 全体的には、よく練られた構成で、お祭り的な賑わいの中に多様性を感じる好企画に映った。「そういえばアースデイイベントってこんな感じだったなぁ」と思わせる部分が多く、それは例えば、日常では見かけない雑貨(フェアトレード品)の数々、ヒーリングや多少非科学的な要素を含んだ出展、国籍や民族を問わない坩堝のようなゴチャゴチャ感、そしてメッセージ色の濃い展示や反対運動型の強烈なアピールなどによく表れていた。出展者スタッフの顔ぶれはすっかり変わってしまったようだが、90年代から常連のように参加している団体を時折目にすることができた。年月の流れを感じながらも、変わらないものを少し垣間見ることができたのは良かった。

東京環境工科専門学校の皆さん コウノトリをテーマに扱う「東京環境工科専門学校」の展示は、手作り感があり特に好感が持てた。コウノトリは、国産か否かの区別はつきにくいが、東アジアに共通する野生生物であることは事実。絶滅の危機に瀕しているのは、他の渡り鳥と同じ。コウノトリを救うにはやはり日中韓の協力が欠かせないとの説明を受け、思いを新たにすることができた。

 東アジア環境情報発伝所の環境ニュースで度々取り上げている、動物実験や動物虐待に反対する団体も出展している。ここでの展示は、かつてに比べて、より強力に訴えるものがあった。目を覆いたくなるような変わり果てた姿の動物たち。写真からは無言の叫びが聞こえるようだった。
(ここに写真を載せるのは憚られるので、記事の方でご覧いただきたく。)


 市民団体やNGO/NPOのチラシなどが広げられているコーナーには、多くの人が集っていた。こうした市民発の情報を一手に入手できるのもアースデイならでは、だろう。もっとスペースを広げても良さそうだった。

 「地球への歌声とサウンド」を届けるはずの「アースデイ・ステージ」だが、あいにく大音響の不快な重低音が覆い、ステージ近くでは会話ができないほどだった。音響装置の環境負荷という点に思いが至らないのならば、何のための環境イベントだかわからなくなる。フェアトレードを軸とした出店コーナーは、会場の一隅にあるが、喫煙者が多く、一般の人には近寄りがたい粗雑さを感じた。園内は必ずしも禁煙ではないのかも知れないが、タバコの煙から逃げなくてはならないアースデイイベントは、やはり本旨からは外れているように思う。本部テント内でも喫煙者をチラホラ見かけたことから、このイベントの健康度には、少々疑問を持たざるを得なかったのが残念な限り。そもそも、東京都の許可を得て、貸切のような状態にあるとは言っても、代々木公園はあくまで「公園」。一般客がくつろげないような設定にしてしまってはいけない。「公園は誰のもの?」という点、主催者はいま一度顧慮する必要があるだろう。

 企画要旨には、「21世紀のアースデイ東京は、多くのグループ、団体、個人が、広く参加できる形を創造し、現在アースデイ東京は、総計250に迫るグループ/団体が関わる日本最大級の市民イベントへと成長しました。私たちはここにつどい、この星の上に生きていることを祝い、地球環境保護への想いと行動を確認します。」とある。「地球環境保護への想いと行動を確認〜」はどこまでできたのか? 総じて、いろいろなことを考えさせられた今年の「アースデイ東京」となった。

  • 余談

 筆者が主に関わっていた、横浜「こどもの国」でのアースデイ・フェスティバルに関しては、ここに記載の通り、92年から98年に開催していたものが元々の系譜。99年開催分は新旧実行委員が交錯する中で、変則的に行われたもので、日本版アースデイの趣旨には必ずしも沿ったものではなかった。何とか橋渡しできるよう努めたのだが、結果的には92年からの系譜とは相容れない展開になってしまったため、新メンバーに関わってもらうのはこの年限りにさせてもらったのである。残念ながら、こどもの国でのアースデイ・フェスティバルも99年を最後にせざるを得なかった、というオマケつきだが。(今年、こどもの国は、開園40周年! おめでとうございます。) その頃のメンバーの一部が、今のアースデイ東京を引き継いでいるのは、出展者一覧などから明らかなのだが、極度に独創的(排他的?)な部分がなく、何とか大衆性を保っているのは、99年に議論を交わしたことが少しは活きているためかも知れない。それがせめてもの救いである。

 昨年、Yahoo!ボランティアが「アースデイ特集」を組み、「アースデイ−日本での歩み−」が「復刻」された。載せてもらったのはよかったものの、昨年掲載分は、90年代をよくご存じないアースデイ東京のどなたかがこの「日本の歩み」を書かれたためか、特に99年に関しては、誤解を招きかねない文言になっていたので、Yahoo!宛に修正をお願いした。しかし、タイミングが合わず、奇しくも昨年はお流れとなった。(かつては、筆者を含めた有志が、アースデイ日本のホームページをサポートし、90年代を中心にした「歩み」についてもしっかり掲載していたのだが、知らないうちに参照できなくなってしまい、正確な情報提供がなされないままになっているのである。何らかの形で復刻しなければ。)

 連絡先は、「Yahoo!ボランティアカスタマーサービス」である。お客様志向なのは結構だが、ボランティアを本気で特集するのであれば、より精細、かつ正確、そして一人一人の背景や「想い」を尊重されて然るべき。どうもそのあたりが疎く、情報系企業にありがちな「やっつけ仕事」的に昨年は扱っていたフシがある。今年は、そうした点にも留意するよう申し入れ、晴れて、

 「お問い合わせの「アースデイ特集」についてご案内します。お知らせくださいました誤記につきましては、情報を修正いたします。お客様にはご不便をおかけし申し訳ございませんが、更新まで今しばらくお待ちください。」

 とのご返信を個別にいただき、ようやく直してもらえてひと息ついたところである。(それにしても、「お客様」「ご不便」とはまた妙な言い回しで...) ⇒修正後のページは、こちら

 アースデイ東京のご関係筋を通し、企画書レベルで直してもらっていたのだが、どうも連絡が行き違っていたようである。影響力の大きい情報媒体だけに、そして扱うテーマが「ボランティア」だけに、より一層の配慮をしてもらいたいものだ。

 

  • こちらもどうぞ...⇒ イベントのあり方などで一言

第42話 BGM一考 / 第98話 ちょっと待てよ、と思うこと

 

 


Copyright© 冨田行一<Kouichi Tomita> All Rights Reserved.

ページ先頭に戻る

ご声援用バナー *週に一度のクリック、よろしくお願いします。(^^)