随筆「東京モノローグ2003」(9−10月期)
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第147話 曲名の妙 / 第146話 同潤会アパート / 第145話 ハンバーガー / 第144話 打ち水大作戦

第147話 曲名の妙(2003.10.15)

 80年代ジャパニーズポップスの復刻が盛んである。幅広に言えば、前後の70〜90年代を含め、様々な企画モノが登場している状況。その筋の愛好家には垂涎必至、こたえられないだろう。(裏を返せば、近年では良質のポップスが生まれにくくなっているということか。)

 歌謡曲、フォーク、ロック...ジャンルを問わず、とにかくその時代に流行ったものをまとめて、というのが多い(一例:青春歌年鑑が、ポップスだけを集めたものも多々出ている。いろいろ目に付くので、懐かしさに駆られて手が伸びることもあるが、お目当てのミュージシャンに限ったものがあればそれに越したことはない。そんなこんなで、まんまとブームに触発された筆者だが、特に新規出店のレンタルCD店では、企画モノは目にしても、80年代ポップス(ニューミュージック)の旧譜そのものはまず見つからない。そこで、そんな旧譜CDが聴きたくなったら図書館へ、というのが筆者的には当たり前になってきた。各区の図書館のホームページから資料検索機能を使って探したり、実際に現場に行って探したり、結構使えるものである。

 稲垣潤一のCDは、みなと図書館に行った際に見つけ、思わず感嘆! 「夏のクラクション」「UP TO YOU」「1ダースの言い訳」など、改めて聴き返すことができた。往時に聴いた感じと何となく違った印象も受けるが、20年くらい前の記憶が甦ってくるよう。さて、そこまでなら大した話題にはならないところだが、借りてきたCDの中に、何となく見覚えがありながら、今見ると実はとんでもないタイトルだった曲があったもんだから、これは!と思って、今回の話に結びついた訳である。ズバリ、「曲名の妙」。(「妙な曲名」としたいところ、ファンの方には面目ないので、倒置した次第。)

 アイドル歌謡曲やコミックソングに奇抜なタイトルが多いのはごく当然(とにかく目立たないと売れない)。また、特にインディーズ出身のバンドが出す楽曲も、タイトルがヘンテコなのが結構あったりする。とても全ては追いかけきれないので、ポップスに絞り、かつ80年代以降のオシャレ系(シティポップスとも言う?)と思われるシンガー(or ライター)のアルバム収録曲について、調べるだけ調べてみた。

 毒舌タイプの某お笑い芸人が、カラオケ冊子に載っている曲目リスト(50音順)から引用する「こんな曲名アリ?」系のネタだと二番煎じなので、「オシャレも過ぎると、何とも妙味ばかりが際立ってしまって、思わず苦笑してしまう」というのを今回は集めてみた。作詞家が遊んでいるような観もあるが、当時はそんな遊び心がまたオシャレに映っていたんだろう。

 注)

  • いわゆるシンガーソングライターは除く。詞か曲のいずれかは作家任せ(自分は詞か曲のどちらかのみを担当)というミュージシャンを中心にセレクト。(歌唱力に定評があって、楽器の一つもやって、といった「単なる歌手でない人」も含む。)

  • 第107話で紹介したミュージシャンが筆者の主たる守備範囲なので、下記のうち今井、大沢以外はCDは持っていない。(今井、大沢もベスト盤程度) 念のため。

《凡例》

○アルバムタイトル/アルバム発売年月日

  • 曲名

    ⇒一言コメント


稲垣潤一

○Personally/1984.5.19

  • 振り向いた時そこに見える階段を数えたことがあるだろうか

    ⇒よほどヒマか、階段マニアでもない限り、数えることはないと思われる。コンサートなどで曲名を紹介する時は煩わしそうだ。「次は『ふりかぞ』。聴いてください。」とか言ってるんだろうか? 歌詞カードを見たが、これと同文の句はなかった。不思議な一曲。

○HEART & SOUL/1989.4.19

  • 悲しみは優し過ぎて

    ⇒優しかったら悲しくないような気がするが... それともその優しさ故に悲しいのか。哲学的な問いかけを感じる。

○FOR MY DEAREST/1993.3.24

  • 彼女はBLOOD TYPE B

    ⇒「B型の彼女」じゃ淡白だから、横文字にしたんだろうか? 献血の時のセリフとしてはカッコイイ。
     

  • 僕ならばここにいる

    ⇒このシチュエーションも何となく可笑しい。彼女はきっと健忘症なんだろう。

○J's DIMENSION/1995.6.14

  • まちがえた夏

    ⇒何を間違えたのか大変興味深い。サマータイムになって、約束の時間を間違えてしまったとか?
     

  • 語らない

    ⇒どうしてしまったんでしょう?
     

  • 君には、本当に手が焼ける

    ⇒どうやら前作の彼女がまた出てきて困らせているような...

○V.O.Z/1997.11.21

  • 君がそばにいるだけで僕はすべてを手に入れた

    ⇒タイトルだけではどういう状況かよくわからない作品。


今井美樹

○femme/1986.12.5

  • American Breakfast トキメキ添え

    ⇒食品会社のCMで使うと良さそう。

○elfin/1987.9.21

  • どしゃ降りWonderland

    ⇒マイナスイオンにあふれていて良さそう。

○retour/1990.8.29

  • 去年は8月だった

    ⇒「去年の8月だった」ではないところがポイント。去年は一年中8月だったんだろうか?

○PRIDE/1997.7.16

  • 私はあなたの空になりたい

    ⇒単に「空になりたい」だと現実逃避みたいなので、あえて主語を明確にしたものと思われる。


大沢誉志幸

○まずいリズムでベルが鳴る/1983.6.22

  • まずいリズムでベルが鳴る

    ⇒どう評していいかわからない状況。(xx)

○Scoop/1984.2.25

  • ジュークボックスは傷ついてる

    ⇒何となくセンチな情景を感じさせるが、物理的には器物損壊?

○CONFUSION/1984.7.10

  • そして僕は、途方に暮れる

    ⇒有名な佳品だが、途方に暮れる前と後が気になるところ。アルバムタイトル通り、CONFUSION中?
     

  • Free wayまで泣くのはやめろ

    ⇒一般道路を走っている時に泣かれると目立ってしまう。それは避けたい、ということだろうか。

○SCRAP STORIES/1987.9.21

  • はちみつHotel通り

  • 馬が行く

    ⇒この2曲をメドレーにすると、何かスゴイ状況になりそう。

○樂園 Serious Barbarian III/1990.10.21

  • ずっと甘い口唇

    ⇒何を食べても甘さがとれないとなると、本人はツライ。はちみつHotelと関係がありそう。
     

  • Plot 3(南へ行けなかった男)

    ⇒なぜ南をめざし、なぜ叶わなかったのか... 深いドラマを感じさせる。実は初めから赤道直下にいたから、なんてオチがあると楽しい。


楠瀬誠志郎

○宝島/1986.4.21

  • 天国の神経衰弱

    ⇒どんな曲か聴いてみたいものだ。

○僕がどんなに君を好きか、君は知らない/1989.10.21

  • そうか!ふたり!そうか!

  • タンポポのお酒の栓あけたら

    ⇒アルバムタイトルがこう来ると、収録曲も負けじと、という感じ。「そうか!ふたり!草加!」と聞き違える人もいるだろう。

○いつも逢えるわけじゃないから…/1990.7.21

  • 満員電車は夏の気配

    ⇒悠長に気配を感じられる人はそうそういないとは思うが。

○ヴィーナスと恋泥棒/1994.10.26

  • 日曜の朝、僕はパンをこがす。

    ⇒毎週これだとパンがもったいないような...
     

  • 君は僕の中のどこにでもいる

    ⇒稲垣は「僕ならばここにいる」と主張しないといけなかったが、楠瀬のこの状況も結構大変そう。

○HOLIDAY/1997.6.21

  • イノセントな罪

    ⇒「ギルティな無罪」と同じような意味?


崎谷健次郎

○difference/1987.6.21

  • 瓶の中の少年

    ⇒山下達郎の作品で「僕の中の少年」というのはあるが、瓶の中の少年はちょっと... 箱入り娘と同義?

○REALISM/1988.3.21

  • 不安定な月

    ⇒満月だと思っていたら、急に三日月になってしまったとか?

○KISS OF LIFE/1989.4.21

  • 千の扉

    ⇒坂本龍一には「千のナイフ」という曲があって、聴いていると怖い思いをするが、これも十分インパクト大。「千と千尋〜」に出てくる湯屋の扉を模して「千の扉」という解釈も可?

○ただ一度だけの永遠/1990.4.21

  • アクリル色の微笑

    ⇒いったいどんな色なんでしょう?

○DELICATE/1994.11.2

  • くされ縁もいいさ

    ⇒どことなくあきらめムードを感じさせるタイトル。


■須藤 薫

○AMAZING TOYS/1982.4.21

  • さよならはエスカレーターで

    ⇒さよならされる側が上りでも下りでも、何となく絵になる感じはするが、隣でベルトの拭き掃除とかやられたら興ざめ〜。

○DROPS/1983.11.21

  • 日曜日のご趣味は?

    ⇒「日曜日のご予定は?」ではないところがポイント。聞かれた相手は、日曜しかやらない趣味について答えなければならないので、日曜礼拝とか日曜大工とか、かなり苦しい返答になりそう。前出の楠瀬流に「パンをこがす」というのもアリかも知れない。

○More Than Yesterday/1988.4.1

  • ポロシャツで滑ろう

    ⇒すぐダメになってしまうような... この曲の次に「滑ったらボロシャツ」というのはありません。あしからず。

○コンティニュー/1990.6.27

  • マンションの鍵貸します

    ⇒「貸マンションあります」に近いものを感じるが、鍵だけでは暮らせない訳で。
     

  • コンタクト・レンズの街角

    ⇒「コンタクト・レンズ越しに見た街角」なのかも知れないが、このままだと「コンタクトレンズ店のチラシ配りがやたらに多い街角」と捉えられても仕方ない?


■野田幹子

○Rose C'est La Vie/1991.11.1

  • 花を買う

    ⇒ワインのソムリエをやってらっしゃるくらいの人なので、これは基本と言うことか。

○CUTE/1992.10.1

  • 彼のハートは夏でした

  • Sunsetはまあるい気持ち

    ⇒何とも言えない曲名。ハートが夏なら、楠瀬的「満員電車は夏の気配」もビビッと来るだろう。

○New Look/1996.4.24

  • あなたの靴がない

    ⇒気が付いたら靴はなく、あなたは出て行ってしまった、(!_!)涙... という解釈が一般的だが、お座敷型居酒屋デートの帰りにも起こり得るシチュエーション。事件性を感じさせるタイトルだ。

 他にも、安部恭弘、杉山清貴、濱田金吾、山本達彦といったミュージシャンも系譜に出てきそうだが、横文字タイトルによるオシャレ感を重視していたせいか、上述のような曲名の妙を感じる作品がなく割愛した。シティポップスの正統派的な一線を守っていたと言えなくもない。

 自分で詞を書く場合は、曲名の主導権も本人にあるだろうから、不本意なことはあまりないだろう。しかし職業作詞家の筆による歌詞や曲名の場合には、必ずしも本人が得心していないことも多そうだ。プロデューサーの意向やレコード会社の意図もあるだろう。多少捻った曲名やアルバムタイトルを付けること=そのミュージシャンらしさ、なんて形でのプロモーションも大いにありそう。一度定着した路線はなかなか変えられないだろうから、ヘンテコなのがウリになってしまったら、そりゃあもう。本人は辛かっただろうと思う。そんな辛さを受け止めながら、80年代ポップスを聴き直すと、また違った妙味を感じることができるかも知れない。(^^;

第146話 同潤会アパート(2003.10.1)

2003. 5.29、解体作業が始まる 戦前戦後、つまり昭和という一時代をそのまま体現してきた建物の代表格と言える同潤会アパート。都市型住宅の原型として歴史的価値が認められていたものも多い。その一つ、表参道(渋谷区神宮前と港区北青山の区境周辺)の景観を象徴する存在だった同潤会青山アパート(渋谷区神宮前4-12)がついに歴史を閉じ、解体工事を終えた。今はもう跡形もない。筆者の青山勤務が終わったのと同じ時期に解体が始まったので、これも何かのご縁と思っている。(同潤会アパートの75年に比べ、こちらは僅か3.5年だが。)

2003. 9.25、表参道駅を出たところから坂を下る(アパートの姿はすでにない) 東京百景(第100話)の014015でも同潤会アパートを載せたが、その後も定期的に撮りだめしていた。ほぼ1年前の10月15日、同潤会アパートを見渡すのにちょうどよい喫茶店でモーニングセットをとりながら撮影したのがこの写真。(↓)

 取り壊されるのは知っていたので、間に合って良かったという思いで撮った。(この写真はお気に入りなので、筆者PCのデスクトップ画像としてずっと使っている。) この光景が気に入って来店する客も多かっただろうに、今でもこの喫茶店、健在だろうか。

 さて、同潤会は1924年(大正13年)、関東大震災後に全国から寄せられた義援金をもとに設立された財団法人。初の公的住宅供給機関で、事業目的は関東大震災の復興や不良住宅解消のための住宅建設だったとか。耐震耐火性の鉄筋コンクリート造りのアパート建設は1925年に開始。事業を終えた1941年(昭和16年)までに、東京、横浜の16箇所に計108棟を建設したというからスゴイ。

 同潤会青山アパートは、1927年(昭和2年)に完成。電気、ガス、水道のほか水洗トイレやダストシュートなどの最新設備を誇っていた。すでに今から30年に建て替えが必要とされていたが、居住者との折り合いがつかず、75年以上経ったところでようやく建て替えが始まった。8年にわたる協議を経た上で行われる今回の建て替え。建物の老朽化が指摘されつつも、景観としての価値が重んじられていたため、歳月を要したが、歴史的景観の存廃をめぐって、何かとトラブルが絶えない日本にあって、こうした地道な協議は範となるだろう。

 神宮前4丁目地区の再開発事業として位置づけられ、解体後は、約6000uの敷地と一部の住戸を所有する森ビルが住居兼商業ビルを建設する。総工費は約170億円。再開発組合の計画概要では、住宅は西棟が地上3〜4階、東棟が地上4〜6階。店舗は地下3階〜地上3階となっている。施設の特徴としては、

  1. 住居環境の特徴は、喧騒からの距離と日照を確保できる施設上層部に住宅を配置すること。

  2. 商業空間は店舗階の半分が地下に埋設されているが、中央の吹き抜けによって地下3階まで自然光を取り入れることができる。この吹き抜けに面して、表参道の坂道と同じ勾配のスパイラル状のスロープを取り入れ、変化と発見にあふれたにぎわいを演出する。

  3. 景観・街並みとの調和を重視し、地上の高さを5階建て(住宅の一部6階)に設定。ケヤキ並木のスケールと調和した、落ち着きのある街並みをつくりだす。

  4. 外構と屋上を緑化し、明治神宮から表参道へと続くケヤキ並木と一体となる緑あふれる環境をつくりだす。

 とのことだ。(詳しくは「同潤会青山アパート再生」にて)

 鉄骨鉄筋コンクリート造りだが、同潤会アパートの一部を復元再生することになっている。また、建物を表参道の並木を超えない高さにとどめる、という点もポイントだろう。(高さを抑える分、地下は何と6階まで掘る計画) 丸の内、品川、六本木などで巨大ビルが続々と立ち上がり、地域の歴史的景観が失われていく中、その街が持つたたずまいや雰囲気を尊重しようとするこの再開発事業は手本となる面が多い。屋上庭園以外に、どの程度の環境配慮がなされるかは明らかではないが、2005年の完成まで、見守っていきたいところだ。

 流行発信地としてのステイタスが大きいが、表参道は都内有数の美観地区でもある。海外のスーパーブランド(グッチ、アルマーニ、シャネル、ルイ・ヴィトン、etc.)が進出するのも、表参道が持つ歴史的景観の美しさがあってのことと言う。パチンコ店や風俗店を出店させない規制条例を設けたり、地元挙げての清掃活動を日常的に展開したり、景観が保たれているのは、地域を大事にする意識の高い住民や商店街による努力あってのこと。そうした地域意識を支えてきた同潤会アパートがなくなったことで、それに代わるシンボルがどう変わっていくのかも見どころだろう。(地震国だから仕方ないとは言え、ヨーロッパみたいに古い街並が維持できないのは何故なのか、どうも釈然としない筆者である。)

 さて、ご存じの通り、同潤会アパートは青山が全てではない。青山アパートがなくなったことで、現役は三ノ輪と上野下の2ヶ所を残すのみとなったが、取り壊される前のものについて、筆者も少なからず記憶・記録はある。ここに紹介しよう。


  • 代官山(渋谷区)(1927〜1996年)

 代官山が持つオシャレ感や風情は同潤会アパートがもたらしたものと言っていいだろう。今では代官山アドレスなる巨大ビルが偉容を成しているが、同潤会アパートほどの象徴性はないような気がする。かつて当地に広がっていたアパートは、代官山の良さを集約したような存在だった。そしてそのアパート内にあった「代官山食堂」ほど、古さと善良さを兼ね備えた場所はなかったのではなかろうか。都内の定食屋ガイドのような本を携えた一人の学生は、この食堂を探し当て、タイムスリップしたような感覚を味わいながら、500円そこそこの焼魚定食を玩味したのであった。柱時計、木製の長テーブル、アンティークな吊り照明、どれもよく憶えている。今思うと、このアパートが消えてから、代官山界隈の落書きが酷くなっていったような... 落書きは、その地域への愛着を維持するものがないと頻発する。これは筆者流の仮説である。


  • 清砂通(江東区)(1929〜2002年)

 清洲橋通りと三ツ目通りが交差する辺りにあったんだそうな。1996年の5月下旬だったと思うが、いわゆる歩け歩け大会のようなイベントでこの界隈を通った際、やけにシックな建物があるなぁと思って、何枚か写真を撮ったのを覚えている。同潤会アパートだと知ったのは、取り壊された後の話。もっと堪能しておくんだった。


  • 上野下(台東区東上野5-4)(1929年〜)

 営団銀座線に乗れば、稲荷町駅からすぐなのだが、都バス愛好家の筆者は京成上野駅近くから南千住駅行きに乗って、東上野六で下車して同地に向かった。上野下(正:うえのした、誤:かみのげ)という何とも言えない名称のアパートは、今なお現役であることの誇りを感じると同時に、ここだけ異界のような情景を演出していた。この際、洗濯物の干し方がどうのとは言わない。それも含めて"同潤会アパートここにあり"なのである。4階建が2棟。敷地内には井戸がある。


  • 三ノ輪(荒川区東日暮里2-36)(1928年〜)

 荒川クリーンエイド・フォーラムのN代表がこの界隈に長く住まわれている。ある日ご本人直々にご案内いただいた。仄暗い中で撮影したアパートは何とも幻想的。井戸があるかどうかは不明だが、上野下同様、4階建×2棟である。鉄筋が爆裂して露わになっているのが痛々しい。


■おまけ...(アパートではないけれど)

  • 赤羽(北区)

 9月27日、荒川クリーンエイド2003の説明会を荒川知水資料館で開催したが、分館に向かう途中、資料館本館2Fの一角に「北区の絵地図」(北区史を考える会)を発見。赤羽界隈の1枚をよく見ると、何と赤羽西地区に「同潤会住宅群」と記されているではないか。同潤会はアパートだけではなかったことを知ると同時に、近所に同潤会の名残があることがわかり、喜々とする筆者だった。

 善は急げとばかり、9月30日、この目で確かめることにした。古地図をもとに、赤羽西3丁目&西が丘1丁目をめざす。赤羽に住んで7.5年が経つが、恥ずかしながらこの一帯は初めての訪問。(赤羽西2丁目・4丁目は何度か周回しているのだが、3丁目はどうも隔てるものがあったようだ。) 不覚にも現在の詳細地図を持ち合わせていなかったので、現地の街区案内看板が頼り。そうかこの格子状に区画整理されているのが分譲宅地か。風は強かったが、実に秋らしい爽やかな気候の中、西が丘の高台をめざし、自転車を駆る。ちと遠回りになってしまったが、赤羽西3丁目からのルートは正解だった。稲付公園といい、鳳生寺坂(地図+部分)といい、実に趣深い。

2003. 9.30、西が丘の木造住宅 坂を上り詰めてしばらく行くと、そこは確かに別格の住宅地。格子状の住宅街と言えば、筆者にはお馴染みの成城がまず思い浮かぶが、ここも成城同様、並木もあるし、静穏。小成城とも言うべき佇まいである。(さすがは同潤会ブランド!) さて、肝心の現存する戸建住宅はどこにあるのだろうか。その筋の本によると3軒を残すのみとある。筆者が見て廻った中では5軒ほど木造住宅が見つかったが、おそらく1925年当時のままという意味では3軒なのだろう。いずれにしても、瀟洒な邸宅の合間にあって益々存在感・重厚感ともに大きい木造住宅なのであった。往時はさぞ美観を誇っていたことだろう。まだ行ったことはないが、本駒込の大和郷も似たような感じなのだろうか。

  • 東小松川(江戸川区)

2003. 8. 7、同潤会バス停付近 ここもアパートではなく、分譲住宅があったようだ。荒川クリーンエイドの事務局が東小松川にあるので、途中、付近のバス案内を見ることもある。そこに「同潤会」というバス停があることを見つけてしまった筆者は、事務局は後回しにして、いつもと違うバスに乗って同地をめざした。降りてすぐ、同潤会医院というのは見つけたが、残念ながらアパートは不明。(それもその筈...) 今度機会があったら、分譲住宅を探してみることにしよう。

第145話 ハンバーガー(2003.9.15)

 最近では、当たる店とそうでない店のギャップがいよいよ大きくなっているようで、特にラーメン屋や洋食屋の移り変わりの激しさにはとてもついていけない。(いい店ができたと思うと、いつの間にか別の業態の店、全然違う名前の店になっていることがよくある。)

 短期的な売上に囚われざるを得ない世界では、店舗のサイクルが短くなるのも至極当然。ラーメン屋や洋食屋は、フードビジネス屋が多種多展開を仕掛けるようになってから、益々栄枯盛衰が激しくなってきた気がする。ビジネス指向とは無縁の一店一主のオンリーワン的な評判店はもちろん多いし、そうした店のコンテンツは長年変わることがないから安心して利用できる。だが、駅ビルが新しくできたりした時に入ってくるチェーン系のお店はどうも面白くない。(地域性が全く無視され、どの駅に行っても同じような状態になる。まして、地域評判店を駆逐するようなことがあれば、憤懣やる方なし。) バックには大概フードビジネス屋が絡んでいて、当たるかどうかを見ながら、いろいろ戦略を練っている訳である。ビジネス屋さんの短期的競争(生き残りゲーム)に利用者はつき合わされているようで、いい気持ちがしないのは筆者だけではないだろう。(第64話で紹介した全国共通お食事券を喜んで使っている筆者もどうかしていると思うが...)

 余談だが、音楽CDなどは日々のチャートが物を言うだけに、もっと短期的。一発ヒットが出ればそれもよし。多種多量に市場に送り込む中から息長いミュージシャンが出てくればそれもよし。ミュージシャンを使い捨てのように扱い、チャートバトルを繰り広げているのがバカバカしく思えてくる。一年前にチャートを賑わしていたミュージシャンが、今どれだけ残っているか、比較して見ればすぐわかるだろう。

 前置きが長くなってしまったが、そんな栄枯盛衰の外食産業の渦中にありながら、お店自体は変わらないものとして、ファーストフード業界がある。もちろん、赤羽を例にしても、サブウェイ(サンドイッチ)と銀だこ(タコ焼き)ができては消えて行ったので、移り変わりがない訳ではないのだが、もともとあったモスバーガー、マクドナルドはずっと健在。(逆を言うと、純粋なバーガー屋さんはこの2つしかない。ケンタッキーとベッカーズはバーガー屋とは言わない?) ファーストフードの中でも、いわゆるバーガー類を扱うところは、お店そのものを変えたり、畳んでしまう必要はなく、取り扱う商品をチェンジ(出したり引っ込めたり)すれば何とか続けていける、ということなんだろう。商品単価も低いし、その分リスクも小さくて済む訳だ。(その代わり、商品のサイクルは激しいので、気に入ったメニューがなくなってしまうことも多いが。)

 第78話では中華まんについて書いた。今回はようやくその続編となるハンバーガーについて。(ちなみに、銀座4丁目にマクドナルドの第1号店ができた日が、1971年7月20日(火)だったので、同日がハンバーガーの日(海の日と同じ)なんだそうな。なので、8月にはハンバーガーについて書くべく予告していたのだが、夏の行事ネタを書いていたらずれてしまった。)

 そもそもバーガー系ファーストフード店はあまり利用しないのだが、朝食セットは手軽でいいし、バーガー類の単価が下がったこともあって、単品を持ち帰りで買うことも時にはある。食生活についてきちんと考えていなかった頃(バブルの頃〜10年前)は、クーポン券があるとつい利用していたので、その当時の記憶が中心だが、店別にふりかえってみるとしよう。

*ホットサンド・ホットドッグ、トースト状のもの、巻き物(ラップやロール)、パンケーキ、ビスケットなどは除く。いわゆる円形のバンズで上下を挟み込むタイプのものに限る。


  • 明治サンテオレ

     全国共通お食事券が使えるバーガー屋さんは、こことモスバーガー、ウェンディーズくらい。朝食セットなど手軽で良かったのだが、いつしかサンテオレは見かけなくなってしまった。(最近になって、巣鴨で辛うじて見つけた。) どんなバーガーがあったかは残念ながら記憶がない。
     

  • バーガーキング

     鳴り物入りで出てきた割には、あっさり退場してしまったバーガーキング。ワッパーという不思議な名前のバーガーだったが、どれもボリュームたっぷりで、食べるのが大変だったのは覚えている。(その大変さが日本人には向かなかった?)
     

  • ドムドムバーガー

     かつての勤務先、武蔵小杉で時々利用。コロッケバーガーなど"お惣菜バーガー"といったものが多かったような。近頃は、お好み焼きバーガーが出ている。
     

  • ウェンディーズ

     クーポン券を手にするようになって、一時期よく通っていた。野菜が多めでスパイシーな感じが良く、バーガー系では一押しと考えていた。(と言っても5年ほど前の話だが。)
     

  • KUA’AINA

     ハワイが本拠のゴージャスハンバーガーチェーン。今でこそチェーン展開しているが、筆者が青山勤務だった頃は、青山通りに骨董通りがぶつかるT字路の一角にある一店だけだった。(青山勤めしていなければ行けなかっただろう。) 当時は日本唯一だったこともあって、ありがたがって頬張ったものである。青山界隈の普通のお店でランチをとるのと同じくらいの単価のハンバーガーだったが、ハンバーグステーキをパンでカッチリ挟んで食べるスタイルで、実にダイナミックかつ美味だった。ファーストフードとは言え、これはじっくり時間をかけて食べたい一品である。
     

  • マクドナルド

     マクドナルドはファーストフードのみならず、ご存じの通り、外食産業全体でトップ。2003年3月期の決算でも堂々1位。(以下、2位:すかいらーく、3位:吉野家、4位:ロイヤル(ロイヤルホストなど)、5位:ケンタッキーフライドチキン、6位:モンテローザ(白木屋、魚民など)、7位:ダスキン、8位:モスフード、9位:ゼンショー、10位:デニーズと続く。) バーガー系だけ見ると、8位にモスバーガーが付けているが、その次は93位にやっとファーストキッチンといった感じ。マックの一人勝ちとも言える状態である。(ちなみに、2002年度のハンバーガー売上のシェア(市場占有率)は、マック:66.8%、モス:17.7%、ロッテリア:8.0%...である。)

 だが、そんなマクドナルドも、「ずーっと半額」とアピールしていたハンバーガーを価格改定し出したあたりから、不安定になってきた。価格の上げ下げで調整するのも限界に来たか、新メニューを続々と打ち出してきて、8月からはいよいよ複雑に。(地域限定だったり、時間帯限定だったりするが、スモークドビーフ、ベジコロ、オムサラダ...と来た。)

 これまでのメニューの変遷は、同社の沿革を見た方が早そうだ。定番メニューになったものもあるし、一過性の変り種も多かった。

 

 ハンバーガー、チーズバーガー、ビッグマック、フィレオフィッシュは古参だが、その後は、独特な名称で意味がわからなかったクォーターパウンダー(78)があって、ダブルバーガー(83)(ダブルチーズバーガーも同年?)と続き、筆者が学生だった頃から期間限定メニューが続出。1989年はベーコンレタス、てりやきがお目見えし、20周年を迎えた1991年(画像参照)は、チキンタツタ、フレッシュマック、月見、チーズカツと立て続け。グラタンコロッケ(93)、てりたま(96)、レタベパ(97)の後、1998年はチキンカツ、グリルビーフ、ポテピリ、かるびマックとまたまた頻発。カレー(99)、牛なべ(99)、サーモンマック・ムニエル風(2001)、ベーコンレタストマト(2001)など。他のバーガー屋ではこうはいかないだろう。マックのメニューは無難な印象がなくはないが、実はこれだけ遊んでいるのである。(名称だけで内容がある程度わかるようになってはいるものの、ペパがペッパー風味というのはちと難しいかも。)

 ちなみに、海外でもマックにはちょくちょくお世話になっている。日本でいろいろ試していて、弾みがついていたようだ。

  • スイス:可燃・不燃の分別がしっかりしていたのをよく覚えている。日本のマックはまだまだだった。

  • ドイツ:ボンのマックで、マックシェークと頼んだら通用しなかった。当地ではミルクシェークと称すらしい。

  • ベルギー:オランダへ向かう直前、アントワープでランチ用のセットをテイクアウトした。ベルギーフランの小銭をピッタリ消化できたのでビックリ。

  • オランダ:同国名物であるコロッケを使ったクロケットマックとやらを玩味。

  • フランス:セットのドリンクで、ミネラルウォーター「エビアン」を頼んだら、発音上の不具合でビールが出てきた。(「エ」と「ン」が落ちて、ビアになってしまった?) マックでビール! それはそれで良かったが。

 など。

  • ロッテリア

     ホットサンドは美味しいし、リブサンドもなかなか。だが肝心のバーガーは、と聞かれるとどうもピンと来ない。マクドナルドの後追いを繰り返しているような印象があるため、何を出しても新味が感じられないせいだろう。今回のマックの変種攻勢にどう打って出るか、見ものである。エビバーガーは、フードマイレージを考えると必ずしも良いとは言えないし...
     

  • モスバーガー

     バーガー系で業界2位というだけの気概を感じる。何しろクーポン券を出さないってのが基本姿勢なんだから天晴である。(そのため、筆者の利用頻度も極端に少なく、おそらくこれまでで10回に満たない。) きんぴらや海鮮ネタを使ったライスバーガーは衝撃だった。出たての頃に食べたロースカツバーガーも印象深い。
     

  • ファーストキッチン

     青山勤務の頃は、時々朝食をとったり、サントリーの社員の方からいただいたお試し券を使って、新作を賞味したりしていた。海老カツバーガーは食感が良くて、朝のセットで贔屓にしていたが、割に合わなかったらしく、今ではセット対象になっていない。そんなこともあって、今ではすっかりご無沙汰である。


 こうして見てみると、新し物好きの筆者は、見事にバーガー屋さんのマーケティングに嵌っていたような気がする。フードビジネス産業の手玉に乗るのは本意ではないので、外食は吟味したいもの。まぁ、店がコロコロ変わるのに踊らされるのよりはいいので、時にはバーガー類を利用するのも悪くはないか。

第144話 打ち水大作戦(2003.9.1)

 8月初日、気象庁は「東日本(関東甲信、北陸、東海)の8月は晴れが多く、気温は平年並みだが、天気が不安定で曇りや雷雨になりやすい日がある」と予測していた。これが当たらなかったのは皆さんご周知の通り。8月前半は台風だ、大雨だ、で晴天に見放され、夏を実感できないまま8月が過ぎてしまったような感じ。

 ヒートアイランド現象が夏の東京の悩みだが、冷夏や天候不順のため、今年はその悩みも少なく感じられた。それでも、ヒートアイランドや局地的温暖化現象については、東京に住む者としては考えておきたいところ。どれだけ、暑熱を緩和・抑制できるかを実験すべく、昔ながらの生活の知恵である「打ち水」を東京を舞台に大々的にやってみよう、とする試みが、折りよく25日に行われた。「大江戸打ち水大作戦」である。

 23日の処暑(皮肉にも「暑さ止む」の意味)を過ぎてから、夏らしくなった日本列島。東京都心では、8月24日に34.3℃まで気温が上昇。今年の最高気温を記録した翌日の打ち水大会である。(ちなみに、東京の8月の真夏日は、月の日数の半分程度止まりだったようだ。)

 25日、東京の最高気温は、33.7℃だった。最高気温の記録更新はならなかったが、「晴れ 一時 曇り」の打ち水日和。数少ない2003年の夏を実感しに行くには打ってつけの催しだった。

「打ち水大作戦」の予告を掲示する町会掲示板(植木の緑が掲示板を引き立てる) 本当は地元で打ち水したかったが、筆者宅近傍には巨大な打ち水(というか流水=荒川&新河岸川)が滔々としているので、まぁよしとして、例の環境ニュースの取材を兼ねて、打ち水重点実施地区である東向島に足を運ぶことにした。主たる会場の一つ、第一寺島小学校には、曳舟から行くのが近そう、と読んだ筆者は、北千住から東武伊勢崎線に乗り換えて南下。11:20に曳舟駅に到着。日頃、ご縁の少ない墨田区に喜々としてやってきた。「江戸開府400年」の幟が沿道にはためく水戸街道を横断し、400年を祝すに足る江戸風情が宿る東向島一丁目界隈を歩く。植木や植栽が随所に見られ、温度を下げる工夫が残っている。打ち水をするまでもないだろう、とも思うが、そうした地域の工夫やそれを支える意識があるからこそ、地域ぐるみの打ち水が可能になるんだろう。重点地区に指定されるのも合点が行く。

 程なく、プールから帰って来る小学生諸君に出くわした。打ち水は12時に行われるので、何も帰宅しなくても、と思っていたが、実際に打ち水に参加した小学生はごく少数だった。せっかくの重点ポイントなのに...唖然。(*_*)(まぁ各自、自宅で打ち水したんだろうということで。) 11:30頃、第一寺島小学校に着いて、打ち水の模範会場となる校庭を覗くと、報道関係者ばかり。少数の小学生の前に各局が陣取って、実況の準備に余念がない。小学生諸君は実は、報道の取り巻きに嫌気して帰ってしまったんじゃないだろうか?

出番を待つ天水尊と手桶 学校で待機していても仕方ないので、しばらく付近を散策することにした。地蔵坂通り商店街に廻ったら、ムード満点の打ち水セットに遭遇。墨田区が本場、ご存じ天水尊(消防用や散水用として使う雨水を貯えるドラム状のタンク)、それに挟まれるように、手桶・湯桶が共同浴場の如く積まれている。

 小学校は盛り上がりに欠けそうなので、こっちに参加するとしよう。気分が乗ってきたが、温度計があればなお、臨場感があって良さそうだ。ということで急遽、100円ショップなどを探す筆者。商店街の入口、水戸街道の交差点で首尾よく100円ショップを見つけ、携帯式の温度計をゲット。これでバッチリ、打ち水に臨める!

 沿道住民の皆さんはすでにスタンバイOK。ご年配の方々が多いが、皆さん元気そのもの。(小学校の前なのに、小学生の姿がないのはちと残念だが。)

 天水尊の実物を見るのは久しぶり。自分で蛇口を捻って、雨水を汲むのは今回が初めて。初っ端だけに、なかなか勢いがあっていい。通行人の参加も大歓迎、とのことで、筆者も手桶片手に飛び入り参加である。

 いよいよ正午。作戦決行である。しかし、号令がかかるでもなく、覚束ないスタートとなった。(カウントダウンがかかって、「そーれ!」で一斉に始めるんだと思っていただけに拍子抜け...)

 ボチボチ始まったところで、筆者も高らかと打ち水開始。飛沫がきらめく。角度によっては小さい虹が一瞬現れる。清々しいこと、この上ない。周りもひたすら散水しているので、マイナスイオンに満たされ、そのせいか自ずと気分も良くなっていく。

 携帯温度計は、11:50に32℃。その後、日なたで計っていたら、34℃まで上昇。じっとしていると焦げ付きそうな、太陽のパワー溢れる陽射しを受けつつ、とにかく打ち水に勤しむ。

 打ち水の成果か、温度計の針は、その後32℃にダウン。筆者は目と肌で温度低下を体感できたが、周囲は頻りに「涼しくなった?」と、互いの会話で確認中。風も出ていたが、打ち水でよりヒンヤリした涼風に早変わり。体感温度はもっと下がっていたかも。(^^)

 筆者が打ち水していた、墨田川高校と寺島図書館の前の道路は、瞬く間に一面水浸し。車は徐行しながら通って行くが、水を撥ねる音がまた心地よい。自転車で走る人も涼やかな顔で走り過ぎる。間違えてひっかけてしまってもご愛嬌、といったところ。

手を使って、基本に忠実な打ち水をする浴衣女性 声かけ係の人がちゃんといて、通行人の飛び入り参加を促す。通りすがりの若い女性や女子高生も加わり、楽しそうに打っていた。飛び入り組は水を打つ所作に慣れない様子だったが、打ち水の基本に忠実な浴衣女性もいて、彩り様々だった。(浴衣組は、おそらく作戦本部のスタッフらしい。)

 もっと気軽に通行人が参加しても良さそうだが、商店街一帯で打ち水する様は圧巻。地蔵坂通りの元気&地域力を感じた。

 それにしても、手桶はなかなか便利なもの。汲みやすいし、打ちやすい。つい調子に乗って、水がひいたところを狙って打ったり、辺りがひととおり湿ったら、さらに場所を変えて打ちに行く。(いったい何リットル分、撒いただろう?) 移動した先、小学校の校門脇に、報道関係御用車らしき黒塗りの車が数台待機していた。仕事柄、仕方ないとは言え、暑苦しい格好をした運転手は見て見ぬふり。一緒に参加すればいいのに...

 さて、黙々と打ち水に興じているうちに、とうとう天水尊の水も尽きてしまったようだ。手を休めて、周囲を見渡すと、小学校の実況を終えた取材チームがウロウロしていた。御用車運転手同様、こちらも本業にのみ徹しているようで、打ち水スタイルとは程遠い「背広マン」がマイクを握っている。(少しは打ち水体験したのだろうか?) せっかくの涼気を吹き飛ばしかねない背広スタイル。汗をかきかき走り回ってほしくなかった。(実は水を打ってほしかったのかも...)

 インタビューの声が洩れ聞こえる。「楽しい」「懐かしい」「昔はよくやったもんだ」...てな感じ。「楽しい」と答えていた若者諸君は、本部スタッフだったことがわかってしまい、少々興ざめだった。(地元の若者は何処へ?)

 夏空にヘリコプターの音が響く。取材のヘリかと思ったら、実は計測用のヘリだったことを後で知った。上空から熱ビデオ(赤外線サーモグラフィ)で一帯を撮影し、温度変化を計測するんだそうな。観測隊は、ふだんお世話になっている荒川下流河川事務所。因果なものだ。(本来なら環境省ネタになりそうだが、人や物や財を動かすパワーはやはり国土交通省が上手、ということか。)

 あっと言う間の20分間。楽しませていただいた上に、お土産(参加賞)に手桶を頂戴した。よく見ると、おなじみの100円ショップ品。(^^; マツでできた中国製品だった。(どうせだったら間伐材を使った手桶を、といきたいところだが、さすがの国土交通省もそこまでは手が回らないようで。)

 随所に打ち水の後が見られる東向島三丁目界隈を通り、帰りは曳舟からではなく東向島駅から東武線に乗る。手持ちのレジ袋に入れて持ち歩いたが、手桶を持った乗客はやはり人目をひいてしまう。「打ち水参加賞」を気取って、意気揚々とする筆者。「皆さんもどうですか?」と誘う手桶であった。

 13時頃、東武線からJRに乗り換える。常磐線北千住駅のホームから、松戸方面に遠く目を向けると、何と陽炎が揺らいでいる! 暑さは緩和できたのだろうか? いや、少しは貢献できたはずである。

 気象庁の発表では、25日の東京は下表のように、

時間帯

気温

湿度

12時〜

33.4℃

52%

南南西の風 3.9m

13時〜

↓ 32.7℃

54%

南の風 4.8m

14時〜

↓ 32.3℃

54%

南南西の風 3.7m

 と出ており、12時をピークに気温が下がっていた。この時間帯は雲もなく、日照時間もほぼ同じだったことから、打ち水の効果が少なからずあったことが証明された?(詳しくは、気象庁ホームページ:電子閲覧室からどうぞ。)

 25日の実験結果の詳細はまだ公表されていない(河川事務所のホームページを要チェック)が、重点的に実施された4つの地点(大江戸温泉物語(江東区)/大鵬部屋(江東区)/金春通り(中央区)/都庁前都民広場(新宿区)、東向島は除く)の速報では、打ち水開始前の正午にかけて気温が上昇し、4地点平均で、34.9℃だったところ、打ち水開始直後の12:10の計測では、33.9℃に下がり、打ち水による温度低減効果が確認できたと言う。

 4つの地点の参加者合計は570人で、推計1,510リットルの打ち水が撒かれた。事前の参加登録者数は、約3,300人なので、全員が実施したとすると、単純計算で9,000リットル近い水が一斉に撒かれたことになる。温泉や風呂の残り湯、下水再生水や雨水などの水を使うことを条件としたため、水の循環利用にも一役買ったようだ。(実際の全体参加者推計は、約34万人とのこと。スゴイ!)

 ちなみに、当日の最大電力量は、14時〜15時に記録した5,634万kW。打ち水が終わった後の時間帯、電力はピークだった訳である。正午から午後にかけて、常に打ち水をしておけば、電力も抑制できるかも知れない。

 ちなみに、翌日の26日は、曇り空&夕立(=天然打ち水)。25日は、天賦とも言える絶好の打ち水デーだったのである。


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